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二、歌う酒樽亭

 レスカテ王国の王都エーレはアルファシル島の中央に位置し、大河ダートゥムの恵みによって栄える千年都市です。その中心には王の居城であるアダマス城がそびえたち、人々にその威容を誇っています。

 エーレは外周をぐるりと城壁で囲まれており、街を南北に貫く『白石大路』と、東西に貫く『黒石大路』によって大きく四つの区画に分かれています。北東区画には主に聖職者や貴族、騎士など身分の高い人々が多く、アダマス城と並んでエーレのシンボルとなっている教会の大聖堂があります。北西地区は裕福な商人たちが多く住む区画で、大小さまざまな店が軒を連ねています。南西地区は職工たちが住み、武具から日用品まで、たくさんの品物が毎日ここで生み出されています。南東地区は普通の市民が住む、いわゆる下町です。決して裕福ではありませんが、住民同士が助け合いながら暮らしています。

 南門から北にまっすぐ伸びる『白石大路』の南端には、大小さまざまな宿屋が並んでいます。もうすぐ日が落ちる時間とあって、どの宿の前でも客引きが道行く人々に声をかけていました。王様が出したお触れによって都に人が多く集まっている今、儲かるチャンスを逃すまいと、皆、必死なのです。

 その時、教会の大聖堂の鐘の音がカラン、カランと都中に鳴り響きました。大聖堂の鐘は時計仕掛けで、夜明けから日没までの間、一時間に一回、人々に正確な時間を知らせています。宿の客引きが「ほら、もうこんな時間ですよ」と声をかけ、幾人かの旅人はこれ以上いい宿を探すのを諦めて、適当な宿に消えていきました。


 次々と伸びてくる客引きの手を振り払いながら、アッシュは『白石大路』を歩いていました。道にはうっすらと雪が積もり、行き交う人々の足跡を残しています。例年、エーレの冬はその終わりに雪が積もり、雪解けとともに春を迎えるのですが、今年は一向に雪が解ける気配がありません。大路から少し入った路地には、屋根から落ちた雪の塊がそのまま放置されている光景があちこちで見受けられました。

 久しぶりの都の様子を確かめながら歩いていたアッシュは、一軒の宿の前まで来ると、その足を止めました。宿の看板には酒樽に腰かけた美しい娘が楽しそうに歌っている様子が描かれています。歌う酒樽亭という名のその宿は、彼が都に滞在するときの定宿でした。

 アッシュが扉を開けて中に入ると、そこは冬の静けさとは無縁の、熱気と喧騒にあふれていました。八つある丸テーブルはどれも満席で、ほどよく酔いが回った客たちは、大声で笑い、肩を組んで歌い、あるいはカード遊びに興じたり、旅の自慢話を競ったりしています。歌う酒樽亭は一階が食堂、二階が宿になっており、宿の客はもちろん、食事目当ての客も大勢いるのです。

 冬がいつ終わるとも知れぬこの状況で、何ともたくましいものだ、と感心しながら、アッシュはカウンター席へと向かいました。新しい客の姿に気づいたこの店でただ一人のウェイトレスが、嬉しそうに駆け寄って声を掛けます。


「いらっしゃい。久しぶりだね。まさかあんたまで来てるとは思わなかったよ」


 褒美なんかにゃ興味がないと思ってたけど、と言いながら、ウェイトレスは気安い様子で旅人の隣に座りました。彼女はこの宿の主人の子で、名前をルルカと言います。二人は彼女がエプロンに着られている頃からの付き合いなのです。


「褒美は欲しいさ。でも、目的は『女王』だな」

「誘拐でもするの? 確かに大金は手に入りそうだけど」


 唇に人差し指を当て、ルルカは何か考えるようなしぐさをしました。『女王』を誘拐して手に入る身代金の額と、お尋ね者になる危険を天秤にかけているであろう彼女の様子に苦笑いしつつ、アッシュは言葉を補いました。


「そうじゃない。今まで何年も正確に季節をめぐらせてきた『女王』が、今回に限ってそれをしなかった。理由が知りたくなるだろう?」


 なぁんだ、という顔をすると、ルルカは「あんたらしいね」と笑いました。


「物見高いのは相変わらずか。銅貨の一枚にもなりゃしないのに」

「習性みたいなもんさ」


 ふぅん、と、納得したような、そうでもないような、どうでもいいような、興味もないような、そんな返事をすると、ルルカはにかっと笑ってアッシュに言いました。


「あたしは断然、褒美のほうが気になるね。興味がないならあたしにおくれよ。もしもあんたが、女王様を塔から引っ張り出せたらね」


 考えとくよ、とアッシュが答えた時、テーブル席からルルカに注文の声がかかりました。ルルカは「はいよっ」と大きな声でそれに応えると、お仕事お仕事、とつぶやいて、慌ただしく席を離れていきました。


「騒がしくてすまないね」


 カウンターの中から、宿の主人が旅人に声をかけてきました。主人は背が低くて恰幅の良い四十過ぎの男で、まさに酒樽と呼ぶにふさわしい体型をしています。歌う酒樽亭の『酒樽』は、主人のこの体型が由来なのです。


「まったく、注文も取らずに行っちまいやがって」


 店内を慌ただしく走り回る娘を渋い顔で見やりながら、主人はおおげさにため息をつきました。アッシュは軽く笑って食事と酒を注文すると、


「元気そうでなによりだ」


 と言って目を細めました。


「ガサツに育っちまってなぁ。アレに合わす顔がねぇよ」


 主人がアッシュの前に、コトリと酒の入ったグラスを置きました。アッシュは昔を懐かしむようにゆっくりとグラスを傾けます。


「おかみさんに似てきたな」

「ナリだけはな。歌のほうはからっきしだよ。店の名前を変えるべきか、悩まにゃならんくらいさ」


 手際よく料理を作りながら、主人はそう言って笑いました。ジューッという、肉の焼けるいい匂いが広がります。

 歌う酒樽亭は、おいしい食事とおいしいお酒、そして歌が自慢のお店でした。カウンターの横には小さな舞台があって、歌い手の紡ぐ様々な物語に客たちは喝采を送っていました。恋の歌に胸を躍らせ、故郷の歌に涙し、仕事歌で盛り上がり、英雄譚に夢を見ました。すばらしい歌い手の存在が、歌う酒樽亭の『歌う』由来なのです。


「はいよ。おまちどうさん」


 アッシュの前に、香ばしく焼けたチキンソテーが置かれました。皮目はパリパリ、マッシュポテトが添えてあり、ドライパセリが料理に彩りを加えています。


「お、来た来た」


 アッシュはフォークを手に取ると、チキンに突き刺し、かぶりつこうと大きく口をあけました。すると主人はアッシュの前に、干しエビと干し貝柱のスープを置きました。ショウガの香りが、いかにも冷えた体を温めてくれそうです。


「……おい」


 アッシュは食事をしようとしていた手を止め、主人を半眼に睨みました。頼んだ料理は一品だけです。スープを頼んだ覚えはありません。

 しかしアッシュの視線をまるで気にする様子もなく、主人はさらに別の皿をカウンターに並べていきます。ドライフルーツと雪下キャベツのサラダ。オリーブオイルと酢、塩コショウで作ったシンプルなドレッシングが、雪の下で保存することでたっぷりと甘みを蓄えたキャベツの味を引き立てます。そしてさらに、オイルサーディンのガーリックパスタ。ニンニクの香りが食欲をそそります。


「おい。こんなに注文してないぞ」


 説明しろ、と言いたげに、アッシュは主人に少し尖った声を浴びせました。


「なんだ。腹でも痛いのか?」


 心配そうな表情を作って、主人はアッシュの顔を覗き込みます。


「こんなに払えないって言ってんだよ。食材を惜しげもなく使いやがって。原価はいくらかかってんだ」


 そんなことか、と鼻を鳴らして、主人はアッシュの不満を受け流しました。


「お前さんから金を取ろうなんて思っちゃいない」

「俺は、店で食事をするときは自分で金を出すんだよ。それが俺の流儀だって、何回言ったら分かるんだ」

「知らん。いらん。早く食え」


 主人はふいっと顔をそらし、皿を洗い始めました。


「こっの頑固親父。だいたい何だよこのメニュー。栄養バランス考えてますみたいな。お前は俺の女房か?」


 問われた主人はしばし手を止め、何か考えるように中空を見つめると、真剣な表情を作ってアッシュに視線を戻しました。


「そう思ってもらっても構わない」

「構えよ! そして願い下げだよ! なんで四十を越えたおっさんを女房扱いせにゃならんのだ!」


 アッシュは思わず身を乗り出して叫びます。主人は「気に入らんか」と腕を組むと、口の中でごにょごにょと何かつぶやきます。そして「これだ」というようにうなずき、確信をもってアッシュに告げました。


「『王都のお袋さん』でもいいぞ」

「嫌だっつってんだろうが。金を払って俺はあんたをおっさんと呼ぶ」

「ここは俺の店だ。金を取るも取らねぇも俺が決める」

「商売だろうが。金は取れ、平等に」

「知ったことか。俺の店じゃ、俺がルールだ」


 バチバチと火花が散りそうな勢いで、アッシュと主人は顔を近づけてにらみ合います。にらみ合いはしばらく続きましたが、やがて主人がアッシュから目をそらさないまま、挑発するような声音で言いました。


「で、お前は、チキンソテーを冷えて固くなってから食うのか? ぬるくてまずくなったスープが好みか? 俺が丹精込めて作った料理を、わざわざ味を落としてから食うのがお前さんの流儀とやらかね?」


 痛いところを突かれた、というように、アッシュはぐっと奥歯を嚙み締めました。熱いものは熱いうちに。冷たいものは冷たいうちに。料理にはおいしく食べられる時間があります。おいしいものをおいしいうちに。それもまたアッシュの流儀なのです。


「……金はここに置いておく」


 口惜しげに、噛み締めた歯の間から絞り出すような声でアッシュはそう言うと、椅子に座りなおし、金入れ袋から銀貨を取り出して、机に叩きつけるように置きました。


「勝手にしろ。あとで犬にでもくれてやるさ」


 ふふん、と勝ち誇った表情で、主人はアッシュを見ています。アッシュは悔しそうに主人から目をそらしました。

 このやり取りは五年以上前からアッシュが歌う酒樽亭を訪れるたびに行われる、恒例行事のようなものでした。アッシュは金を払うと言い、主人はいらないと言い、アッシュは机に代金を置き、主人は見ないふりをして、そして最終的に机に置かれた代金はルルカのポケットに収められるのです。

 気を取り直すように酒をひと口飲み下すと、アッシュの視界の端に小さな舞台が映りました。舞台はきれいに掃除され、ささやかな飾り付けがされています。


「舞台、使ってるのか」


 アッシュは主人に尋ねました。アッシュが以前ここを訪ねた時、舞台には布が掛けられており、その上にはホコリが積もっていました。


「少し前に旅の楽士が来てね。歌わせてくれって言うもんだから」


 主人はわずかに苦い表情を浮かべました。アッシュは「そうか」とだけ答えると、うれしそうにグラスの酒を飲み干しました。

 主人は舞台をしばらく見つめると、アッシュに向き直って言いました。


「今日もそいつが歌うことになってるんだ。もうすぐ始まるはずだから、聞いていってやってくれ」

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