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九、家族

 門番をしていた戦士は自らをフォウと名乗り、別の男に門番を引き継いで、アッシュを獣人街の中へと招いてくれました。交代した男は普通の人間のようです。どうやら獣人街は、獣の顔を持つ者と人間が共存している場所のようでした。


「活気があるな」


 物珍しそうにキョロキョロと周囲を見渡しながらアッシュが言いました。通りは多くの人々が行き交い、道の脇には勝手に商品を広げた露天商たちが客と値段の駆け引きを繰り広げています。


「ここには各地からあらゆるものが集まる。たいていのものは手に入るよ、金さえ払えばね」


 フォウは少し得意げに答えます。門の外の無秩序な自由とは違い、ここには一定の規律の上に築かれた自由があるようです。少なくともここを行き交う人たちは、道を歩いているときに突然後ろから刺されることを心配してはいない様子でした。それはつまりこの街の顔役である『片牙』の統制が充分に行き渡っているということなのです。


「どれどれ」


 アッシュは露店の一つの商品を覗き込みました。粗末な(むしろ)の上に無造作に並べられているのは、怪しげな薬瓶、見たこともない動物のミイラ、錆びの浮いた短剣、そして豪華なルビーの首飾り。価値も種類もバラバラな商品が区別なく置かれていることにアッシュは軽くめまいを覚えました。


「詮索はするなよ。ここじゃそういうのはご法度だ」


 わかってる、という返事の代わりに軽く手を上げ、アッシュは息を吐きます。錆びた短剣の横にあるルビーの首飾りはおそらく本物。下手をしたら十年遊んで暮らせるほどの代物です。店主がいくらで売るつもりかわかりませんが、これほど無造作に扱われていること自体が驚きでした。まともに仕入れたものならこんな扱いは考えられません。つまり、これは盗んだか奪ったか――後ろ暗い方法で手に入れたものなのでしょう。獣人街はあらゆるものが集まる。それはつまり、そういうことなのです。

 冷やかしだと見抜いているらしい店主は、視線でアッシュに「もう行け」と伝えています。アッシュはちょっとだけ残念そうな表情を浮かべると、店主に別れを告げました。




 店を離れ、アッシュはフォウの先導を受けて通りを歩いていきます。人波は途切れることなく、注意していないとはぐれてしまいそうです。「はぐれるなよ」とフォウが声を掛け、「努力するよ」とアッシュが答えました。


――チッ


 あからさまに聞こえるような舌打ちが聞こえ、アッシュは音の方向を見遣りました。そこには一人の人間の男がいて、フォウを不快そうに睨むと足早に去っていきます。アッシュが辺りを見渡すと、一定数の人間がフォウを避け、あるいは見下し、あるいは憎しみを向けています。それはフォウ個人に向けられたものというよりはおそらく、獣面の者に対する偏見なのでしょう。獣人街は人と獣人が共存する、とはいえ、皆が皆、仲良く手を取り合っているわけではないのです。フォウはまるで彼らの態度が見えないように、平然と歩いていきます。


「フォウ!」


 脇から伸びてくる客引きの手を払いながら雑踏を進むアッシュたちに声が掛かりました。声のした方向を見ると、一人の女性がこちらに手を振っています。年齢はフォウより少し年上でしょうか、勝気な瞳が印象的な、なかなかの美人です。フォウは少し表情を緩めて女性に近づきました。アッシュもその後ろに続きます。


「久しぶりじゃない。最近すっかりご無沙汰でさ。もしかして、他に女ができたんじゃないでしょうね?」


 女性は咎めるように探るようにフォウをにらみます。しかしその瞳は楽しげに笑っていて、どうやらフォウをからかっているようです。フォウは困ったような表情を浮かべました。


「勘弁してくれミランダ。埋め合わせは今度するから」


 本当に? と、ミランダと呼ばれた女性は疑いの目をフォウに向けます。そしてにやっっと悪そうに笑うと、人差し指を立てて突き付けました。


「それじゃ、次に来た時にボトル一本入れてよ」


 敵わないな、と苦笑し、フォウはうなずきました。ミランダは満足そうに破顔します。フォウは小さく息を吐くとミランダに言いました。


「あいつらは、どうしてる?」


 フォウの言葉に心配と慈しみが混じります。ミランダの顔が勝気なそれから柔らかいものに変わりました。


「よくやってくれてるよ。仕事の覚えも早い。真面目なのはあんたそっくりだよ」


 フォウの口から安堵が漏れ、ミランダが微笑みます。そして、今はじめて気付いたようにアッシュに目を向けました。


「どなたさん?」

「『片牙』の客だ。今から連れて行く途中」


 へぇ、とミランダは値踏みするような視線をアッシュに向けました。どうも、と言いながらアッシュは説明を求めるようにフォウを見ます。


「彼女はミランダって言って、弟たちの面倒を見てもらってる。まあ、俺たちの姉みたいな人だ」


 へぇ、とアッシュは感心したようにミランダを見つめました。彼女の顔は間違いなく人間のもの。それなのに彼女はフォウも、たぶんフォウの弟たちも、他の人間と何も区別していないようでした。人は見た目にひどく影響を受けるものです。表面的な関係ならともかく、トラの顔をした相手を受け入れるのはそれほど容易いことではありません。


「『片牙』の用事が終わったらウチの店に寄ってよ。サービスするから、さ」


 艶を帯びた声で、上目遣いの濡れた瞳で、アッシュの袖を掴んで、ミランダは言いました。あらら、と笑ってアッシュは答えます。


「サービスに興味はあるが、あいにくカツカツでね」

「なんだよ、文無しか。営業して損した!」


 あっさりと態度を翻し、ミランダはシッシッと犬を追い払うように手を振りました。ひどいな、とアッシュは頭を掻きます。ほとんど動揺していないアッシュの様子に不満そうに形の良い眉を寄せ、ミランダは言いました。


「あんた、想い人でもいるの?」


 意表を突く質問だったのか、アッシュの顔が一瞬だけ固まり、


「……さて、どうだろうな」


 はぐらかすようにあいまいに微笑みました。




「弟がいるのか」


 ミランダと別れ、フォウとアッシュは再び『片牙』の館に向けて歩いています。


「妹もいる。弟が十四、妹が十二の双子だ」


 道中の無聊の慰めでしょうか、他愛ない会話はフォウの家族の話題になっていました。フォウは獣人街の外に生まれ、十年前に『片牙』に拾われるまで家族で各地を放浪しながら生きていたのだそうです。両親はすでに亡く、フォウが『片牙』に仕えることで弟たちの面倒も見てもらっていたのですが、弟たちが働ける年齢になったときにミランダがお店で預かると言ってくれたのだとか。


「ミランダには感謝してる。弟たちを本当に可愛がってくれて」


 フォウの声にはミランダに対する感謝と信頼がありました。先ほど道すがらに投げかけられた見知らぬ他人からのフォウに対する視線を考えれば、弟たちを守ってくれる誰かがいることはとても心強いのでしょう。


「弟たちに俺も会ってみたいな。後で紹介してもらえるか?」

「ああ、ぜひ――」


 言いかけて、はたと何かに気付いたような表情になると、フォウは険しい顔を作って言いました。


「……妹に手を出すなよ」

「お前は俺を何だと思ってるんだ」


 心外だと口を尖らせるアッシュを見て、フォウはこらえきれないように吹き出します。おっさんをからかうなよ、と愚痴を言いながらアッシュは目を細めました。フォウが本当に家族を大切に思っているのだと、好ましく感じているようです。


「あんたは?」


 笑いを収めてフォウはアッシュに問いかけます。


「家族はいるのか?」


 アッシュは首を横に振りました。


「家族がいるような奴は流れ者なんてやってないさ」


 あっ、と小さくうめいて、フォウは後悔を顔に浮かべました。詮索はご法度、ということを思い出したのでしょう。「すまん」とつぶやいてフォウは少し足を速めました。「真面目だねぇ」と苦笑して、アッシュはフォウの後を追いました。




 それから程なくして、二人の前に大きく立派な建物が姿を現しました。派手さはなく、館というよりは軍事施設のような趣です。訪れる者を威圧する佇まいはこの建物の主の性格を物語っているようでした。


「ここが『片牙』の屋敷だ。と言っても『片牙』配下の奴らが大勢住んでるけど」


 玄関前にいる守衛に挨拶をしつつフォウは扉に手を掛けました。守衛はアッシュの姿を見ても制止したりはしません。それだけフォウへの信頼が厚いということなのでしょう。ガチャリと音を立てて扉が開き、フォウはアッシュを中へと招き――


「待て」


 ひどく棘のある声にフォウは動きを止めました。声を掛けてきたのはひとりの青年――青灰色の毛色の狼の顔を持つ青年でした。青年は激しい怒り、いえ、敵意と言っていいほどの憎しみでフォウをにらみつけています。


「……ザジ」


 振り向いて青年の名を呼ぶフォウの声に苦々しいものが混じります。ザジと呼ばれた青年はねめつけるようにアッシュを見回すと、


「見慣れねぇ奴を連れてるじゃねぇか。どこのどいつだ」


 低く物騒な声でフォウに問いました。何か粗探しをしているような、そして粗があったらただではおかないという不穏な空気が広がっていきます。フォウは感情を抑えて事務的に答えました。


「『片牙』の客だ。今から『片牙』に会わせる」

「オレはそいつを知らねぇ。そいつは本当に『片牙』の客か?」


 ザジは不快そうに眉にシワを寄せます。アッシュが『片牙』の客であるかどうか疑っているというよりは、自分の知らない人間をフォウが『片牙』に会わせようとしていることが気に入らないようです。


「門番として、俺が客と認めた」


 フォウは淡々と答えます。ザジの声が一段低くなりました。


「てめぇ、ふざけてんのか? てめぇごときの判断にゃ何の価値もねぇんだよ。もしそいつが『片牙』を襲いでもしたら、どう落とし前をつけるつもりだ!」

「そのときはおれの首を落とすなり、心臓をえぐるなり好きにすればいいだろう」

「てめぇはバカか? てめぇごときの命一つで落とし前がつくわけねぇだろうが! てめぇ、『片牙』のお気に入りだからって調子に乗ってんじゃねぇか? ああ?」


 ザジはフォウに近づき襟首を掴んで強引に引き寄せました。フォウがわずかに顔をしかめます。


「……手を放せ。お前に構っている暇はない」

「いいやダメだ。てめぇの判断なんぞ信用できねぇ。本当にそいつが客か、オレが試してやる。もしそいつが客としてふさわしくねぇときはそいつもてめぇも、ここに命置いてってもらうぜ」


 舌なめずりをしてザジは醜い笑みを浮かべました。明らかな言いがかりにフォウはうんざりとした様子で奥歯を噛みます。おそらくこういった言いがかりはこれが初めてではないのでしょう。今までふたりのやりとりを見ていたアッシュが口を開きました。


「あー、お話し中悪いんだがね」

「ああ? なんだ、命乞いか?」


 どうでもいいものを見る目でザジはアッシュを見遣ります。アッシュは「いや」と首を横に振りました。


「俺は『片牙』の知り合いの紹介でここに来たんだ。お前さんが俺をここで殺したとして、もし俺が本当に『片牙』の客だった時、独断で客を殺したお前さんの立場はずいぶんとマズくなるんじゃないか?」

「な、なんだと?」


 立場がマズくなる、というアッシュの言葉にザジが分かりやすく動揺を示しました。さっきまでの威勢のよさが消え、迷いと戸惑いが瞳の中で揺れています。アッシュは畳みかけるように言葉を重ねました。


「お前さんは紹介者のメンツを潰し、『片牙』の名前にも泥を塗ることになる。そうなったとき、お前さんは落とし前をつけられるのか?」


 アッシュの声からは、所詮他人事、という冷淡な無関心が伝わります。視線を忙しなく彷徨わせ、たっぷりの逡巡を経て、ザジは突き飛ばすようにフォウから手を放しました。


「……しょ、紹介じゃあしょうがねぇ。とっとと行け!」


 ザジはフォウに背を向け、そそくさとその場を立ち去りました。はぁ、と息を吐き出し、フォウは乱れた服を直しました。


「何者だ?」

「俺より二つ上の兄弟分だ。どういうわけか嫌われてる」


 フォウはザジが立ち去った方向を複雑な様子で見つめます。その横顔は、フォウがザジを単純に嫌っているわけではないということを知らせていました。


「行こう。『片牙』はこの中だ」


 気持ちを切り替えるようにそう言って、フォウは館の扉に手を掛けました。少し軋んだ音を立てて扉が開き、アッシュはフォウと共に館の中に入っていきました。

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