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あなたの初恋が、私だったと知るまで

作者: 昇龍アキラ

見に来てくださってありがとうございます。

少女漫画っぽい雰囲気で仕上げました。

それでは、どうぞ

この婚約が正式に決まったとき、レティシア・リーベンシュタイン公爵令嬢の心は、かつてない程の幸福に満ちていた。


父と共に出席する夜会で、そのたびに遠くから見つめていたその人——リュシアン・ルヴェール伯爵令息。

彼の黒曜石のように深く澄んだ瞳も、知性を感じさせる爽やかな微笑も、誰にも迎合しない、あの凛とした孤高の佇まいも

――すべてが、レティシアの胸に鮮やかに刻まれていた。


まるで一瞬で心を奪われた夢のように。


目を閉じれば、今でもその姿がまぶたの裏に浮かぶ。どこまでも遠くて、どこまでも美しい人。

 

けれど、彼と交わした言葉は数えるほどしかなく、そのたびに胸が高鳴って……挨拶以外はうまく話せず、いつも背中を見送るばかり。

 

「想いを伝えることなど、恐れ多くて……」


彼女はただ、秘めた想いを抱いたまま、季節はいくつも、静かに通り過ぎていった。

 彼の面影を見つめる――それだけで、レティシアの世界は輝いて見えた。



そんな折、突如として舞い込んできた婚約の話。


父――リーベンシュタイン公爵が、ルヴェール伯爵家からレティシアへの縁談を受けたという。

 

どうして自分が選ばれたのか、詳しい事情は告げられなかった。

ただ、気がつけば全てが決まっていて、誰の意志でもないかのように、事実だけが静かに置かれていた。

 

まるで、夢の続きを見ているようだった。

遠く手の届かない存在だと思っていたあの人が、自分の夫になるなんて――そんな未来が、本当に許されていいのだろうか。

 嬉しさと戸惑いが胸の奥で激しく混じり合う。


とくん、とくん――胸の奥で鳴る音が、やけに大きく響く。


言葉にならないまま、レティシアはそっと目を伏せた。


 



レティシアは白百合の刺繍が施されたドレスを選んだ。


繊細な刺繍が胸元を彩り、陽の光を受けて角度を変えキラキラと輝いている。


今日は、運命の人との顔合わせの日――。

 期待と不安で心を震わせながら顔合わせの日を迎えた。




「……僕には、昔から想い人がいます」




彼の第一声が、それだった。


言葉は、刃よりも静かに胸に届いた。


リュシアンは、その真摯な瞳を逸らすことなく、レティシアをまっすぐに見つめていた。




 苦悩と、誠実と、どこか遠い場所を見つめるような翳りを宿したまま。


 まるで罪を告げるかのように静かに言った。




「あなたには、何ひとつ罪はありません。ただ……僕の心は、もうずっと前から、他の誰かに向いているのです」

「……」

「貴女を愛することは……心から、愛することはできません」

「……」

「けれど、パートナーとしてなら。共に支え合い、家を守るために尽力します。……それが、せめてもの誠意です」


 

レティシアは微笑もうとした。


けれど、口元が震えた。目元に熱がこみあげ、視界がにじんでくる。




その声音は優しく、そしてどこまでも残酷だった。

 


彼の言葉は誠実だった。非の打ち所がない。


だが、それが余計に苦しかった。


拒絶してくれた方がまだ良かった。


怒りでも、嫌悪でも、何かしらの感情で突き放してくれれば――





この恋も、いっそ終わらせることができたのに。



けれど、彼は「支え合いましょう」と言った。


その瞬間、レティシアの長く秘めていた恋は、

死に場所を失った。


朽ちることも、昇華することも許されず、

ただ、宙ぶらりんのまま。


 少女の心に残されたのは、希望という名の毒。

少しずつ、けれど確実に、彼女の中に広がっていく。


 それでも微笑まなければならない――

貴族の令嬢として、彼の婚約者として。




でも、ただの少女としてのレティシアは、もう心の声も出せないほどに、静かに、泣いていた。




**


 

ぎこちなく始まった夫婦生活。


二人は広いリーベンシュタイン邸の中で、互いに必要以上の距離を取り合っていた。表面上は円満な夫婦としてふるまっていたけれど。


リュシアンは財務に専念し、レティシアは慈善活動と社交界の役目をこなしていた。


家は滞りなく運営され、使用人たちの間では「理想的な夫婦」とさえ囁かれていた。



すべては、滞りなく、整然と――。




けれど。


誰も知らない。




レティシアの胸の奥で、どれほど多くの言葉が飲み込まれたかを。


廊下ですれ違うたび、あと一歩、あと一言が踏み出せずに、そっと目を伏せる時間が、どれほど積み重なっていたのかを。


「理想的」と呼ばれるほどに、彼女の恋は遠くなっていった。

まるで、夜空の星のように――きらめいて、手が届かなくて、それでも目を離せなくて。




レティシアは、今日も穏やかな笑みを浮かべる。

その胸に、触れられぬ恋をそっとしまい込んだまま。

 

 

夜になるとレティシアは決まって、自室の窓辺に座った。

月明かりに照らされたティーカップには、もうほとんど温かさは残っていない。


けれどそれでも、彼女はそこに座り、ひとり思いにふける。


 リュシアンは、隣の部屋で静かに眠っている。

背中を向けたまま――まるで、心ごと閉じた扉のように。




(今、誰を想っているの……?)




胸の奥に、そっと問いが生まれる。

返事はないと知りながら、それでも、問いかけずにはいられなかった。




それでも。



 

レティシアは彼の隣に立てるだけで、かすかな幸せを感じていた。

 

 たとえこの想いが届かなくても、いつか。

いつか、ほんの少しでも、彼の心に触れられる日が来るのなら。




このままでも、いずれ想いは届くかもしれないと——。



 

***




そんなある日。



レティシアは、ふとした拍子にリュシアンの執務室で一通の手紙を見つけた。

机の上、整然と並ぶ書類の隙間に、それは置かれていた。


どうやら、執事が書類と共に差し入れたものらしい。




 

封筒には、女性らしい繊細な筆跡でこう書かれていた。




「また、あの場所で会いたい——エリス」




レティシアの胸の奥が、冷たく沈んだ。



エリス。その名は、彼の口から何度か聞いたことがある。



 やわらかくて、愛おしそうで、けれどどこか遠くを見るような響きで呼ばれていた、あの名前。




かつての想い人――そう、すぐにわかった。




(……彼女と、会っているの?)




 胸の奥がきゅうっと締め付けられ、息が詰まりそうになる。

 

けれど、レティシアはそのまま手紙を元に戻し、何もなかったようにそっと部屋を後にした。





 

翌朝。

レティシアは、何気ない顔を装って、食卓で彼に尋ねた。



「この前、お手紙を落とされたようですわ」


「……手紙?」

 

「“エリス”という女性からの。お手紙でした。」



リュシアンの指が、微かに震えた。

その一瞬を、彼女は見逃さなかった。



「……それは、昔の婚約者です。彼女は……亡くなったと思っていた」


「“思っていた”?」


「死んだと聞かされていた。だが、どうやら生きていたようで……僕も、混乱しています」




レティシアは、微笑んで頷いた。



心が千切れそうになっても、笑顔だけは崩さなかった。


 

その夜。彼女は一人、書斎にこもった。


 暖炉の火もつけず、ただ静かな灯だけを傍らに置いて。




悲しいわけではなかった。

怒っているわけでもなかった。




——ただ、空しかった。




まるで、自分の中にぽっかりと空いた小さな穴を、風だけが通り抜けていくような感覚。

 

 彼の隣にいられるだけで幸せだと思っていた気持ちは、いったいどこに行ってしまったのだろう。

そして、自分はこれから、何を抱いて生きていけばいいのだろう。


紅茶も、本も、言葉さえも、今夜のレティシアには届かなかった。




****




けれども、その翌朝。

 朝の光が差し込む食卓で、リュシアンはいつもより少しだけゆっくりと椅子に腰を下ろした。


そして、レティシアのほうをまっすぐに見て、静かに口を開いた。




「エリスとは、会わないことにしました」

 


その言葉に、レティシアは思わず手にしていた食器を落としそうになった。

 

 「えっ……?」

 声がかすれる。思いがけなさすぎて、息が止まりそうだった。



リュシアンはゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「それは、貴女に対して誠実ではないから」




彼の目は、まっすぐだった。

あのとき手紙を見つけたときの、どこか揺らいでいた視線とは違う。

 



「貴女が……今の私にとって、かけがえのない存在になっていると、気づいたからです」




その言葉に、彼女は驚いた。



 (これは、夢……?)



そう問いかけたくなるほどに信じられなかった。

でも、その表情は、声は、空気のすべてが、彼の本心だと告げている。




「貴女と過ごす時間が、日に日に愛おしくなっていた。それを、“愛”と呼ぶのなら……私の心は、すでに貴女に在るのかもしれません」




そう語る彼の目は、もう遠くを見てはいなかった。

 まっすぐに――彼女だけを見つめていた。




レティシアの胸の奥が、じんわりと熱を帯びていく。


それは痛みでも戸惑いでもなく、名前のつけようのないほど優しい感情で。


気づけば、ひとしずく、またひとしずくと涙が頬を伝っていた。

 


温かく、胸の奥を満たしていく――そんな涙だった。






そして——真実は、ある日ふいに明らかになる。


リュシアンの“想い人”


それは、ずっと彼の記憶の奥底にしまわれ、恋焦がれてきた、たった一度きり出会った少女。



名も知らず、顔さえおぼろげなまま、ただその記憶には、


風に揺れる花の香りと、差し出された白いハンカチだけが残っていた。


あの日、庭園で、ふたりはほんの数分だけ言葉を交わしたにすぎない。




「えっと…はい、これ使って!

なんか、泣いてるの、もったいない気がして…

だって、笑ってた方がかっこいいもん!」




 そんなふうに、まるでお日さまのような笑顔で——


困っていた少年に、迷いなく手を差し伸べた少女。



そしてその白いハンカチこそが、彼にとっての“たったひとつの手がかり”。


それは——レティシアが、幼いころに手渡したものだった。




あの時、緊張で声もかけられず、すぐに背を向けてかけて行ってしまった少女。


その後会えぬまま、お礼も言えず……それが、リュシアンの初恋であり、今も変わらぬ“ただひとり”だった。




——ずっと、彼は彼女だけを、想い続けていたのだ。




真実に気づいたその瞬間、二人の心が重なった。




「……あなたの“想い人”は、私だったのね」

「そうだったんだ。最初から、ずっと……君だけだったんだ」




まるで長い夢の中を彷徨っていたような日々に、

ようやく、ひとすじの光が差し込んだように。


ふたりはそっと、互いの手を取り合う。

その手のぬくもりに、答えはすでにあった。



恋は、時を越えて、形を変えて——



それでも、確かにそこに、存在していた


 

最後まで見ていただきありがとうございました。

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誠実さが愛を結ぶものであって欲しいよなぁ、としみじみ思わされました。 ハッピーエンドで良かったです!
レティシアの一途さとリュシアンの誠実さが、噛み合わなかったり、すれ違ったりしながらも、最後には結ばれる展開が少女漫画らしくてとてもよかったです。 また、過去を思い出す→リュシアンがレティシアに抱く想い…
レティシアの不安や喜び、彼女の感情が繊細に描かれていて、引き込まれました…!作者さんが書かれているように、少女漫画らしくもあるし、ハンカチによってお互いの気持ちが分かるシーンは一つの劇を見ているような…
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