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十四、決闘

 獣人街は『赤い川』と呼ばれる川で南北に分かたれ、大きく二つの街区が存在しています。南側が老狼『片牙』が支配する『ノトス』と呼ばれる場所、北側が老猫『片爪』が支配する『ボラス』と呼ばれる場所で、両者が互いに干渉することはなく、獣人街は平穏を保っています。

 また、獣人街は水路の街でもあります。水量豊富な『赤い川』から引いた水は街中を巡り、人々の生活用水として、また物流経路としても重宝されていました。『赤い川』の両岸は倉庫街で、外部から運ばれてきた様々な物資の集積地です。一度ここに集められた物が仕分けされ、水路を使って獣人街の各所に届けられるのです。

 そんな南岸の倉庫街の一画、消えかけた文字で『第八倉庫』と書かれた古びた倉庫に、フォウの姿がありました。フォウは雑然と積まれた物資で見通しの利かない倉庫の奥に向かって叫びます。


「来たぞ! 姿を見せろ!」

「うるせぇな。吠えてんじゃねぇよ」


 ニヤニヤと陰湿な笑いを顔に浮かべて奥からひとりの若者が姿を現しました。狼の顔をしたその若者は、暗く澱んだ瞳でフォウを見つめます。フォウは牙を剥き、鼻にシワを寄せてうなりました。


「……ザジ!」


 楽しくて仕方がない、と言わんばかりに、ザジは淀んだ瞳のままで大きな笑い声を上げました。




 店主を医者の所まで運び、アッシュとフォウはひとまず安堵の息を吐きました。ケガは決して軽いものではありませんが、店主の頑健さには死神も手が出なかったようです。治療を医者に任せ、ふたりは医院を後にしました。次はフォウの弟妹たちを助けなければなりません。しかしいったい誰が、どこに三人を連れ去ったのでしょう?


「相手に心当たりは?」

「あると言えばいくらでも。だが……」


 フォウが言い淀み、目を伏せました。心当たりがある、しかし口には出しづらい、ということなのでしょう。フォウのその様子にアッシュも敵の当たりを付けたようです。


「第八倉庫ってのは?」

「老朽化して今はほとんど使われていない古い倉庫だ。引き取り手のない荷物を勝手においていく奴が多くて、まるでゴミ捨て場になってる」


 ふむ、とアッシュは思案げに腕を組みました。ほとんど使われていないとなると、少々騒いだところで周囲に気付かれることはありません。そういう舞台を用意したということは、敵の狙いは明白です。人質を取られて抵抗できないフォウをジワジワと責め苛むつもりなのでしょう。命を奪うだけでは飽き足らない、という強い憎悪を感じ、アッシュは眉を顰めました。


「人質を取ったなら、それを俺に見せないと意味がないだろう? 三人とも第八倉庫にいるんじゃないか?」


 気が急いているのでしょう、フォウが身を乗り出します。フォウの言う通り、フォウの動きを封じるには人質の姿を見せておくのが一番有効ですが、それだけならば人質はひとりで充分です。あえて三人を攫ったのであれば、そのうちの二人は保険――万が一、倉庫で人質を奪還された場合でも、残りの二人を倉庫以外の場所に監禁していれば変わらず言うことを聞かせることができるでしょう。だとすれば、第八倉庫に三人ともが集められているとは考えづらい、とアッシュは考えていました。答えをくれないアッシュに業を煮やし、フォウが口を開こうとしたとき、不意にふたりに声が掛かりました。


「お困りかい? おふたりさん」


 振り返ると、声を掛けてきたのは見覚えのない中年の男でした。どこか人を食ったようなにやけたその顔は、いえ、どこかで見たような気も――アッシュはしばし考え、ふと思い出しました。昨日、『仔猫のあくび亭』でゴロツキと喧嘩を繰り広げた時、無責任にはやし立てていた常連客の中にいた男です。何の用で声を掛けてきたのか、アッシュは不信の目を男に向けました。男は慌てたように両手を前に突き出しました。


「待ってくれ! あんたたちを敵に回すつもりはない! それどころか有益な話だぜ? 聞かなきゃ絶対後悔する」


 アッシュとフォウは無言で男を見つめます。「うっ」と小さくうめき、男は気を取り直すように息を大きく吐いてから言いました。


「あんたら、攫われた子供を捜してるんだろ?」


 フォウが瞬時に男に詰め寄り、襟首を掴んで締め上げました。男が「ぐぇ」とうめき声を上げます。


「何を知ってる。言え!」


 締め上げられた男は顔を土気色にしてフォウの腕を叩きました。アッシュがフォウの腕を掴みます。


「それじゃ答えられんだろう」


 男を放し、フォウはギラギラと殺意を込めて睨みつけました。男は激しく咳き込み、目尻に涙を浮かべて空気を貪ります。


「……ひでぇな。こっちゃ、あんたの味方のつもりだぜ?」


 恨みがましい目でフォウを見た男は、殺意がいささかも揺らがぬことを悟って肩をすくめました。そして息を整えると、改めてフォウに告げます。


「俺は、店が襲われるところを見てたんだよ。まあ、俺だけじゃないがね」


 男は『仔猫のあくび亭』の常連仲間と共に、店が襲撃されている様子を外から見ていたのだと言います。フォウの顔がさらなる怒りに染まりました。


「どうして黙って見ていた!」

「冗談だろ? 『片牙』んとこの若いのと争ったらこっちが人生詰んじまうよ」


 勘弁してくれ、と男は両手を上げて降参の意思を示しました。フォウが舌打ちをして額にしわを寄せます。フォウの立場で獣人街の住人に「『片牙』に逆らえ」などとは言えないのです。


「ってことは、あんたは誰が襲撃犯か知ってるんだな?」


 横からのアッシュの問いに、男はホッとしたように笑みを浮かべて「もちろん」と答えます。フォウよりアッシュの方が話がしやすいと踏んだのでしょう。


「若衆頭の一人、ザジってやつだ」


 フォウが苦しげに歪みます。予想はしていた、とはいえ、こうして改めて突き付けられると思うところがあるのでしょう。同じ片牙配下の兄貴分が、どうしてこれほどまでに自分を憎むのか。弟たちを巻き込んで、恩人を傷付けて、それほどの憎しみを向けられるほどの何かを、フォウはザジにしたのでしょうか?


「俺のダチが子供を攫った奴らをつけてる。場所が分かったら知らせに来るぜ」


 ザジたちは子供たちを攫った後、二手に別れたと男は言いました。男はザジの後を、男の仲間は別れたほうの後を尾行したのだそうです。第八倉庫にザジが入ったことを確認して戻ってきたちょうどその時、アッシュたちが『仔猫のあくび亭』に来たのを見かけ、話しかけるタイミングを計っていたのだとか。いささかうさん臭さを感じながら、アッシュは男に聞きました。


「第八倉庫に連れていかれた子供はいたか?」


 男は得意げに答えます。


「トバだ。妹ふたりは別のほうに連れていかれた」


 フォウは牙を剥いて怒りを顕わにしました。アッシュの予想通り、ザジは人質を分散させたようです。どちらか一方を助けても一方が死ぬ、となれば、フォウはザジの言いなりになるしかありません。卑怯と言えばそうですが、それを許してしまったフォウが甘かったのだと言われたらその通りです。獣人街とはそういう場所なのです。


「あんたの立ち位置は?」


 今度は男がアッシュに問いました。にやけた表情に鋭い光がかすめます。アッシュは短く答えました。


「フォウの味方」

役に立つ(・・・・)味方か?」


 男の目がアッシュを値踏みするように見つめます。「当然」とアッシュは男の目を見返しました。男はにやりと笑い、フォウに顔を向けました。


「ザジが第八倉庫に入ってからそれなりに時間が経ってる。気の長い奴じゃねぇだろ? これ以上はトバがアブねぇ。こっちはこのビッグマウスの旦那に任せて、あんたは第八倉庫に向かってくれ」


 わかった、とうなずきかけたフォウを制し、アッシュは男に問います。


「あんたがこっちに味方するメリットは?」


 おっと、と小さくつぶやき、男はややバツが悪そうに言いました。


「俺は、言い訳を探してんの」

「言い訳?」


 フォウは首を傾げました。男はうなずき、言葉を続けます。


「『片牙』の手下を相手に暴れる言い訳。旦那に脅されたと言や、何とかなんだろ?」


 男は照れくさそうに目を逸らし、ポリポリと頭を掻きました。


「……あの店は、居心地が良かったんだよ」


 アッシュはフォウを振り返ります。信じるか信じないか、それを決めるのはフォウの役目です。フォウは男をじっと見ていましたが、


「信じる」


とはっきりと告げました。ありがてぇ、と男は破顔します。アッシュはフォウの肩をポンと叩き、表情を引き締めて言いました。


「時間を稼げ。できるな?」


 フォウはうなずき、くるりと背を向けて、第八倉庫に向けて走り始めました。その背を見送り、男はアッシュに気安げに話しかけます。


「こっちも動くかい? ダチも戻ってくるはずだ」


 落ち合う場所を決めているのだと、男はアッシュの返事も待たずに歩き始めました。ふむ、と男の背をしばらく見つめ、アッシュもまた男に続きました。




「遅かったじゃねぇか。待ちくたびれたぜ。まあ、その間はお前の弟に遊んでもらってたんだけどよ」


 薄暗い倉庫の中は埃が舞い、カビ臭く、空気は湿り気を帯びています。ザジが奥に合図を送ると、手下の一人がトバを連れて姿を現しました。トバは後ろ手に縛られ、体のあちこちに殴られた跡がありました。フォウの毛が怒りに逆立ちます。


「兄ぃ、ごめん――」


 か細い声でトバが謝ります。ザジが残酷な喜びをその目に宿し、引きつったような笑い声と共に高らかに宣言しました。


「さあ、始めようじゃねぇか! 正々堂々、俺とお前の、一対一の決闘ってやつをな!」

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