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婚約破棄


その男と初めて会ったとき、わたしは12歳だった。

男は膝をつき、後ろ手に縛られた格好で、薄ら笑いを浮かべてわたしを見上げていた。

わたしは、粗末な椅子に座ったまま、いかにも仰々しく尋ねた。

「そなた、わたしに仕える気はないか」

「……今朝方まで殺し合っていた敵を、臣下に迎え入れると?」

「優秀な軍師が欲しい。いくさに勝てる者がな」

「殿下が私の経歴をお知りになった暁には、二度と同じ言葉は口にされませんでしょう」

「ほう。賭けるか?」

「あいにくと、尊き御方との賭け事に差し出せるものがございません」

「そなたがほしい」

「これはまた、熱烈なお言葉だ……。不肖な我が身といえど、そこまで請われては、心が動くというもの。その賭け、お受けいたしましょう」

うむ、と、わたしはやはり仰々しく頷いた。

そして、投げやりな嘲笑を隠しもしない男を、まっすぐに見つめていった。

「では、そなたは今このときをもってわが軍師だ。期待しているぞ、アイギス・ラシェド。主を三度裏切ったというそなたが、四度目の裏切りを決めるまでは、わたしのために勝利を描いてもらおう」


ラシェドが、あの男が、あれほど呆気にとられた顔をするのは、そうそうないことだ。

……と、いうことを、そのときのわたしはまだ、知らずにいた。





見目麗しい青年が、華のように美しい令嬢の腰を抱きながら、苦悩に満ちた声を上げた。


「これ以上、自分に嘘はつけない。僕は彼女を愛しているんだ。偽りの誓いなど神もお許しになるまい……! セレンティア・ヒューデリア、あなたとの婚約は破棄する!」


振られた側になる、わたしの内心の第一声は、庶民風にいうならこうだった。

─── えっ、マジで?

嘘やん。さすがにそれはないでしょ。ここをどこだと思ってるの。ヒューデリア王国の王宮ですよ。舞踏会真っ最中ですよ。お願い正気に戻って?


……いや、今さら正気に戻られても、もはやどうしようもないのだが……。


愛してる、といわれた令嬢の顔は真っ青だった。

それはそうだろう。卒倒しないでいられるだけ彼女は立派だ。

しかし、ランデル王国一行のほうからは倒れた音がした。あれはおそらく老齢のご婦人だ。大丈夫だろうか。心配だ。年寄りの心臓に負担をかけるものではない。

もっとも、倒れたくなる気持ちはわかる。わたしだってできることなら聞かなかったことにしてしまいたい。

ランデル王国第三王子にして、わたしの美しき婚約者殿は、これがどれほどの侮辱かわかっているのだろうか。

女王の宮殿で、大勢の臣下たちが見つめる中、女王をこっぴどく振ってみせたのだ。

ヒューデリア王国のメンツを潰したに等しい。一歩間違えなくともすでに戦争沙汰だ。

たかが色恋、たかが婚約破棄で! と、箱入りの第三王子殿は思うかもしれないが、王の体面とは国民の見栄の煮凝りだ。

見栄を傷つけられるとたいていの人間は激怒するものであり、そこで下手に寛容さなど見せたなら、今度は彼らの矛先がわたしに向かう。

だからわたしは、内心がどうであれ、怒りを見せるしかない。


ウンでも戦争は避けたいよね。痴情のもつれで戦争を起こした王として歴史に名を遺すの、断固拒否です。


この騒ぎを聞いていた貴族たちは、皆凍り付いていた。いつの間にかダンスも止まっている。

何も知らない楽団だけが、ホールの片隅から楽しげなメロディを響かせ続けていた。

わたしは、ばさりと扇を開いて見せた。

人々の視線が一斉に集まる。不安、好奇、動揺、怒り。さまざな感情を一身に受けて、わたしは、せいぜいと高慢ちきに眼をすがめた。


「獣以下の知性よな」


元婚約者殿が、怒りの形相で口を開こうとしたが、叶わなかった。

その手に抱いていた麗しの令嬢が、身をよじって逃れて、こわばった顔で叫んだからだ。


「わたくしは関係ありません! この男が勝手にいっているだけです! わたくしは何も知らない! 巻き込まないで頂戴!」

「うるさい」


令嬢の狂おしい叫びを、一刀両断する。

わたしはいかにも汚らわしいものを見やるように眉をひそめ、身を引いて、冷たく告げた。


「この者たちを放り出せ。二度とわたしの視界に入れるな」


すでに控えていた衛兵たちが、わめきたてる二人を囲んで、引っ立てていく。

わたしはそれを情の欠片もない視線で見つめ、それからいかにも忌々しそうに吐き捨てた。


「興が冷めたわ。オリオール卿、あとはそなたが片付けよ」


いっておくけど、穏健派のオリオールに任せたのは、わたしの慈悲だからね、慈悲。悪辣宰相のラシェドに任せなかっただけ穏便な処理だからね。そこわかってほしいところね。

ラシェドが、いかにも気の毒そうに首を振るのを、視界の隅に捕らえて、こぶしを握り締めたくなるのを我慢したわたしは偉い。とても偉い。庶民風にいうなら女王様マジ立派。

わたしの補佐官であるオリオールが、一礼するのを見届けて、わたしは煌びやかな舞踏会から出て行った。




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