我が主君が婚約破棄しそうと言われている件について
以前書いた「婚約破棄は時間の問題、そう言われて結構な時間が経ちました」の続きを別視点で書いた作品になります。
本作だけでも楽しめますが、前作も読んでいただけたら一層楽しめます!
アレクシス皇太子の従者、イェオリは今日も溜息を吐く。
従者の溜息など許される行為ではないのだが、周りの誰もが同情して咎めることはない。
「遠路はるばるご苦労、レーナ嬢」
「殿下のお召しより他に優先すべきことはありません」
アレクシス皇太子とレーナ・ファーンクヴィスト侯爵令嬢は政略結婚とはいえ婚約者同士である。
それなのに、2人が揃うところにはブリザードが吹き荒れると噂されるほどその仲は険悪に見える。
言葉は社交辞令程度にしか交わさないし、その表情も凍てついたかのように動きすらしない。
周りの大臣諸侯もまるで戦場のような雰囲気に吞まれて微動だにせず、垂れ落ちる冷や汗をハンカチで拭うものまで現れる始末だ。
そんな中でも、僕は溜息こそ吐いたもの冷や汗をかいたり、緊張したりなどしない。
むしろ温かい目でお2人を見守っていると、それに気づいた諸侯の皆様があり得ないものを見たような目をするのもお約束になっていた。
前に舞踏会でお2人に飲み物をお出しした時だったっけ、険悪としか言いようのない2人の間に立っても微笑みを崩さず、緊張さえしないで術者の役目を果たしていたら貴族の皆様が驚いていた。
あの少年は何者だ、あの歳でよっぽど肝が据わっている、なんて声が聞こえてきて、その日はいつもより胸を張っていたっけ。
おっと、そろそろ台本通りのような会話をする殿下に時間だと伝えなければ。
あのお2人に割り込むような役目は僕じゃないと出来ないんだよね。みんな緊張で言葉が震えてしまうから。
「殿下、そろそろ執務のお時間にございます」
「うむ、そうか。ではこれにて失礼致す。レーナ嬢も客間を用意しているので、そちらで長旅の疲れを癒やされよ」
「殿下のご厚意、痛み入ります」
客室と殿下の執務室、私室は離れた所にある。
婚約者なのにこう冷遇するとは、という声が漏れ聞こえてきそうだ。これは、今夜の晩餐会の話題に上がるかな?
「イェオリ、レーナ嬢を客室へ案内せよ」
「承知いたしました。ご案内いたします」
「ええ、よろしくお願いします」
周りで成り行きを見守る人たちを気に留めることなく、僕は命じられた役目に従う。
レーナ嬢を客室へご案内する間も、すれ違う人たちから色々な目を向けられる。
それはそうだ、貴族でなくとも殿下とレーナ嬢の間柄は知られている。そろそろ理由をつけてお払い箱にされるのではないか、という声だって漏れ聞こえてくるほどだ。
「殿下はお忙しいのかしら?」
「本日は晩餐会まで執務のご予定となっております。忙しいので、誰も執務室に入れるなとの仰せです」
「そう…….私も長旅で疲れました。晩餐会まで休みたいので、部屋には誰も入れないで頂戴」
「承知いたしました、使用人にも申し伝えます」
案内に連絡、忙しいことだ。僕の休みはいつになることだろう。
「しかしながら、お飲み物だけはお持ちした方がよろしいでしょうか?」
「そうね、着替えるから30分くらいしたら持って来てくださるかしら」
「はい、30分後にお伺いします」
そう返事して、客室の扉を開く。
さあ忙しくなるぞ、あちこち連絡に走ってお茶の支度、後は新人メイドの教育もしないとね。
これが終わったら、殿下に休みをくれっておねだりしようかなぁ。
※
「連絡は以上です。よろしくお願いします」
メイド長に漏れなく連絡すると、彼女はその指示を何度も繰り返して暗記していく。
紙は貴重だし、そもそも使用人に読み書きが出来る者は多くない。メイド長は読み書きができるはずだけど、やはり使い捨てるような余裕はないのだろう。
「助かるわ。お2人のお給仕はメイドたちがみんな怯えてしまってねぇ……」
「仕方ないですよ。僕が応対しますので、晩餐会の準備をお願いします」
「イェオリ君、16歳だったわよね?随分と肝が据わっているから、もっと大人に見えるわ」
そうでしょうか、などと答えながら心の中では苦笑を浮かべる。
そりゃあ、ブリザード吹き荒ぶ氷山に行けと言われて怯えないわけがない。
「ご冗談を。それよりも僕は仕事がありますので」
そう言ってティーセットを乗せたカートを押し、客間へと向かう。
僕以外にレーナ嬢の客間近くを歩く物好きはおらず、客間というよりは姫を幽閉した監獄と言う方がしっくり来るかもしれない。
「さてさて、時間がないなぁ」
客間の前には1人のメイドが立っている。
少し薄汚れた服を着て俯く新人メイドはこちらに気付くと、こっそり人差し指を立ててみせた。
「それじゃあ、殿下へお茶出しに行きますよ。礼儀見習いなんですから、しっかりと着いてくるように」
「わかりました、イェオリさん」
客間にはノックすらせず踵を返し、新人メイドを引き連れて殿下の部屋へと向かう。
用がないならば呼ぶなと言われているとメイド長に伝えたこともあってか、レーナ嬢と殿下の部屋の間には誰も歩いていない。
「ここが殿下の執務室です。粗相のないようにしっかり見ていてくださいね」
新人メイドにそう告げた僕は扉を3回ノックして、遅れて2回叩く。
それは教えられてきた礼儀作法とは異なるノックであり、僕の先生である侍従長に見られたらどれだけ怒られるか想像もつかない。
もちろん、新人メイドに見せるような作法であるわけがない。
でも、これでいいんだ。
ほら、中から咳払いの声が聞こえてきた。
「入りますよ」
「イェオリか。後ろのは?」
「行儀見習いの新人メイドです」
「ふむ……少し茶が飲みたい。イェオリは下がって良い。そのメイドだけ給仕に置いておけ」
「わかりました。それではくれぐれも粗相のないように」
そう言い残して執務室を出れば、僕は自然とため息を漏らしてしまう。
「全く、今度はメイドにまで化けるなんて……本当に難儀なお2人だよ」
その溜息の元凶たる主君は今頃、メイドに化けたレーナ嬢と仲睦まじく逢瀬を楽しんでいるはずだ。
仕事するから人を寄せるなとか言っている癖に、仕事が進むわけあるもんか。
「またカール殿に愚痴の手紙出そうかなぁ。貴方の妹さん早くなんとかしてください、ってね」
レーナ嬢の兄で、ファーンクヴィスト家嫡男のカールとは身分関係なしに文通をする仲になった。
その内容というのも「お宅の妹さん、早く殿下と結婚してくれません?見ているこっちがもどかしいです」とか、「強欲の化身たる親父殿が中々隠居しない。ちょっと粗相をするよう仕組むから、殿下に激怒してはもらえないか?」などというやりとりが主だ。
レーナ嬢とカール殿の父、ファーンクヴィスト家現当主があまりに権力欲の強い人で、王家と血縁になると何をやらかすか分からないと警戒されているからこそ、殿下は大っぴらにいちゃつけないし結婚にも踏み切れない。
ならばなんとかして当主を交代できないかと、カール殿とは何度も密談を交わしていた。
それまでの繋ぎとして、手紙の封蝋に意味を持たせてみたり、炙り出しを仕込んだらしたのも僕の入れ知恵だ。
なんなら初顔合わせの後、「緊張のあまり上手く話せなかった。どう取り繕えばいいだろうか?」などと珍しく弱気な殿下に手紙をこっそり渡すように助言だってした。
城下町の路地裏でネズミのように過ごしていた捨て子の僕を拾って、侍従として召し抱えてくれた殿下への恩返しなんて、こんなことしかできないから全力だった。
今もこうして色々と手を回して2人をくっつけようとしているし、恩返しよりも早く結婚して欲しい、という気持ちの方が強いかもしれない。
「あ、そう言えばいいことを思いついた」
僕は足早に殿下の執務室に戻り、また例のノックへ咳払いが返ってきたと同時に扉を開ける。
「邪魔をするなと言ったはずだが?」
「予定をお伝えし忘れたもので。ところで、メイドが首を虫に刺されたようですね」
「……蚊がいた。それで、予定とはどの予定だ」
殿下、ちょっと慌てましたね?レーナ嬢も顔を背けて頬を染めていますよ。
「今月末、ファーンクヴィスト侯領地の視察となっておりましたが、馬車のご用意につきまして」
「……抜き打ちの視察だ。護衛のみの小規模で行く。馬車にはカーテンをつけて周りから隠せ」
「御意に。移動については侯爵令嬢が案内として同乗する手筈となっております」
それでは、と再び執務室を出るけれど、聞き耳を立てるつもりにはならない。
馬車の準備について、担当に掛け合っておかないと。どうせ誰も見ていないのをいいことに、馬車の中でたっぷりイチャつくんだろう。
事情を知る僕が御者をやらされるのだから、どれだけ甘いことを言い合っているのかをずっと聞かされるんだ。今から聞いておく必要もない。
「着いたら視察という名のデートなんだろうなぁ。僕はカール殿とゆっくり見守っておこうか」
その時にまた当主交代計画について話し合うことになるんだろう。
さーて、忙しくなるぞ。
カール殿とは思い切り苦いコーヒーを飲みながら、今日のことを語り合うとしよう。
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