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罠にはまる


 泉の輝きを確認してから、ゆっくりと上半身を起こしたパトリシアは、傍らでゴソゴソと音がしたので、仰天してしまった。


 ハッとして隣に視線を向けると、いつの間にここまで来ていたのか、ロザリーが泉のほとりに腰を下ろしていた。それはほとんどパトリシアと横並びの位置であり、典礼担当以外が踏み込んではいけない領域だった。これにパトリシアは心臓を鷲掴みにされたかのような恐ろしさを感じた。


 そもそも聖泉礼拝を見学すること自体、パトリシアは良いことだとは思っていない。ロザリーたちが勝手に希望し、ついて来ただけだ。パトリシアとしては、自分よりも身分が上のアレック殿下が強行したことであるから、異を唱えられなかっただけなのだ。


 それでもパトリシアは心の中で、『ケイレブ聖泉のすぐそばには、さすがに彼らも踏み込まないだろう。神域なのだから』と考えていた。――彼らにも良心、そして常識があるのだと、愚かにも期待してしまった。しかし世の中にはとんでもない手合いがいるものであり、相手のモラルに委ねることは、大変危険なことなのだ。こんなふうに簡単に裏切られてしまうことも多いのだから。


 この状況は、たとえるなら、誰にも侵されるはずのないプライベートな空間にいたのに、狼藉者に土足で踏み込まれたようなものだった。浴室で服を脱いだところで、粗野な男がドカドカ音を立てて入り込んで来たかのような。


 ――このことをグレース王太后殿下が知れば、絶対に許すはずがないわ――パトリシアは背筋を震わせた。


 パトリシアの顔から血の気が失せたのを見て、ロザリーの瞳に挑発的な嘲りが浮かぶ。どうしてパトリシアがここまで動揺しているのか、ロザリーには分からない。けれど理由などこの際どうでもいい。自分のしたことが、彼女にダメージを与えた――これこそが重要なのだ。それでロザリーはねっとりした視線でパトリシアを睨み据え、赤い唇に笑みを乗せた。


「パトリシアお姉様ぁ……私にも儀式を教えてくださらない? 私も今、やってみたいの」


 パトリシアは信じがたいという瞳で従妹を眺め、すぐに眉根を寄せた。


「いけないわ」


「どうしてですの?」


「グレース王太后殿下がお許しにならない」


「選ばれたのがパトリシアお姉様だけだから? 私がやってはいけない?」


「……そうね」


 どうして選ばれてしまったのかしら……パトリシアの胸に苦いものが広がる。


 グレース王太后殿下は、どうしてロザリーを選ばなかったの? あるいは、どうしてほかの令嬢を選ばなかったの? 自分以外の人が選ばれていたなら!


「私も選ばれなかったし、アレック殿下も選ばれなかった」


 ロザリーの声音が不自然に大きくなる。しかしパトリシアは動揺していて、彼女の仕かけた罠に気づけなかった。


「ええ」


「つまり、アレック殿下には儀式ができない?」


「どうかしら……」


 呟くような声音。ロザリーが大声でかぶせる。


「パトリシアお姉様、はっきり言うべきよ! アレック殿下には可能ですよね? 殿下があなたよりも劣っているはずがないもの!」


「そういう問題ではないのよ……」


 パトリシアの泣きそうな台詞は、隣にいるロザリー以外には届いていない。ロザリーは大声で、パトリシアの真意を消し去る。


「えっ、ひどい! 私からすれば、アレック殿下は素晴らしい方ですわ! 絶対に聖泉礼拝を上手くおやりになれる方です! なのにパトリシアお姉様は、アレック殿下のことを、能力不足のように扱うのですね! グレース王太后殿下がそうしたように! それってとても傲慢だと思います!」


 好き勝手を言えるロザリーとは対照的に、パトリシアのほうは一言一句、慎重にならざるをえなかった。どうしても嘘はつけない。


 アレック殿下に聖泉礼拝が可能かどうか、それは若輩者のパトリシアには判断がつかないのだから、答えようがなかった。パトリシアはロザリーにきつく責め立てられ、困り果ててしまった。


 アレック殿下には務まらない――そんなふうに思ってはいないけれど、逆に、アレック殿下なら絶対に務まる、そう肯定することもできなくて。


 パトリシアの答えは、『分からない』だ。それ以外にない。たとえナイフを首に突きつけられて、『アレック殿下ならできると言え!』と脅迫されたとしても、パトリシアは『分からない』としか言えないのだ。



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