第3話 おにい
1話が短いから2話上げればちょうどいいのかなと思ってます
慌てて準備をし、制服に袖を通す。感動よりも時間に対する焦りの方が大きい。せめて初日だけでも何とかしたいと思っていた双葉のような髪跳ねも、整える暇もない。
こんな事にならないようにとアラームを用意したのに。だが、鳴らなかった原因はわかっている。
荷物を詰めた鞄を手に部屋を飛び出て階段を駆け下りる。下に降りるほど、美味しそうな匂いが漂ってきた。
だが、今の七音には怒りに拍車をかけるだけだった。
「おにぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
「あ、七音! おはよう!」
勢いのまま、リビングのドアを開けて叫ぶ。すると、エプロン姿の男性が爽やかな笑顔で挨拶を返した。
近くのテーブルには、所狭しと出来立ての朝食が湯気を立てて置かれている。シェフ顔負けの品数に一瞬目を奪われた七音だが、すぐに男性を睨みつける。
「おにいでしょ! アラーム消したの!!」
「そうだよ? ほら、水無月なんて行かないで、お兄ちゃんと朝ご飯食べよう?」
「しない!!」
当たり前のように返す男性に、七音は頭から湯気が出そうだ。目の前の男性は天村マサル。七音の十二歳離れた兄である。
道行く女性がみな振り返るような整った顔立ち、モデルになれそうなほどの高身長。頭脳明晰、運動抜群、家事バッチリと、双葉状の髪跳ねがなければ七音の兄だとはだれもが思わないほどのハイスペック。
そんなマサルの唯一といえる欠点が、重篤なシスコンということだった。
何をするにも七音第一、友人との遊びよりも七音の機嫌取りが大切。
中高と人気のなかった写真部を選んだ理由は『七音のいい写真が撮りたいから』。不純な理由でも、撮った写真がコンクールに入賞するのがマサルのすごい所である。
毎日のように告白されるも、考える素振りもなくお断り。
『七音以外の女ってみんな豚にしか見えない』と、諦めきれずにストーカー化してきた同級生に言い放ったこともあるという。
『七音とできるだけ一緒にいたい』とどんな難関大でも行ける実力がありながら進学せず、ネットで起業と株取引を開始。
結果、普通のサラリーマン以上の収入を得ながらほとんど家で海外出張の両親の代わりに七音の世話をするという、本人の希望通りの生活を送っている。
だが、七音にとってはマサルのシスコンは迷惑以外の何物でもなかった。七音が小学校に上がる頃には、マサルのシスコンは地元でも有名になっていた。
小学生ありがちな些細なからかいや喧嘩に対し、マサルは無理矢理介入しては全力で対応してくる。その為、先生を筆頭に七音ははれ物に触るような扱いを受けていた。
幸い、仲の良い友人が数名いたので、そこまで悲観はしなかった。しかし、友達経由で入ってくる兄の噂に、何度ため息をついたかわからない。
水無月学園中等部への進学を阻止したのもマサルだ。
外面の良さを前面に出しながら、いかに思春期の少女を水無月学園のような寮生活させるとどうなるかを熱弁。
もともといい顔をしていなかった両親の説得もあり、中等部進学の夢は潰えてしまった。
だが、七音も黙って夢を潰されるわけにはいかない。
今まで秘めていた兄への不満をぶちまけ、ショックを受け本気で泣く兄に気持ち悪さも抱きながらも家族会議を続けた。
高校は水無月学園へ行くことを両親にもマサルにも納得させた。
納得させたはずだが、どうやら目の前の兄は諦めていなかったようだ。
怒りで七音の身体が震える。そんな七音の姿を、うっとりとした顔でマサルは見ていた。
「怒った顔も可愛いな~。ほら、七音の好きな物を用意し」
「ばっっっかじゃないの!? あたしは水無月に行くってずっと言ってたじゃん! 妹の夢潰して楽しいの!?」
「だって……七音が遠くに行っちゃうって考えたら……それにほら、魔物側もどんどん強くなってるらしいし……」
はぁっとため息をつくマサルの姿は、普通の女性ならほいほい許してしまうほど絵になっていた。
しかし、見慣れている七音にとっては更に苛立たせる姿である。
魔物が強くなっているというなら、やはり水無月学園で強さを学ぶしかない。
夢で見たあの過去のように、魔物から人々を守る強い女性になるのが、七音の目標だ。ここでマサルに負けていられない。
「そんな理由でアラーム消したの!? 酷い!」
「消してないよ? アラーム設定を消しただけ」
「もっと酷い! どうやってスマホのロック解除したの!? 寝ているあたしの指でも使った!?」
「え? 七音が使うパスワードくらい、覚えていて当然でしょ?」
時間もなく、怒りも限界だった。一息つき、大きく息を吸って叫んだ。
「余計に気持ち悪い! あたしの邪魔するおにいなんて大っ嫌い!!」
「だっ!?」
ピシリと目の前でわかりやすく石化するマサル。そんなマサルを無視し、七音はリビングを出る。
玄関を開けて走り出す七音の背後から、マサルの悲痛な叫びが聞こえてくる。
きっと、気の所為だ。そう自分に言い聞かせ、七音は聞かなかったフリをした。
正統派イケメンより残念なイケメンの方が好きです