表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/46

グレース王太后に嵌められたアレック


 グレース王太后殿下が体調を崩し、ふたたび臥せりがちになった。王太后殿下が儀式をフォローできないので、どうしようもない。結果として、聖泉礼拝はロザリーが一人で行うことになる。


 日がたつにつれ、王宮の北東から、何かが腐ったような嫌な臭いが漂ってくるようになった。――ケイレブ聖泉の方角である。


 このところ天候もうららかで、作物にとっては理想的な環境が整っているはずなのに、王宮に程近い農地から、生育遅延や病害が発生しているという報告が上がり始めた。


 これにアレックは空恐ろしさを感じていた。


 問題がないのかロザリー本人に確認するのだが、そうすると彼女は必要以上に感情的な反応を見せる。それはもしかすると、アレックの余裕がなくなっていて、キツい問いかけになっていたせいもあるのかもしれない。


 受け答えする際のロザリーは不貞腐れたような態度で、語る内容も愚痴っぽく、しつこく、とにかく聞き苦しかった。


 自分がいかに大変で苦労をしているか。クロエ王妃殿下は楽をしすぎではないか。王族は皆、こちらに責任を押しつけすぎではないか。非常事態なのだから、呑気に国を飛び出してしまったパトリシアを呼び戻すべきではないか。云々。


 彼女の主張の中には、もしかすると的を射ていることもあるのかもしれなかったが、グチグチと粘着質に繰り返されると、聞かされるほうはげんなりしてくる。


 アレックが腹を立てる前に、周囲がロザリーの思い上がりを非難し始めた。そうされるとアレックは、彼女を選んだ自分の判断を否定された気がして、ムキになり、ロザリーをかばうしかない。


 これによりロザリーはアレックに愛されているのだと実感することができたのだが、それは大きな間違いである。アレックはムキになる必要があるほどに、恐怖に駆られていたのだ。考え始めると恐ろしいことばかりが浮かんでくるので、『ロザリーはちゃんとできている。大丈夫さ』と繰り返すことで、思考停止させ、なんとか落ち着きを取り戻している状態だった。


 籍を入れていないのにも関わらず、このところ夜になると、アレックはロザリーを寝所に引っ張り込んでいた。怖くてたまらなくて衝動を発散したかったのだ。それは鬱屈や欲を解消するだけの行為で、ロザリーに対して愛情を感じているわけでも、興奮を覚えているわけでもなかった。


 現に彼は、容易く触れることができるロザリーよりも、遠くへ行ってしまったパトリシアのことばかりを考えていた。


 あの品の良い佇まい。落ち着いた話し方。優美な身のこなし。


 パトリシアは負の感情を見せたとしても、いつも在り方が静かだった。落ち込んだり、悲しそうな顔をしたりと、つらそうにしていることはよくあったけれど、彼女は完璧に自己をコントロールし、全て自分の中で処理していたようだ。ロザリーのように四六時中ヒステリックに不平不満を垂れ流し、誰かを汚い言葉で罵り――そんなふうにしているのを見たことがない。


 パトリシアはいつも潔かった。


 パトリシアの声を聞きたかった。彼女の嘘偽りのない、清潔感のある声を聞けたなら、この鬱々とした気分も晴れるに違いない。そうしたら明るいきざしが見え始め、ケイレブ聖泉から漂ってくるあの嫌な臭いも、綺麗に消えてなくなるのではないだろうか。


 ロザリーの不貞腐れぶりが日に日にひどくなっているので、アレックはすっかり閉口していた。それで王宮に宝石商を招くことにした。


 ロザリーの機嫌を取るためというより、これは自分のためだった。ロザリーが一時でも口を閉ざしてくれれば、安らかにすごせるだろうと期待して。


「君はずっと儀式を頑張っているから、ご褒美だ。好きなものを選ぶといい」


 アレックがそう言ってやると、ロザリーは珍しく上機嫌になった。表情の作り方がなんだか下品で、鼻息を荒くしているように見えてしまい、アレックは虚ろに微笑みながら、ロザリーからそっと視線を逸らした。


 少し時間をかけて石を吟味し、結局ロザリーが選んだのは、一番高いものだった。


 以前町にデートに出かけた時は一番安いものを選び、アレックがもっと高いものをと勧めても、


「これが素敵なんですもの」


 と上目遣いになって可愛いことを言っていたのに。


 聖泉礼拝により正直さを身につけつつあるロザリーは、強欲で逞しかった。


 ロザリーが宝石を光にかざし、


「私にピッタリだわ! こういうゴージャスなものが似合うのよ!」


 そんなふうに滑稽に騒いでいると、このところ寝室から一歩も出ることがなかったグレース王太后殿下がフラリとこの場に現れたので、アレックは呆気に取られてしまった。


 グレース王太后殿下の顔は土気色で、死者のように生気がない。それでいて眼光は射るように鋭かった。


「農地では病害が流行っているようだけれど、民の苦しみをまるで気にかけず、高い宝石に目の色を変えているだなんて、恥知らずな娘だね。――このところ報告されている作物の生育障害は、全て聖泉礼拝の失敗のせいなのに! 前に担当していたパトリシアは、しっかりと責任を持ってやっていたよ。アレックが国から追放し、二度とブレデルの土を踏ませないと公式に宣言したために、もう呼び戻すことはできないけれどね」


 台詞は一言一句、はっきりと響いた。芝居の台詞のように。


 ――アレックは『やられた』と思った。『一時だけでも楽になりたい』と願い、宝石商を呼び出したのはアレック自身であるが、こちらがそうするであろうことを、グレース王太后殿下は完璧に読んでいたような気がする。その上で、アレックたちの行動をずっと監視していたのだろう。だからこそこうして、どんぴしゃりのタイミングでこの場に現れることができた。


 さっと視線を移すと、対面にいた商人が好奇の瞳をこちらに向けている。


 この商人は口が軽いことで有名だった。


 彼が今ここで聞いた内容は、今日のうちに数十人に伝えられ、明日には数百人が知ることとなるだろう。そして明後日の日没までには、各地の裏路地にまで、ロザリーの悪評が広まっているに違いない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ