第1話:拳法少女、美蘭オンラインに降臨
日の出とともに、打ち込まれる拳の音が静寂な道場に響いていた。
「いち! に! さん!」
鋭い気合とともに、少女の拳が空気を裂く。絹のように滑らかな動きの中に、鋼のような芯が通っている。彼女の名は如月美蘭。道場を営む父のもとで、物心ついた時から中国拳法を叩き込まれてきた。
八極拳、詠春拳、形意拳……様々な拳法を組み合わせた独自のスタイルは、全国大会でも何度も優勝経験を持つレベルだった。だが、彼女の中にあったのは、誇りと同時に――静かな空虚だった。
「今日も一人で練習か……」
友達と遊ぶ時間もなければ、放課後に寄り道することもない。拳法こそが人生、そう父から教えられてきた。反発することはなかったが、どこか“何かが足りない”という想いが、心の片隅にこびりついていた。
そんなある日、クラスメイトの少女・由梨が言った。
「ねぇ美蘭、たまにはさ、ゲームでもやってみなよ。“ラグナ・バース・オンライン”って知ってる? すっごく自由で、いろんな戦い方ができるんだって!」
「ゲーム……? 私には関係ないものだと思ってた」
「そんなことないよ! ちょっとした気晴らしになるし、意外と動きの勉強になるかもよ? 美蘭なら絶対強くなれるって!」
美蘭は、その言葉に少しだけ心を動かされた。夜、道場の隅に置かれたノートパソコンとVRヘッドセットを引っ張り出し、そっと電源を入れる。
そして――。
「ラグナ・バース・オンライン、開始します」
柔らかな電子音とともに、美蘭の意識は仮想世界へとダイブした。
キャラクター作成画面。武器、スキル、職業……選択肢は無限にあった。
「ふむ……剣士、魔導士、弓術士、回復師……?」
だが彼女は、それらに興味を示さなかった。迷いなく、職業欄の一番下にある選択肢を選ぶ。
【無職】
そしてそのままゲーム開始ボタンを押す。
美蘭の視界が鮮やかな草原に切り替わった。見渡す限りの大自然。遠くではパーティを組んだ冒険者たちがモンスターと戦っている。
初期狩場のウサギ型モンスターが美蘭の前に現れた。
「……試してみるか」
構えをとる。重心を沈め、腰を落とし、左足を踏み出すと同時に――
「喝!」
炸裂する直突き。瞬間、ウサギモンスターが空中に吹き飛び、消滅エフェクトとともにアイテムがドロップする。
「えっ……今の、素手だよな……?」
「武器なしでワンパン……?」
近くで狩りをしていた冒険者たちが、唖然として美蘭を見つめていた。
「へぇ……これ、面白いかも」
美蘭はほんの少しだけ口角を上げ、次の敵へと歩き出した。
この日、仮想世界に一人の“異端”が誕生した。
その名は如月美蘭――“拳聖”と呼ばれる伝説の始まりである。