第十一話:委ねられた判断
恒一は、
自分が「選んでいない」ことに気づいていなかった。
選ばなかったのではない。
最初から、選択肢として意識していなかった。
朝。
澪はいつも通り起きて、
いつも通り朝食を用意する。
「今日は仕事?」
「うん。午後から」
「そっか」
会話はそれだけで、足りていた。
澪が静かなのは、昔からだ。
無理に明るく振る舞うこともないし、
感情をぶつけてくることもない。
恒一は、その在り方を
「大人だな」と思っていた。
だから疑わなかった。
疑う理由が無かった、
というより――
疑う必要性を感じなかった。
出勤前、
恒一は端末を確認する。
【観測補助業務ログ】
【異常通知:なし】
いつも通りの表示。
異常が無いなら、
何もしなくていい。
それが仕事のルールであり、
生活のルールでもある。
昼休み。
同僚が言う。
「最近、感情整形の依頼増えてるよな」
「そうだね」
「問題が起きる前に処理できるのは、
いいことだと思うけど」
恒一は頷く。
「そうだね。
問題にならないなら、それが一番だし」
口にしてから、
違和感はなかった。
“問題にならない”
それは、
誰にとっての基準なのか。
そんな問いは、
浮かばなかった。
帰宅。
澪はリビングにいる。
膝を抱えて座っているが、
顔は穏やかだ。
「おかえり」
「ただいま」
恒一は、
一瞬だけ澪を見る。
変わったところは無い。
少なくとも、
変わったと判断できる材料は無い。
「今日も大丈夫だった?」
その言葉は、
気遣いのつもりだった。
「うん。問題なかった」
澪は、
そう答えることに慣れている。
恒一は安心する。
本人がそう言っている。
記録もそうなっている。
なら、
自分が踏み込む理由は無い。
夜。
二人は並んで座る。
テレビの音が、
部屋を満たす。
澪が、
少しだけ身を寄せる。
恒一は、
その重みを感じる。
拒まれていない。
求められている。
そう解釈した。
澪の体温は、
確かにそこにある。
だが――
それ以上の何かを、
感じ取ろうとはしなかった。
感じ取れなかったのではない。
感じ取る責任を、自分に課さなかった。
寝る前。
恒一は考える。
自分は、
ちゃんとやれているだろうか。
すぐに答えが出る。
・問題は報告されていない
・異常通知も無い
・澪本人も「大丈夫」と言っている
なら、
大丈夫なのだ。
自分が余計な心配をする方が、
かえって失礼だ。
そう思うことで、
胸のざわつきは静まる。
判断は、
自分ではなく――
すでに委ねられている。
制度に。
記録に。
本人の言葉に。
恒一は、
それらを信じて眠る。
その信頼が、
誰かを削っている可能性を――
考えずに済むように。
問題は、
今日も無かった。




