第8章「壁を立てる——パーティション工法の確立」
坑道の修復が完了したのは、交渉成立から一ヶ月後のことだった。
崩落していた十二メートルの区間が、ミスリル合金製の支保工で補強され、再び通行可能になった。その先には、予想通り、豊富なミスリル鉱脈が眠っていた。
岩蜥蜴との遭遇は、幸いにも避けられた。排水坑道は、魔獣の縄張りから外れた場所に通じていたのだ。
ミスリルの採掘量は、一気に増加した。
それに伴い、LGS材の生産も本格化した。ギルドから派遣された職人たちが、グスタフやゴルドから技術を学び、加工作業に従事する。
建吾は、その間も新しい工法の開発を進めていた。
「パーティション」
リーゼロッテの執務室で、建吾は新しい設計図を広げた。
「可動式の間仕切り壁だ」
「可動式……ですか?」
「そうだ。今までの壁は、一度作ったら動かせなかった。だが、この工法を使えば、壁の位置を後から変えられる」
リーゼロッテは、設計図を見つめた。
床と天井にレールを設置し、そこにミスリル製の壁パネルを差し込む構造。パネルは取り外し可能で、配置を変えることで部屋の形を自由に変えられる。
「これは……便利ですね」
「便利なだけじゃない。城の防衛にも使える」
「防衛?」
「敵が城内に侵入してきたとき、壁の配置を変えることで、敵の進路を制御できる。袋小路に誘い込んだり、こちらに有利な地形を作ったりできる」
リーゼロッテの目が、驚きで見開かれた。
「そんなことが……可能なのですか」
「原理的にはな。実際にやるには、訓練が必要だが」
リーゼロッテは、しばらく設計図を見つめていた。
それから、顔を上げた。
「ケンゴ様。この工法を、我が城に導入したいのですが」
「もちろんだ。そのつもりで設計した」
「ありがとうございます。……ただ、一つお願いがあります」
「何だ」
「この工法を、他の領主にも紹介していただけませんか。この技術が広まれば、王国全体の防衛力が向上します」
建吾は、リーゼロッテの言葉に少し驚いた。
自分の領地だけでなく、王国全体のことを考えている。この若い領主は、本当に優れた為政者の資質を持っている。
「わかった。だが、まずはここで実績を作る。それから、他領に売り込む」
「はい。よろしくお願いします」
◇ ◇ ◇
パーティション工法の試験施工は、グライフェンベルク城の大広間で行われた。
大広間は、元々は一つの大きな空間だった。宴会や式典に使われる場所で、普段は使われていない。
建吾は、この空間を可動式の壁で区切ることにした。
まず、床と天井にレールを設置する。ミスリル合金製のU字型レール。これを、壁面と平行に、二メートル間隔で配置する。
次に、壁パネルを製作する。
ミスリル製のLGS骨組みに、薄い木板を貼り合わせた構造。高さは三メートル、幅は一メートル。一枚あたり約二十キロ。成人男性なら、一人で持ち運べる重さだ。
「これを、レールに差し込む」
建吾は、職人たちに実演した。
パネルの下部に付いたローラーを、床のレールに乗せる。上部のフックを、天井のレールに引っ掛ける。
カチン。
パネルが、所定の位置に固定された。
「これを繰り返せば、壁ができる」
建吾は、次々とパネルを設置していった。
十分後。
大広間は、三つの部屋に区切られていた。
見学していた職人たちから、驚嘆の声が上がった。
「こんなに早く壁ができるとは……」
「しかも、取り外せるのか」
「石を積む必要がない。これは革命だ」
ゴルドが、興奮した様子で建吾に近づいてきた。
「おい、ケンゴ。これは凄いぞ。ドワーフの歴史でも、こんな工法は聞いたことがない」
「ドワーフにもないのか」
「ああ。俺たちは岩を掘るのは得意だが、こういう発想はなかった。壁は、一度作ったら動かさないものだと思っていた」
「発想の転換だ」
建吾は、完成した壁を見つめながら言った。
「壁は、空間を区切るためのものだ。でも、空間の使い方は、時と場合によって変わる。だから、壁も変えられるようにする。それだけのことだ」
「それだけのこと、か」
ゴルドは、感心したように頷いた。
「お前の頭の中は、どうなってるんだ」
「普通だ。ただ、現場を十五年やってきただけだ」
◇ ◇ ◇
パーティション工法の評判は、すぐに広まった。
最初に反応したのは、近隣の領主たちだった。
ヴァイスベルク伯爵家、メルヘン男爵家、フリードリヒ騎士家——以前に修繕を依頼してきた領主たちが、次々と新工法の導入を打診してきた。
建吾は、一つ一つの依頼を吟味し、実施可能なものから順に引き受けていった。
同時に、職人の育成も進めた。
ギルドから派遣された十人の職人に加え、グライフェンベルク領内からも希望者を募った。彼らに、ミスリル加工の技術、墨出しの技術、パーティション工法の施工技術を教えていく。
建吾が直接教えられる人数には限りがある。だから、「教える人」を育てることにした。
「俺から学んだことを、次の人に教えてくれ」
建吾は、最初の弟子たちに言った。
「そうやって、技術を広げていく」
ゴルドが、その言葉に反応した。
「技術を秘密にしないのか?」
「しない」
「なぜだ。技術は、金になる。独占すれば、大儲けできるだろう」
「金は、必要な分だけあればいい」
建吾は、窓の外を見ながら言った。
「俺がこの世界に来た理由は、わからない。だが、やりたいことはわかっている」
「やりたいこと?」
「建築技術を広めることだ。より多くの人が、より良い空間で暮らせるようにすること。それが、俺の仕事だ」
ゴルドは、しばらく黙っていた。
それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「変わった人間だな、お前は」
「そうか?」
「ああ。だが、嫌いじゃない」
ゴルドは、ぶっきらぼうに言って、作業に戻っていった。
◇ ◇ ◇
二ヶ月後。
グライフェンベルク領の城砦修繕は、ほぼ完了していた。
北東塔の構造補強。主塔の壁の修復。大広間のパーティション化。そして、城全体の防水処理。
城は、見違えるように蘇っていた。
壁の亀裂は消え、雨漏りは止まり、かつての威容を取り戻していた。さらに、可動式の壁が追加されたことで、空間の使い勝手が大幅に向上していた。
「素晴らしいです、ケンゴ様」
リーゼロッテは、完成した城を見上げながら言った。
「父が亡くなってから、この城がどうなるか、ずっと心配していました。でも、こうして蘇った城を見ると……」
彼女の目に、涙が滲んでいた。
「父も、喜んでいると思います」
「そうか」
建吾は、特に何も言わなかった。
仕事を終えた。それだけのことだ。
だが、リーゼロッテの涙を見て、建吾は確かな達成感を覚えていた。
これが、俺の仕事だ。
人が住む場所を、守る場所を、作る。
それを、ここでも実現できた。
◇ ◇ ◇
その夜。
城では、修繕完了を祝う宴が開かれた。
領内の有力者たちが集まり、料理と酒が振る舞われた。建吾も、主賓の一人として招かれた。
宴の途中、リーゼロッテが建吾のところにやってきた。
「ケンゴ様。少し、お話しする時間をいただけますか」
「ああ」
二人は、宴会場を抜け出し、城壁の上に出た。
夜空には、二つの月が浮かんでいた。一つは白く、もう一つは青く。その光が、修繕された城壁を柔らかく照らしている。
「お礼を、改めて申し上げたくて」
リーゼロッテは、月を見上げながら言った。
「ケンゴ様がいなければ、この城は崩壊していたでしょう。私も、領主として何もできなかったと思います」
「俺は、頼まれた仕事をしただけだ」
「それでも……感謝しています」
リーゼロッテは、建吾に向き直った。
「ケンゴ様。これからも、この領地にいていただけますか」
「……どういう意味だ」
「私の、相談役として。いえ、それだけではなく……」
リーゼロッテの頬が、月明かりの中で赤く染まっていた。
「……もっと、近くにいてほしいのです」
建吾は、リーゼロッテの目を見た。
まっすぐな瞳。若い女性の、まっすぐな想い。
建吾は、三十七年の人生——この世界に来てからの記憶を含めても——で、こういった経験がほとんどなかった。仕事一筋で生きてきた。恋愛は、遠い世界の出来事だった。
だから、どう答えればいいのか、わからなかった。
「……俺は、内装工だ」
建吾は、ゆっくりと言った。
「貴族でも、騎士でもない。お前の隣に立てる身分じゃない」
「身分など、関係ありません」
「関係なくない。この世界には、この世界のルールがある」
「ルールは、変えられます」
リーゼロッテは、一歩、建吾に近づいた。
「ケンゴ様は、この城を変えました。建築の常識を変えました。それなら、社会のルールだって……」
「それは、違う」
建吾は、首を振った。
「俺が変えたのは、技術だ。技術は、正しいものが広まる。だが、社会は違う。人の心は、技術のようには変わらない」
リーゼロッテは、悲しそうな顔をした。
「では……私の気持ちは、受け入れていただけないのですか」
「今は、答えられない」
建吾は、正直に言った。
「俺には、まだやるべきことがある。この世界の建築を、もっと良くしたい。そのためには、もっと多くの場所を見て、もっと多くの人に技術を教えなければならない」
「……」
「お前の気持ちは、ありがたい。だが、今の俺には、それに応える余裕がない」
リーゼロッテは、しばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「ケンゴ様らしいですね」
「すまない」
「いいえ。謝らないでください。……私は、待ちます」
「待つ?」
「ケンゴ様がやるべきことを終えるまで、待ちます。それまで、私も領主としての務めを果たします」
リーゼロッテは、月を見上げた。
「いつか、お互いのやるべきことが終わったとき、もう一度、この話をしましょう」
建吾は、何も言えなかった。
ただ、リーゼロッテの横顔を見つめていた。
この若い女性は、自分よりもずっと強いのかもしれない。
そう、思った。




