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一、苦悩の間

 薄暗い部屋の中で、一人の男が陰鬱な顔で椅子に座っていました。足を組み、右手でひじ掛けに頬杖をついて、左手の人差し指でコツコツと椅子を叩いています。あまり広くないその部屋には、島中から集められた古今の貴重な書物が所狭しと並べられていました。この部屋は『備えの間』、あるいは『苦悩の間』と呼ばれ、王とごく一部の側近にしか存在を知らされていない、秘密の場所でした。


――ふぅー


 重たいものを身体から吐き出すように、男は長く大きな息を吐きました。年齢は二十代後半といったところでしょうか。ランプの光に照らされたその顔には疲労の色が濃く、実際の年齢よりも幾分老けて見えました。男の名はオルデン。五年前に王位を継承した、レスカテ王国の若き王です。

 オルデン王の視線の先には、机の上に散乱する大量の書類がありました。彼のもとには、王国各地の領主たちから、冬が終わらなくなった原因や解決の時期に関する問い合わせが、ひっきりなしに届いているのです。都を訪れる使者に応対し、回答を手紙にしたため、もてなし、手土産を持たせて帰す。毎日がそれの繰り返しで、本来すべき王としての仕事さえ滞っている状況に、オルデン王はうんざりしていました。


(解決の時期など、こちらが知りたいわ)


 心の中でそう悪態をついて、オルデン王は再び深いため息をつきました。『女王』がどうして急に冬を終わらせることを拒んだのか。どうして『季節の塔』の扉を閉ざし、閉じこもってしまったのか。オルデン王にはまったくわかりませんでした。

 王は、まだ彼が王子だったころに初めて会った、幼さの残る少女の顔を思い浮かべました。外見とは裏腹に、まるですべてを諦めたような虚ろな瞳が印象的でした。彼女は仮面をつけているのかと思うほど無表情で、何もしゃべらず、言われたことに頷き、ひたすらに季節が巡るよう祈りを捧げていました。主張せず、ただただ従順で、自分の意志など失くしてしまったかのようで、勝手に季節の巡りを止めるなどという大胆なことができるようにはとても見えませんでした。そしてそんな少女の姿は、オルデン王の心の深いところに、小さな傷をつけていました。


――ジジッ


 ランプの炎がわずかに揺れて、オルデン王は記憶の中に沈んでいこうとしていた思考を現実に引き戻しました。領主たちは事態の解決を王に迫るばかりで、自ら何か行動しようとする者は一人もいません。それどころか、冬が長引くことによって不足する金や食料を負担せよと要求する手紙も多く届きました。中には、もうすぐ食料が尽きるという悲鳴のような手紙も。


(危機に対する備えもせずに漫然と領地経営をしてきた報いだ。運命を受け入れ、おとなしく死んでおればよいのだ)


 心の中でそう思っていても、それを口に出すことはできません。金も食料も、援助しないわけにはいかないでしょう。もしそれをしなければ、各地の領主たちは不足分を自力で調達するでしょうから。彼らが金や食料を自力で調達するということは、自らの領民から奪うということに他なりません。冬が終わらない不安に加えて、領主が力づくで領民から金や食料を収奪する事態になれば、大規模な民衆叛乱すら起きかねません。領主たちをなだめ、落ち着かせるために、援助を断るわけにはいかないのです。


(とはいえ、金も食料も無限にあるわけではない。どのあたりで手を打たせるかな)


 オルデン王は頭の中で、各領主の持つ領地の人口、経済規模、また領主の家格、そして要求してきた援助の額を勘案して、彼らを当面黙らせることのできる援助の規模を計算し始めました。


 コンコンコン


 計算を始めた矢先、『苦悩の間』にノックの音が響きました。計算を途中で中断され、オルデン王は渋面で扉を睨みます。すると、王の返事を待たず、ガチャリと扉を開けてノックの主が『苦悩の間』に入ってきました。ノックの主は深い紫色のローブを身にまとった初老の男で、右手には奇妙にねじくれた樫の木の杖を持ち、左手には手紙の束を携えています。背が高く、がっしりとした体形をしており、背筋のピンと伸びたその姿は、見る者に実際よりも若々しい印象を与えていました。


「入室を許可した覚えはないぞ」


 オルデン王は、勝手に入室してきたその男に八つ当たり気味の尖った声を浴びせました。


「それは失礼をいたしました。入室に許可が必要とは知りませなんだもので」


 とぼけた顔でそう言いながら、男はオルデン王の前にためらいなく進み出ると、左手に持っていた手紙の束を王の目の前に置きました。


「陛下にお届け物でございます」

「おお、これは丁度よかった。ランプの灯りだけでは少々暗いと思っていたところだ」


 オルデン王は真顔で男の顔を見据えます。


「陛下」

「冗談だ。本当にそうできればと思ってはいるがな」


 男がたしなめるような目つきをすると、オルデン王はつまらなさそうに視線をそらしました。男の名はコルドゥーン。オルデン王の最も信頼する腹心であり、政治と兵法の師であり、王国の宮廷魔術師を務める魔法使いでもありました。


「それで?」

「それで、とは?」


 はて? と髭をなでるコルドゥーンに、遊ばれていると感じつつ、オルデン王は椅子からコルドゥーンを見上げました。この宮廷魔術師は、しばしばオルデン王をからかって遊ぶ悪い癖があるのです。


「とぼけるな。まさか手紙を渡すためだけに私を探していたわけではあるまい。それとも、宮廷魔術師を引退して郵便配達員に転職か?」

「陛下のお許しさえいただければ、すぐにでも転職してのんびりと老後を過ごしたいと存じます」


 表情を変えず、まじめくさった様子でコルドゥーンは答えます。オルデン王はひどく意地の悪い顔で言いました。


「誰が許可などするか。一生こき使ってやるから覚悟しておけ」

「何ともご無体なお言葉。老い先短い憐れな年寄りに、優しさのカケラもございませんな」

「何が憐れな年寄りだ。あと二百年は死にそうにない顔をしおって」

「二百年はさすがに無理ですな。いや、しかし、百八十年なら何とか……」


 腕を組み、ぶつぶつと言いながら真剣に考え込んだコルドゥーンの様子に、オルデン王は思わず噴き出してしまいました。「大差ないわ」とあきれたように笑うオルデン王を見て、コルドゥーンも少し安心したように笑いました。

 ひとしきり笑った後、オルデン王は表情を引き締めると、コルドゥーンに話を促しました。


「で?」

「で、とは?」

「話が進まん。いい加減に本題に入れ」

「そうですな。いささか飽きてきたところですし」


 今までの砕けた調子から一転、表情を改めると、


「例の件、処理が終わりました」


 コルドゥーンは事務的な口調でそう報告しました。オルデン王は、


「そうか」


と答えると、ほっとしたように椅子の背もたれに身体を預けて目を閉じました。

 例の件とは、オルデン王がコルドゥーンに対処を命じた、ある事件のことでした。冬が終わらなくなった、と人々が気づいた直後、一部の商人たちが食料や薪の買い占めに走ったのです。強欲な商人たちは買い占めた品物を自分の店の倉庫に隠し、品不足を意図的に引き起こして値段を吊り上げ、十分に高くなったところで売り払い、利益を得ようと企んでいました。そして彼らの目論見通り、都での物の値段はじわじわと上がっていきました。

 オルデン王はコルドゥーンに、「対処せよ」とだけ命じました。コルドゥーンも具体的な方法を聞きませんでした。コルドゥーンが何をしたのか、オルデン王は知りません。しかし、コルドゥーンが「終わった」と言った以上、問題が解決したことに間違いはありません。王都の物価はじきに安定を取り戻すことでしょう。


(何人が泣いたのやら)


 オルデン王は欲をかいた商人たちに、少しだけ同情しました。コルドゥーンが手ぬるいやり方で事態を収めたとは思えません。一時の利益に目がくらんだばかりに築き上げたすべてを失うこともあるのだという教訓を、激しい後悔とともに心臓に刻み込まれたに違いないのです。


「人死には出しておりませんぞ」

「当然だ馬鹿者」


 平然と言うコルドゥーンに、オルデン王は苦笑しました。

 これはオルデン王から商人たちへの警告です。物価を操作しようとしても無駄だ。次は本当にすべてを失うことになるぞ。王は商人たちにそう言ったのです。今回のことで、商人たちはおとなしくなるしょう。少なくとも、しばらくの間は。


「商人たちと繋がっている貴族たちがうるさいかもしれませんな」


 髭をなでながら、あまり気にもしていない体でコルドゥーンが言いました。


「放っておけ。構っている暇などない」


 ふん、と鼻を鳴らして、オルデン王はくだらないと顔をしかめました。

 商人たちが何もしなくても、冬が終わらなければ、再び物の値段は上がっていくでしょう。城にはしばらく都の人々を養うだけの食料が備蓄されていますが、それも無限にあるわけではありません。人々の間に冬が終わらないことへの不安が広がれば、やがてその不安ははけ口を求めて王国に牙を剥くということを、オルデン王は知っていました。


「おおよそ三月、というところでしょうな」


 オルデン王の心を読んだように、コルドゥーンは険しい表情で言いました。オルデン王はその言葉に頷くと、自らの表情を引き締めました。あと三か月。それまでに冬を終わらせなければ、この国は崩壊してしまうかもしれません。


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