日本內戰錄 第二十一號記錄 ― 後送処置 ―
八月八日。
午前、第二中隊から負傷者四名が運び込まれた。
銃声の途切れ方から察するに、前線はかなり近い。
担架を降ろした兵たちの顔に泥がこびりついており、
運搬が急ごしらえだったことが分かる。
もっとも重いのは河合一等兵。
腹部左側の貫通。
運び込まれた時点で意識は浅く、
呼名にも間を置いて反応する程度だった。
脈は速く、呼吸も浅い。
当救護所で使える器具は限られている。
滅菌水、消毒薬、絹糸の縫合具、
古い金属製の鉗子と布担架。
腹腔の奥を確かめるための器具はない。
輸血設備もなく、輸液は最低限の量しか残っていない。
腹部の創を洗浄しようとしたが、
河合一等兵は痛みで体を震わせ、
二度ほど意識が落ちかけた。
出血は外側よりも内側のほうが多いと思われる。
ここで縫い閉じれば、それがかえって命取りになる可能性もある。
処置台の脇でしばらく状態を見たが、
この救護所にできるのは一次止血と輸液のみと判断。
迷いはあったが、後送を決めた。
判断が遅れれば間に合わない。
判断を急げば途中で失う可能性もある。
どちらに転ぶかは、もう誰にも分からない。
軽装甲車に担架を固定し、
輸送中に体が揺れすぎないよう布で何度も結び直した。
輸液瓶はフックが壊れていたため、
代わりに鉄製の棚を紐で縛って吊るした。
こんな応急具で足りるとは思えないが、
他に方法もない。
残る三名は肩・大腿の貫通、背部擦過。
こちらは止血と縫合で対応できた。
ただ、負傷の浅かった兵も顔色が悪く、
戦場の緊張から解放された途端に震えが出ていた。
無理もない。
河合一等兵後送の知らせは、
中隊内にすぐ広まったようだ。
休憩所の外で兵同士が短く言葉を交わす声が聞こえた。
内容は聞かない。
こちらの仕事は、ただ処置を続けるだけだ。
河合一等兵の命が助かるかどうか、
いまは分からない。
―― 坂井 苑




