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六、朧月

 厚い雲が空を覆い、夜の王都エーレは深い闇に包まれています。星々の光も遮られて人々は導きを得ず、夜空を支配する月の威光もわずかに雲に透けるのみです。底冷えのする空気はこの国の未来を閉ざし、望み無き運命を暗示しているようでした。

 オルデン王は供の一人も連れず、誰もいなくなった『季節の塔』の入り口の前に立っていました。王の手には一振りの長剣が握られています。抜き身の刃は自ずから仄かに光を放ち、灯火のように周囲を照らしていました。この長剣は『太陽の剣』と呼ばれ、レスカテ建国の王が神より賜りし聖剣と伝わっています。千年前、建国王は季節を統べる女王の守護者としてこの剣を掲げ、アルファシル統一の兵を挙げたのです。

 オルデン王は剣の切っ先をそっと季節の塔の扉に近づけました。扉をカチカチに凍り付かせていた氷は抗い、抗いきれずに徐々に溶けていきます。やがて扉は完全に冬の束縛を逃れて本来の姿を現しました。王は扉に手を掛けます。この扉を開けば、『女王』に会うことができる――


「……貴女は、何を考えている?」


 王のつぶやきが白い息と共に空気に溶けて消えていきます。扉に手を掛けたまま、王は動くことができずにいました。扉を開け、『女王』に会って、王はいったい何を言えばよいというのでしょう。皆が困っている、責務を果たせ、何も考えずに祈り続けろ、とでも?


「その扉を開ければ――」


 不意に王の背後から声が掛かりました。振り返らずともわかる声の主は、感情のない声で言葉を続けます。


「女王は貴方に謝罪し、再び祈り始めましょう。季節は正しき巡りを取り戻し、人々の動揺は収まる」


 王はコルドゥーンの淡々とした声を黙って聞いています。


「女王の力なくばレスカテは、いやアルファシルは、自然に翻弄され怯え暮らす千年前の日々に戻らねばなりませぬ。飢えが、災害が人々の命を奪う。その理不尽に抗い、偉大なるアロンガスは女王を造った」

「私にもその高邁な意志を継げと?」


 王の言葉には強い皮肉と怒りがありました。コルドゥーンは首を横に振ります。


「貴方様の征く道は貴方ご自身がお決めなさい。王の声は国の声。王とは『正しさ』の意味を規定する者のことなれば」


 王は目を瞑ります。瞼の裏に一人の少女の姿が浮かびました。表情を失くして感情を忘れた少女の姿が。王の心臓の奥に刺すような痛みが走ります。

 王の両肩にはレスカテに住むすべての命が乗っています。王の判断でその命は容易く失われてしまう。女王の庇護に慣れ切った人々は、厳しい自然に放り出されて生き残ることはできないでしょう。冬が終わらぬ今の状況に人々が騒ぎ立てずいられるのは、彼らが生き残る術を持っているからでも、未来を確信しているからでもありません。きっと誰かが何とかしてくれると無邪気に信じているから、ただそれだけなのです。

 この扉を開ければ、きっと明日には春が来るでしょう。世界に平穏が訪れ、人々は安堵し、去年と変わらぬ今年が始まる。そう、変わらないのです。千年続いた安寧を人々はこれからも享受し続ける。一人の少女の虚ろな祈りが響く世界は、何も変わらないのです。

 風が吹き、空の雲が流れていきます。雲間からのわずかな月光が世界を浮き上がらせました。雲は次々に湧き、すぐにまた空を覆うでしょう。しかしまだ、世界は完全な闇に覆われてはいません。

 王は目を開け、扉から手を放してコルドゥーンを振り返りました。挑むように鋭い瞳で、


「まだその時ではない。今は、まだ」


 王はそういうと、いくぶん早足で城へと歩いていきます。コルドゥーンは恭しく礼をして王の判断に敬意を示すと、その背を追っていきました。『季節の塔』の扉が再び凍り付き、痛いほどの静けさが辺りを支配していました。

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