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十七、追放

 真っ青な顔をして、ザジは片牙を見つめます。片牙は表情を動かすことなくザジに近付きました。慌てたようにザジは口を開きました。


「ど、どうして、ここに?」


 片牙はザジの質問に答えることなく、その正面からはっきりとした口調で言いました。


「ザジ、お前との縁を切る。もうお前は身内ではない。この街から出ていくがいい」


 ザジの身体が小さく震えます。つばを飲み込み、かすれた声でザジは縋るように言いました。


「ま、待ってくれ、オレは……!」


 片牙はそんなザジの言葉をピシャリと遮ります。


「ここは獣人街だ。殺しあうのもいい。人質を取るのも構わんだろう。だが、戦いを挑むなら勝たねばならん。獣人街に敗者の居場所はない」


 弁解を許さない片牙の静かな威圧にザジは気圧され、しかし必死に言い訳を探して視線をさまよわせました。その目にフォウと、そしてアッシュが映り、希望を見出したようにザジは身を乗り出します。


「だ、だったらフォウはどうなる? フォウだってそこにいる奴に負けたじゃないか!」


 片牙はわずかも感情を揺らすことなく、首を横に振りました。


「フォウの敗北とお前の敗北は意味が違う。ザジ、お前の名は今日の敗北をもって常に嘲笑とともに語られよう。名に威を失うは死より辛い辱めよ。お前を抱えることは『片牙』の名を、そして『片牙』の名に集うすべての者どもを貶めることになるのだ」


 残酷なほどに無感情なその宣告は、もはや取り返しのつかないほどにザジが片牙の信を失ってしまったことを示していました。ザジは片牙に手を伸ばします。しかしその手は片牙の護衛によって阻まれました。片牙の護衛は素早くザジの両腕を押さえて動きを封じます。泣きそうな顔で取り乱し、ザジは片牙に向かって叫びました。


「待ってくれ、許してくれ! あんたに見捨てられたら、オレはどうすれば!」


 片牙の顔が一瞬だけ表情を浮かべました。しかしそれもすぐに消え、片牙は冷静に残酷に言い放ちます。


「連れていけ」

「片牙!」


 悲鳴のような声を上げザジは片牙の名を何度も呼びました。しかし片牙はザジを見ようともしませんでした。引きずるように連れていかれるザジは、必死に抵抗しながら後ろを何度も振り返ります。


「フォウ! お前のせいだ! 全部、お前の! 覚えてろ、許さねぇぞ! オレは絶対に、お前を許さねぇからな!」


 フォウへの憎悪と呪詛の言葉を言い募りながらザジは連れていかれました。ザジの仲間たちも頬を叩かれて目を覚まし、同じように連行されていきます。フォウはぐったりとしてうつむきました。憎しみや恨みをぶつけられ続けることは、ひどく疲れることなのです。


「手間をかけたようだ、客人。不始末を詫びよう」


 片牙は固い表情でアッシュに頭を下げました。フォウが慌てて顔を上げます。


「片牙が謝ることではありません! 客人に助けてもらったのはおれの独断で」

「好きでやったことだ。詫びの必要はない」


 フォウの言葉を遮ってアッシュは傍らのトバに目を遣り、その頭を撫でました。トバはすまなさそうにうつむいています。フォウを危険に晒してしまったこと、妹たちを守れなかったこと、ミランダたちに大変な迷惑をかけてしまったこと、様々なことを考えて苦しんでいるのでしょう。フォウが口を開きかけ、しかしそれを制するように片牙は言いました。


「勝者はお前だ、フォウ。勝者にはそれにふさわしい報酬が与えられる。具体的には追って通達があるだろう」


 有無を言わせぬ口調でそれ以上の会話を打ち切り、片牙はアッシュに目を向けました。その目は感情を見せぬよう自制しながら、覆うことのできない憎しみのようなものが滲んでいました。片牙はすぐにアッシュから視線を外すと、踵を返し、振り返ることなく倉庫を後にしました。




――はあぁぁぁーーーーっ


 張り詰めたものから解放されたのでしょう、フォウは大きく息を吐いて床に座り込みました。ザジに散々に殴られ、顔は凄惨な状態になっています。トバがフォウに駆け寄って抱き着きました。フォウは痛みに顔をしかめ、声に出さないよう口を引き結びます。


「ごめん、兄ぃ。ごめんなさい――」


 謝り続けるトバの背をフォウは優しく叩きます。


「怖い思いをさせたな。よく頑張った。偉いぞ」


 胸に縋って泣くトバを右腕で抱き、フォウは顔を上げました。


「あんたにも世話になった。ありがとう」


 素直なフォウの目に一瞬たじろぎ、アッシュは少し意地の悪い笑みを浮かべます。


「リリとラサがどうなったか聞かないのか?」

「あんたがここに来たなら、ふたりは無事だろう」


 よどみなく答えたフォウの様子に言葉に詰まり、アッシュは小さく肩をすくめました。そこまで信頼されては何も言い返すことはできません。かすかに苦笑いを浮かべたアッシュに、今まで大人しくしていた男がしびれを切らしたように肘でアッシュの脇腹をつつきました。


「ちょっと旦那。俺たちのことを、ね?」


 忘れてた、というようにアッシュはわざとらしく手を叩きます。フォウが男に目を向けました。


「そのひとは?」

「施療院を出たときに声を掛けてきた男がいただろう? その男の仲間だ」


 アッシュは約束通りに、男たちがアッシュを騙して罠に掛けようとしたことは伏せたうえで、リリとラサの居場所に案内して救出に協力してくれたこと、救出後にふたりを店に送り届けてくれたことを、多少の脚色を交えてフォウに伝えました。片牙がここに来たのも、男たちの一人が決闘のことを伝えに走ったからなのです。フォウは心からの感謝を込めて男に深く頭を下げました。


「あなた方は恩人だ。この恩には必ず報いさせてもらう」

「い、いやいや、俺たちはそんな、大した事は」


 男は慌てたように両手を振ってフォウを制止しました。おそらく感謝されることが後ろめたいのでしょう。なにせ最初はアッシュを捕えて救援に向かわせないようにしようとしていたのですから。居心地の悪そうに身を縮める男をフォウは不思議そうに見ています。いたたまれなくなったか、男は強引に話題を変えました。


「そ、それより、そろそろここを出ませんか? 談笑するにゃ向かない場所だ」


 それもそうだ、とアッシュが男の提案に乗りました。トバもようやく泣き止み、ぐすぐすと鼻を鳴らしています。フォウはうなずき、気合の声を上げて立ち上がりました。


「帰ろう。リリとラサが待ってる」


 アッシュが呆れたような顔でフォウを制します。


「そんなナリでか? 余計に心配させるだけだろう。まず施療院に行って手当をして、ついでにミランダの親父さんに顔を見せるといい。その後ミランダを拾って、みんなで店に戻ろう」


 フォウは自分の服に視線を落としました。上半身はべったりと赤黒く染まり、かなりの量の血を流したことにようやく気付いたように、フォウの身体がぐらりと揺れました。アッシュが慌てて手を伸ばし身体を支えます。ほら見ろ、と言わんばかりのアッシュの視線に、フォウはバツの悪そうに目を伏せました。




 それからアッシュたちは施療院に向かい、フォウの手当てをして、身体をきれいに拭い、新しい服に着替えて、入院しているミランダの親父さんに会いに行きました。親父さんはフォウの無事を心から喜び、トバに「すまなかった」と詫びました。親父さんは命に別状はなく、一週間もすれば退院できるだろうと医者が言って、フォウとトバは安心したように顔をほころばせました。

 施療院を辞し、アッシュたちは今度は片牙の屋敷に向かいます。ミランダをフォウの部屋にかくまっているのです。部屋の扉を開けると、ミランダはフォウを見るなり抱き着いて泣き始めました。


「ごめん、ごめんよ! 家族だって言っといて、私、何にもできずに――!」


 強い力で抱きしめられ、フォウが思わず苦痛のうめき声を上げます。ミランダは慌てて腕を離し、「ごめん!」と言って再び涙を流しました。常になくしおらしい態度に目を白黒させながら、フォウは言いました。


「みんな無事だ。だから謝る必要はないよ」


 でも、としゃくりあげるミランダにフォウはからかうような口調で笑います。


「店でリリとラサが待ってる。ミランダが大泣きしてたって言ったらきっとびっくりするぞ」


 ミランダは泣きながら柳眉を逆立てて怒りをあらわにしました。


「わた、しだ、って、泣く、こと、ある、わ!」


 泣いてるんだか怒ってるんだか、とフォウは思わず吹き出し、右手の親指でミランダの涙を拭いました。


「ミランダは泣いてるより怒ってるほうが似合うよ」


 どういう意味だと言わんばかりにミランダは頬を膨らませます。涙は止まったようです。安心したように表情を緩め、フォウはミランダに言いました。


「帰ろう」




 『子猫のあくび亭』に戻るなり、ミランダは険しい声を上げます。


「ちょっと、どういうこと!?」


 店の中はひどく荒れ――机はひっくり返り、椅子の足が折れ、食器類が散乱し――ていて、窓際に置いたまだ健在の椅子にはぐったりとした様子の二人の男が座っています。そして床には縛られて芋虫のようにうごめいている三人の獣人の姿がありました。この獣人たちはリリとラサが捕らえられていた事務所にいた三人のようです。ミランダの叫び声が聞こえたのでしょう、バタバタと走ってくる音がして、奥の厨房からリリとラサが姿を現しました。


「大兄ちゃん!」

「小兄ちゃん!」


 フォウとトバの姿を認め、リリとラサがそれぞれ兄に飛びつきます。じっと帰りを待つ時間はとても心細かったことでしょう。フォウたちは妹を抱きかかえ、背中をポンポンと叩きました。


「無事か?」


 アッシュは椅子に座る男たちに声を掛けます。男はぐったりしたまま答えました。


「もう瀕死」


 声を出すのもおっくうだと言うようにかすれた声を絞り出す男をアッシュは労います。


「ちゃんと守ってくれたみたいだな」


 男ははっきりと苦笑いを浮かべました。


「旦那に斬られるのは勘弁なんでね」


 どうやら床に転がっている三人は、アッシュたちに人質を取り戻されてから再び店を訪れ、リリとラサを再度連れ去ろうとしたようです。それを男たちが阻止した、ということなのでしょう。獣人を相手に殺さずに捕える、というのは言うほど簡単ではありません。男たちは意外と腕がたつのかもしれません。


「しかし、おっさんがやるにゃハードな仕事でしたよ。その努力は認めてほしいね」


 言外に見返りを要求する男の図々しさに呆れながら、アッシュは「フォウにはいいように言っておく」と約束しました。「頼みますよ」とアッシュを見つめ、男は深く背もたれに身体を預けました。




 店を破壊されたことに怒り狂うミランダをようやくなだめ、アッシュとフォウは片牙の屋敷へと帰るために並んで歩いていました。すでに時刻は夕暮れに近く、今から『断崖』に向かったところで今日中には辿り着けません。出発は明日に延期し、アッシュはもう一晩、片牙の屋敷に泊まることになったのです。

 しばらく無言でふたりは歩いていましたが、やがてフォウがポツリとつぶやくように言いました。


「ザジの気持ちは、少し分かる」


 アッシュは無言でフォウの言葉に耳を傾けます。フォウは独り言のように言葉を続けます。


「片牙に拾われなかったら、おれはとっくにのたれ死んでたはずだ。見捨てられたくない。認めてほしい。役に立ちたい。いつもそう思ってる。ザジだってきっとそうなんだろう」


 だからって同情はしないけど、と言うフォウの表情は複雑な感情が混ざっていました。


「ザジはおれのことを片牙のお気に入りと言ったけど、片牙はいつもザジのことを考えていたよ。あいつは依存心が強すぎる、自分は必ずザジより先に死ぬのだから、一人で生き抜く強さを持ってもらわねば困る。そう言ってた。おれは片牙に信頼されていると思うけど、片牙が息子のように思っていたのはザジのほうだ」


 その声にはどこか、欲しいものを手に入れることができなかった渇望が滲んでいます。


「ザジは、気付けなかったんだな。おれはずっと、ザジをうらやましいと思っていたんだ」


 そう言った後、フォウは口を閉ざしました。アッシュは何も答えず、ただフォウの言葉を聞いただけで、結局ひと言も発することはありませんでした。




 アッシュをゲストルームに案内し、扉の前でフォウは改めて礼を言いました。


「世話になった。この恩は決して忘れない」


 アッシュは首を横に振ります。


「忘れていいぞ。めんどくさい」

「めんどくさいって」


 フォウは呆れたように笑いました。アッシュは大仰にうなずいてみせます。


「恩だの借りだの言ってたらキリがないだろ」


 フォウは目を丸くして、アッシュを初めて見る生物のように見つめました。そして力が抜けたようにふっと笑い、小さくうなずきます。


「明日の朝、迎えに来る。それまでゆっくり休んでくれ」


 フォウは軽く頭を下げると、踵を返して去っていきました。滞在が一日延びた、ということは、今日も新鮮な果物が食べ放題だということに気付いて、アッシュは急いで扉を開けて中に入りました。

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