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三、伝承

 歌う酒樽亭は相変わらず騒がしいままで、あちこちから大声の自慢話や、下手な歌や、カード遊びに興奮した人々の歓声と悲鳴が響いています。そんな中、舞台の奥から一人の楽士が現れました。金の髪は肩まで伸び、前髪が目まで覆って表情を隠しています。体つきは華奢で、ひょろりと背が高く、派手な衣装を着て、手には竪琴を持っていました。一見して男とも女とも判じ難い、奇妙な雰囲気をまとっています。楽士はおもむろに竪琴をつま弾くと、挨拶も口上もないまま、歌い始めました。


 今宵奏でるは千年を遡る昔語り

 民の救済に己を捧げし乙女と

 それを守りし王の詩


 楽士の声は特別に大きいわけでも、ひどく特徴があるわけでもありませんでしたが、まるで染み入るように店の中に広がっていきました。今まで好きなように騒いでいた客たちもしゃべるのを止め、楽士のほうを振り返りました。ウソのように静まり返った店内を支配するように、楽士の声と竪琴の音だけが響きます。


 かつて世に悪徳と災厄の蔓延れる時代あり

 人は神より与えられし大地を分かち

 我こそが覇者たらんと相争う

 罪なき者どもが野に骸を晒せば

 太陽さえその姿隠し給う

 人の暴虐その果てを見る能わざれば

 春は芽吹きを厭い

 夏は長ずるを拒み

 秋は実りを与えず

 冬は安らかなるを許さじ

 

 北の果てに小国あり

 国の小さきといえども

 民は清廉なるを旨とし

 王は高潔なるを礎とす

 民は王を支え

 王は民を守らん

 恵み乏しき荒れ野の地で

 世に稀なる平和を得たるなり

 

 されど愚者どもの欲は足るを知らず

 北の荒れ野をも喰らわんとす

 小国の王は争うを好まず

 民を連れ険しき山岳に身を隠したり

 正しき者はその正しきゆえに地を追われ

 恥ずべき者どもはその無恥ゆえにのさばらん

 神は人に望みを失い給う

 

 神ははるか高きに去り

 人は己が愚かなるを知る

 あまねく満ちたる御力の失せたれば

 自然の理さえ形を成さざるなり

 春の終わりが雪に閉ざされ

 夏の盛りに紅き葉の舞い散らん

 季節の巡りは正しきを得ず

 麦は穂を付けずして黒く立ち枯れ

 羊は仔を成さずして死に絶えぬ

 愚者どもは乏しき恵みを争い

 世の嘆きと怨嗟は天に満ち満ちたり


 山岳に隠れし正しき王

 世の民の窮するを嘆き

 天にまします神に希う

 神は王に言葉を託し給う

 季の移ろいの乱れしは

 人の心の乱れしゆえなり

 心正しき者の季を司らば

 乱れは自ずから正されん

 されど季を司るは

 人の身に過ぎたる力なれば

 弱きは命を失うのみ

 強く明らき者のみが

 季の理を身に宿さん


 正しき王、大いに悩めども

 世を救わんがため身を捧げんとす

 されど民は導き手の失せんことを恐れ

 王に縋りて其れを止めん

 王は民の願いに翻意せりと雖も

 世の乱れは極みに至りて

 痛苦の涙は大河の流れとならん


 神に仕えし乙女

 王の前に進み出で

 我が命魂を以て世を正さんと奏す

 王、大いに嘆き

 幾度も諭し説き伏せんとす

 なれど乙女の志揺るがす能わざれば

 王、ついに意を認め

 神の御許に遣わしたり


 乙女、清く明らき心で神の御前に立ち

 季の司ならんことを請う

 神の光、乙女を包み

 乙女は四季を統べる力を得たり

 乙女の祈り地に満ちれば

 春は芽吹き、

 夏は育ち、

 秋は実り、

 冬は眠らん


 季の巡りは正され

 王、大いに喜べども

 世の乱れ未だ治まらず

 愚者ども乙女の力を奪わんと欲す

 王、乙女を守らんと

 ついにその剣を掲げたり

 神は正しきを幸いとし

 愚者どもは紙裂くやに敗れ去りぬ

 正しき者はその正しきゆえに世を統べ

 恥ずべき者はその恥ずべき故に失せぬ

 かくして世は安寧なるを得

 永遠なる繁栄の幕は開きたり

 王国よ

 わが祖国よ

 神の恩寵に満ちたる国よ

 永遠に正しくあれ

 永遠に強くあれ

 永遠に栄光あれ


 楽士は最後まで歌い上げると、客に向かって深く一礼しました。わずかな静寂の後、歌う酒樽亭は大きな歓声と拍手に包まれました。中には感激の涙を流し、「王国万歳」と叫ぶ者たちもいます。客たちは舞台に向かっておひねりを投げ、楽士はお礼を言いながらせっせとそれを拾っていきます。一つ残らずおひねりを拾い上げた後、楽士はもう一度客に向かって礼をすると、優雅に身をひるがえして舞台の奥へと消えていきました。


「ちょっとしたもんだろう?」


 主人が少し自慢げに、アッシュに言いました。


「そうだな」


 グラスをもてあそびながら、あまり気乗りしない様子でアッシュは答えます。


「気に入らなかったかい?」


 驚きと、やや不満げな表情を浮かべて、主人はアッシュに問いかけました。アッシュはあいまいな笑みを浮かべると、


「歌い手はいいんだがね。もっと別の歌が聞きたかったな」


 どこか冷めた顔をしてそう言いました。

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