日本內戰錄 第六十四號記錄 ー 増エ続ケル担架 ー
九月二十四日。
夜明け前から担架の音が続いている。
地面を擦る布の音で、
今日が長い一日になることが分かった。
午前、別部隊から負傷者が次々と到着。
肩部貫通、胸部打撲、下肢裂創。
五名のうち二名は出血が多く、
処置台に運ぶ間にも血が滴れていた。
止血帯を巻き直しながら、
衛生兵が「敵が多かったらしい」とだけ言った。
昼頃、もう一つの担架が運ばれてきた。
顔に泥がつき、意識が薄い兵だった。
腹部に銃創。
深くはないが、貫通していない分だけ内部損傷の可能性が高い。
名簿を確認すると、
河合慎。
以前、補給路近くで負傷者を見舞いに来た兵だった。
処置は急いだ。
腹部右側の銃創からは筋層が露出し、
周囲の皮膚は火傷のように熱を持っていた。
血管を縫い、異物を除去し、
内部の裂けた組織を一つずつ閉じた。
それでも完全とは言えず、
最終判断は本部病院に委ねるしかなかった。
搬送が決まると、
衛生兵たちは動きを止める間もなく次の担架に向かった。
河合を乗せたトラックは
数分で見えなくなった。
午後、負傷者の数は増え続け、
包帯の在庫が底をついた。
水は煮沸が追いつかず、
器具の消毒回数も最低限になった。
夕方、少しだけ風が止んだ。
だが治療所は静かにならず、
呻き声と呼吸の音が絶えなかった。
今日だけで十数名を処置した。
誰が生き残るかは分からない。
ただ、手を止めれば
確実に死ぬ者が出るということだけは分かる。
―― 坂井 苑




