飴の味は
タイトルは「飴の味は」と読んで頂けると幸いです。
「余計な物は買わないでね」
空調の程よく効いた店内で、家を出る前に妻に刺された釘を思い出す。
近所のスーパーに限らず、商業施設には窓や出入り口が少ない。
窃盗防止の為なのか、もしくはお客様の為のバックヤードが、売り場をぐるりと囲んでいるせいなのか。
四角く開けっぱなしのこの店唯一の入り口は、暗い店内から見ると白い明るさが眩しく、太陽から運んだ熱で地面を焼いていた。
「買って! 買って! 買ってぇ!」
現実逃避から引き戻された。
そして、妻に刺された釘は引き抜かれた。
泣く子とジトウには勝てぬ。
ジトウが何かは知らないが、この床でのたうっている生き物と互角なのであろう。
釘をポロリと抜く力は確かにある。
「いいよ。かごに入れて」
娘に負けたわけでは無い。
「あらあら、慣れてないのがバレバレねぇ」
あらあらは生暖かく、慣れてないの辺りで冷え冷えと「普段から子守していないのが分かるわぁ」と氷点下の針をチクチクと刺すおばさまの視線に負けたのだ。
日頃の積み重ねが無い以上、勝ち目は無い。
「んしょ、んしょ」
涙はどおしたコラ。
「一つにしなさい」
誰に似たのか、次々にお菓子をかごに放り入れる娘に、私は交渉を持ちかけた。
「はぁい」
渋々と唇を尖らせた娘は、透明な大袋を籠に入れた。
隣のアニメキャラクターが印刷されている物では無かったのは意外だった。
「のる」
「?」
ああ、この店の買い物カートは子供の乗れるタイプがあるのか。
最初からこれにすれば良かった。
良くできている。
買い物カートに乗った子供は後ろに積まれた籠の中を見ないし、並んだ商品にも手が届かない。
さらに、子供の機嫌もとれる。
ニコニコと静になった娘との買い物は速やかに終わった。
レジ前に飾られた、エコバックのピンクのリョックを見つめる娘がのたうつ前に店外へ。
ミーン、ミーン、ジジジジ。
小さく見える山は今日も賑やかだ。
クイクイとズボンの裾が引かれた。
「どうした?」
しゃがんで、娘と視線を合わせる。
「ん!」
大袋から取り出した飴を差し出された。
おお、きちんとわけてくれるとは凄いな。
感心したのもつかの間で。
「だっこ~」
報酬の先払いだったようだ。
「むーりー」
この子は、本当にもう。
今の状況が分からないのか?
両手が買ったもので塞がっている私は、片手の荷物を下ろして、貰った飴を口に入れた。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
コロンと口の中で、円柱を輪切りにしたような甘さが転がった。
「切らしたのかい?」
義父さんが胸ポケットから、少しよれた箱を差し出してきた。
「いえ、禁煙で。今まで通りとはいかないでしょう?」
「ああ、そうだな」
まだ慣れない義父との会話は、彼も昔、禁煙していた話題でいつもより少し長く続いた。
妻が、娘を産み始めて結構な時間がすぎた。
長年の習慣でついつい足を運んでしまった病院の中庭では、昼間うるさいほど鳴いていた蝉は黙り、先客がくわえるタバコの先がときおりジジジと赤く音をたてていた。
病院の親切になのか、常連さんの持ち込みなのか。
灰皿の上には渦巻く線香が、頭とお尻の二ヵ所からぼんやりとした明るさと、細い煙を浮かび上がらせていた。
白いたなびきを追って見上げれば。
そこには、息を飲むような満天の。
市街地に建て替えスペースが無くなって、山に登ったこの病院では星がよく見える。
冬ならベテルギウスなのだろうが、あの夏の赤い星はなんだろう?
「そろそろ戻ろうか。産まれた時に居ないと一生言われるぞ。一生な・・・」
どこか煤けた義父さんが、タバコを消して立ち上がった。
「どういう娘に育って欲しい?」
「気が早いですよ。・・・元気ならどうとでも」
無事に産まれてくれれば。
どんな事でも叶えよう。
熱帯夜の赤い星とタバコがわりの飴の甘さに、そう誓った。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
「戻るの~?」
「ああ、買い忘れ」
娘が見つめていたリュックを買った私は、片手を開けた。
これで娘と私の望みは叶う。
小さくなった甘さが、コロンと口の中で転がった。
「おんぶー!」
・・・そうきたか。
「はいはい」
私はだっこでもおんぶでもない第三の手段で、「高いー!」とはしゃぐ娘と家路についた。
☆
・・・私は怒らなければならない。
めんどくさいケド。
ガチャリと玄関の開いた音で目を醒ました私の視線の先で、買い物に行った旦那は得意気に、暑い部屋で大きく扉を開けた冷蔵庫に品物を詰めている。
買い物は家事という氷山の一角なのだが。
少しドヤ気味な顔にムカつく。
旦那の隣で、空になった見覚えのないリュックに、娘が大袋の飴を詰めている。
刺した釘は抜けたようだが。
かわりに生えるのは私の角だ。
悪いのは娘のわがままなのだろうが、まだ叱られてわかる歳では無い。
ならば、自分のしでかしたことで父が叱られれば、罪の重さを少しは感じるだろう。
・・・なぜか、いつのまにかこちらにきた娘は、旦那と向かい合った私の隣でニコニコしているのだが。
「ん!」
青空に沸き立つ雲が陽光を遮って暗くなる室内の布団の上で、身を起こした私の口に、娘が包みをはがした飴を押し込んだ。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
ポケットにあった、最後の飴を口に入れた瞬間だった。
ザッ。
空が暗くなったと思ったら、音を伴って、水の固まりが落ちてきた。
夕立。
最近はゲリラ豪雨とか呼び始めているらしいが、古くから決まっている呼び名は大事にしたい。
残念ながら、持っていた透明なビニールの傘では長く耐えられそうに無い。
傘越しの水滴が見えるのがお気に入りなのだが、さすがに、この水の量は、ちょっと。
早足で入る、トタン板でできたバス停。
傘が壊れる前についた仮の目的地には、先客がいた。
「あ」
狭い空間の長椅子に座っていた先輩は、こちらをチラリと見ると、すぐ視線を反らした。
が、チラリチラリと視線を感じる。
顔より下に・・・。
・・・白いセーラーの夏服の胸元は濡れていて。
「せ・ん・ぱ・い?」
ピカッ、ゴロゴロピッシャーン!
「さっきから」
ピカッ、ゴロゴロピッシャーン!
「どこ見てますかぁ?」
ピカッ、ゴロゴロピッシャーン!
タイミング良く光る青い輝きが、私の怒り(笑)を盛り上げる。
真っ赤な顔の先輩は、そっぽを向いていたけれど、「良し!」っと何かに気合いを入れると、真剣な眼差しをこちらに向けた。
「ずっと・・・ら」
ピカッ、ゴロゴロピッシャーン!
「・・・た~!」
ピカッ、ゴロゴロピッシャーン!
・・・結論。
夕立の雷は怒るのにはいいが、告白には向かない。
言い切ったぜ。
真っ赤な顔の先輩が、稲光に照されて待っている。
今度はチラリともこちらを見ないで、ずっと下を向いている。
「聞こえなかったからもう一回」
とか。
言いづらい、なぁ。
ピカッ。ゴロゴロピッシャーン!
過ぎていく時間が増えていくのと反対に、口の中の丸はどんどん小さくなっていく。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
ピカッ、ゴロゴロピッシャーン!
「きゃー!」
空が光るたびに娘がパチパチと手を叩いている。
私もあの時から雷は好きだ。
「雨、止んだら実家に行くから。準備宜しく」
さっき低い声で布団の前に正座させた旦那に命じた。
アレ? 怒られないの? と元先輩が間の抜けた顔をしている。
どっこいしょと大きなお腹ごと立ち上がってお姉ちゃん(仮)の隣に移動。
「光ったら数を数えるんだぞ~」
夕立の雷の楽しみ方を伝える。
「何で~」
何でとな?!
・・・何でだったっけ?
小さくなった甘さがコロンと口の中で転がった。
☆
「雨が止むまで、きませんよ」
そわそわと下手なスクワットを繰り返す私を見かねたのか、ばあさんが珍しく眉間にシワを寄せた。
スープの少し冷める距離。
ばあさんはスーパーとかでたまに会うらしいが、私は滅多に会わないのだからいいじゃないか。
お菓子よし、花火よし、おもちゃ良し!
胸ポケットにやった手は空振った。
久し振りの禁煙。
娘が家にいた頃より期間はずっと短いのだが、口が寂しいと時間が過ぎるのが遅い。
いつ玄関のチャイムがなるかそわそわしている私の耳に。
「ただいまー」
ガチャリとドアの開く音と、昔と変わらない娘の声が聞こえた。
「ん!」
今度姉になる初孫は、家にくるなり準備したおやつに目もくれず、私に飴の大袋を差し出した。
「お供えしてからな」
仏壇に供えて、蝋燭に火をつけ、やりたがる孫と一緒に掴んだ線香を翳す。
「もういい? もおいい?」
せっかちな孫と一緒に飴を口に入れた私は、盆提灯のスイッチを入れた。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
「これはお前に」
明日からどこかに行くという兄は、自分の貰った品物の中から、久し振りの甘い物を私の口に入れてくれた。
「これはここに」
珍しくなった白い蝋燭。
短いそれで盆提灯に火が入り、薄暗い部屋に色とりどりの楕円が浮かんだ。
カラ・・・。
しばらくすると、手も触れていないのに提灯が回りだす。
幼い頃の私は、それが不思議で不思議で。
蝋燭が消えて止まるまで、ずっと見ていたものだった。
「海みたいだね」
蝋燭に照らされて回る光は青。
「空じゃなくて?」
私を膝に座らせた兄が答えた。
「兄ちゃんは、空が好き?」
「ああ、海も好きだから。心配するなよ」
あの時は、何を? と思ったものだが。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
「帰ってこなくても、か」
小さくなった甘さが、コロンと口の中で転がった。
仏壇に飾られた兄を追い越した。
柱に刻んだ背と、数えた歳と、他の何かと。
「夕食前に、花火するよー」
「花火?!」
ばあさんに呼ばれて、私の顔を見上げた孫が、膝の上から立って走って行く。
蝋燭ではなく、電気で回る盆提灯は、今年も仏間に青い楕円で海を作った。
「空じゃなくてか?」
空耳とは空の声を聞く事だろうか。
「おじいちゃん、はやく、はやく!」
「今行く」
盆提灯を消そうと手をのばして。
しばらくつけたままにした。
☆
ドーン! ぱらぱらぱら。
花火の醍醐味は光じゃなくて音だと思う。
サーっと音が聞こえそうな大輪の花が開いた後に、パン! と全身を叩くようなあの感じは他の物では味わえない。
まあ、三密防止で車の中で見ることになった今年は、一瞬の輝きは見えても、やっぱり音は味わえはしないのだが。
「こう、思い通りにならないと、文明の進歩もどうだかなって思うよね」
「そうだねぇ」
うんうんと同意はしたが、どうやら同じ意見では無かったようだ。
花火が上がり始める前から、車載ラジオを弄っていた彼が、ふてくされたように、運転席を後ろに倒した。
自動チューニングでは会場限定の花火実況を拾えないらしい。
「ん!」
私は御苦労様と、やっと同じ高さになった彼に、使い古したピンクのリョックのサイドポケットに入っていた、いつのものかわからない飴を差し出した。
「いや、いいよ。きみ、その飴好きだろ」
彼が手の平をこちらに向けた。
断られて、行き場の無くなった飴を自分の口へと放り込む。
ほぼ、砂糖。
飾り気の無い透明が舌の上で溶け始める。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
「ふふっ。うふふっ。くす、くす」
断った飴を自分の口に入れた彼女が口を押さえた。
サーっ、ドン! パラパラパラ。
「あっははは!」
???
うち上がっている花火に笑うところなんて無いけど。
「あ、あのね。この飴、飴なんだけど」
ああ、飴の方が原因か。
「ずっと、なつひかり味だと思ってた」
ひとしきり笑った彼女は、また花火を見始める。
・・・なつひかり味?
私は飴が入っている袋を思い出した。
袋の上側に飴の名前が大きく。
そのあとに書いてある、崩した平仮名は、のたくって字の形と順番をわかりづらくし、確かにそう読めなくもない。
「いつ頃まで勘違いしてたの?」
「? 笑った時まで」
さっきかい!
ピンクのリョックから彼女が、私に運転させる理由を取り出して、プシュっとプルタブを起こした。
「あげる」
ソーシャルなんとか無視の、自粛警察が見たら発狂しそうな方法で要らなくなった彼女の飴を貰った。
花火のために照明が落とされた駐車場。
ひゅ~っとなるたびに咲く大輪の花。
それに照される嬉しそうなきみの・・・。
∋〇∈∋〇∈∋〇∈
小さい甘さがコロンと口の中で転がった。
「なつひかり味だね」
この飴を食べるたびに思い出すのだろう。
「え? ・・・味だよ?」
正解は衝撃的に打ち消さされた。
「やっぱり、なつひかり味」
だって、この先。
口に入れるたびに思い出すのだろう。
花火に照らされながら、不思議そうに微笑む。
少し赤くなったきみの横顔を。