第64話 マリューの過去、始まり
くろえ改めマリューの昔話です
ぼとり、と。
暗闇の中、柔らかくも重い音で何かの上に落ちる。それが、最初の感覚だった。
固く平らなところに細かい粒子が撒かれたような場所。
そうだ、これは地面だ。知識として知っている、地面という場所。
確か、立つには足というものを使う必要がある。
生まれたての意識でもぞもぞと体を組み替え、パーツを確認する。
足、足首、膝、付け根、腹、脇、肘、手首、手、首。
必要な稼働個所の存在を把握。細部も意識していき、やがて眼という感覚に繋がる。瞼を開けると、初めての景色が映りこんでくる。
空だ。
くすんだ灰色が広がる空に、臙脂の球体が浮かび辺りを不気味な光で照らす。あれが太陽なのか月なのか、昼夜がないという知識から判別することはできない。
そして、自分を見下ろす大樹。肉塊の幹は生々しく、脈打つ葉脈が赤黒く浮き出ている。枝先に行くほど幹の色は濃くなり、葉は光すら通さぬほど黒い。
与えられた知識に、このような物はない。だが、本能で理解をした。
自分は、この人から産まれたのだ。
〈目が覚めたのかしら〉
頭に響く、優しい声。自分を作ってくれた母は、目が覚めるのを待っていてくれたのだろう。
「おはようございます、御母様」
まだ起きあがれず、代わりに笑顔というものを作って挨拶をした。母が、微笑んでいると感じだ。
〈いい子ね……。そう、貴女はマリュー。私の、大切な子供よ〉
マリュー。いい名前だ。しみじみと思っていると、次第に四肢の末端まで感覚が繋がった。ゆっくりと、手足を使い起き上がる。
立ち上がり、改めて母を見やる。限界まで見上げなければ見えぬ樹頭。母の偉大さを肌で感じ、自然と笑みが浮かぶ。
ふと、母の視線が後ろへとずれた。
〈お帰り、ルフェル〉
自分以外の名前が呼ばれ、マリューは振り返る。そして視界に映った姿に目を丸くした。
紫色の艶めいた髪を波立たせ、黒を基調としたゴシック調のワンピースを着こなす少女。恐ろしいほど白い肌に緑の目。
それが誰なのか、マリューは考えるまでもなかった。
これは自分自身だ。
いつの間にか大きな鏡が背後に立っており、それが虚像としてマリューを見せる。
その鏡も普通のモノではなく、大きなてんとう虫が広げた羽の下についていた。
これも、魔物の一種なのだろう。そう理解しながら、服についた茶色がかった赤の砂利を叩き落とす。
視線を横に動かせば、一人の青年がいた。
黒布を全身に纏い、腰紐を括ってローブのように着こなしている。多くの女性を虜にするような甘いマスクをした、濃紺の髪の青年だ。
全体的に穏やかな印象を与える青年は、てんとう虫の頭を鷲掴みしているにも関わらす平然とした表情である。
「初めまして、マリュー。自分の姿は理解できたかい?」
「……ええ。貴方は?」
「ルフェル。母様の一番の子であり、君の兄だよ」
そう言ってほほ笑むルフェル。だが、ルフェルの目にはマリューが映っていない。マリューに声をかけながらも、関心は背後の母にしか向いていない。
母は確かに偉大だ。しかし、思いっきり無視される理由にはならない。
マリューは冷ややかな目でルフェルを見つめながら、髪へと意識を集中させる。すると、髪がゆったりと鎌首を上げ始めた。
金属でできた蜘蛛の足のように、徐々に固く、徐々に鋭く。母の想いを叶える為に備わった力だ。
マリューの変化に対し、ルフェルはただ見ていただけだった。それがまた、マリューの癪に障る。硬質化した髪でその胡散臭い笑みを突き刺そうとした時だった。
〈駄目よ、マリュー〉
優しい声と共に、伸ばした枝がマリューの頭に乗せられた。その事実に、マリューの表情に笑みが戻る。ルフェルへの苛立ちが、母への愛に埋もれていく。
ルフェルもこうなることをわかっていたから、何もしなかったのだろうか。
そんな疑問も出てきたが、マリューにとってもはやどうでもいいことですぐに意識から消えた。
〈ああ。愛しい子たち……仲良くしてちょうだいね〉
「もちろんだよ、母様。マリューもわかったね?」
「ええ」
〈ねぇ、マリュー? 貴女がやるべきことを、母に教えてくれないかしら?〉
母が問いかける。マリューはその質問の意味に気づき、ふふっと小さく笑った。
これは単なる念押しだ。その答えは自我が生まれた瞬間から根付いており、マリューが生まれた理由でもある。
一番わかっている母がわざわざ尋ねるのは、マリューの口から直接聞きたいのだろう。
「簡単だわ、御母様。醜い人間を根絶やしにするわ」
その言葉に、母もルフェルも満足げにほくそ笑むのだった。
暫く、マリュー視点で話が進みます。
所謂、敵サイドの内情です




