【2】甘味と謎解きと
事件現場を去り、毒舌家の名探偵夏目とその助手百井はとあるカフェに入店した。
夏目は百井に催促されて、その推理を語り出す。
億万劫の時を生く、二人が紡ぐ異聞奇譚。
これにて黎明、幕開き_____
最後になりましたが、こちらの作品に目を止めていただきありがとうございます。ぜひ【0】からお読みください。
クリームティー、それはアフタヌーン・ティーの一種だ。基本は紅茶とスコーンのセットで、クロテッドクリームとジャムが添えられる。
それにプリンアラモードとチョコレートパフェとシフォンケーキのどれを追加するかで散々悩んだ結果、シフォンケーキを選んで注文した夏目はご満悦といった様子で百井と向き合って座っていた。
「……で、夏目。あなたの推理は先ほどあの男に披露したあれで全てですか?」
組んだ手の上に顎を乗せ、「まさかそんな訳ないでしょう?」とでも言いたげな様子で百井は尋ねる。
「いいえ。話すと長くなりそうだったので適当に誤魔化しました」
「矢っ張り。で、僕は全て聞かせてもらえるんですよね? もちろん」
夏目は店内に目を走らせてからため息を吐き、本当に面倒くさそうな顔で言った。
「仕方ありませんね。お茶が来るまでですよ」
暇潰しと思えば……まあ。と自分を無理やり納得させてから彼女は話し出す。
「まず、私があの場で言った通り殺人を犯したのは磯女と見て間違いないでしょう。
しかし磯女は自分以外の何者かの意思で動いていた可能性があります。あなたは気がつかなかったかもしれませんが、あの場に漂っていた微かな血の香りはお世辞にも良いとは言えませんでした。恐らく糖尿病だったり高血圧だったり…神宮寺夫妻の健康状態は良くなかったのではないかと思います。時間が経って酸化していたのもあるでしょうが…。とても飲み干したくなるような血とは思えない香りでした。いくら飢えていたとしても、あの香りの血だったら外へ出て別の人間を探すというものです。
そうなると、磯女の目的は吸血そのものではなく、吸血によって神宮寺夫妻を殺すことにあるのではと考えられます。そして私の知っている限り、磯女は吸血が目的で人を殺してしまうことこそあれど殺人のために吸血を行うような妖怪ではありません。
よって、考えられる可能性は何者かに命令を受けていたか、もしくは何者かに協力したかの二つです。
……とまあ、ここまでにしましょうか。シフォンケーキです」
夏目はそれを運んできたウエイターに「ありがとうございます」と笑顔を見せた。
「蓼食う虫も好き好きと言いますし、血の香りは手がかりとしては薄いのでは?」
ウエイターが立ち去った後、百井は釈然としなさそうに言う。
「それではもうひとつ。百井、先ほど博多にした『磯女』の説明をもう一度してもらえますか?」
「……分かりました。磯女とは主に九州地方に伝わる妖怪で、名前の通り海の近くに出ると言われて_____あっ」
「気がつきましたか?ここはとても海の近くと言えるような場所ではありませんし、もし彼女たちの目的が吸血ならば、言い伝え通り、海に近づく漁師などの血を吸えばいいだけの話です。それをわざわざこんな内陸部にまで来て吸血しているのですから、やはり吸血相手が神宮寺夫妻であることに意味があったのでしょう。
神宮寺夫妻の血が大層美味であったからわざわざ内陸にまで来たのだと考える者もいるかもしれませんが、そもそも海の近くに生息する磯女が神宮寺夫妻の血の味などどうやって知るというのです?
……ああ、ありがとうございます、それはこちらに」
ウエイターは続けてクリームティーを運んできた。彼がそれをテーブルに置いて去ると、夏目はフォークに手を伸ばし、シフォンケーキを一口大に切る。
「これらのことから、磯女は自分以外の何者かの意思によって殺人を犯したと考えられます。可能性は先に述べたあの二つですね」
そう言うと、夏目は先ほど切ったシフォンケーキを口に運んだ。彼女はそれと同時に幸せそのものといった笑顔を浮かべる。
「なるほど。それで? 僕たちは次に何をすればいいんです?」
「もうお茶が来たので難しい話はしたくありません。それに百井、そんなことよりこのシフォンケーキ本当に美味しいですよ。あなたも食べたらどうです」
百井は「そんなことよりって……」と頭を抱えた。それからウエイターを呼びつけて言う。
「プリンアラモードとチョコレートパフェを追加でお願いします」
夏目は「は?」と素っ頓狂な声を上げた。
「駄賃はこれで充分ですか? それともまだ足りませんかね?」
「……そこにホイップクリームパンケーキで手を打ちましょう」
「ではそれも追加で」
もしも二人に出くわしたのが店の中でなければ、このウエイターは「失礼、あなたたちは一体どんな関係なんです?」とでも尋ねていただろう。彼はそんな微妙な顔をして去っていった。
夏目はフォークを置き、百井の顔を真面目な顔で見つめる。
「それじゃあ教えてください。僕たちは次に何をすればいいんです? そしてあなたは何をする気なんです?」
「質問が一つ増えましたね」
「……まだ食べるんですか」
呆れたような顔でそう問いかける百井に、夏目はふうとため息を吐いた。
「仕方がありませんね、サービスですよ。
私たちがこれからすべきは、殺人を犯した磯女と彼女にその指示をした者の特定です。そして私はこれから知り合いの磯女に連絡を取ります。これでいいですか?」
「……なんだか見当違いでした。駄賃に見合いません」
「それじゃあもう一つ。私はこれから、神宮寺夫妻がなぜ殺されたのか……つまり、磯女に指示をした者の目的は何なのかを探るつもりです」
なるほど、と百井は一応納得したようだった。
「それじゃあどうぞ。お好きなだけ食べてください」
その声を合図に、夏目は再びフォークを手に取った。直後、百井は夏目に断って席を立つ。
「……以上が夏目の推理です。……いえ、仕事ですので。あと、まだ少し……何か隠していそうです。いや、隠しているというと適切ではないですね。……そうですねえ、まだ確信がないから言わない、というだけだと思います。……それは僕でも無理です。ああ見えて頑固なんですよ。……はい。それはまた追って連絡します。検分の結果の方、お待ちしていますね。はい。それでは失礼します」
電話の相手は警察関係者だろうか。百井は通話を終えてから細く息を吐き出す。それから、夏目が何を考えているのかが分かれば楽なのに……と独りごちた。
「失礼しました。それで、どうしますか? この後は家に戻ればいいんでしょうか?」
百井が夏目の元に戻ったときには、テーブルには既に綺麗になった皿が並んでおり、夏目は長い脚を組んで優雅に紅茶を飲んでいた。
夏目は「そうですねえ、一先ず帰宅しましょう」と言って立ち上がる。それから「ああ」と声を上げた。
「どうかしました?」
「ええ。帰宅の前に連絡したい相手がいたのを思い出しました」
「誰です?」
百井はさも当たり前かのように夏目の携帯端末を取り出しそう問うた。
「……予想はしていましたが、やっぱりあなたが持っていたんですね。私の端末」
「ええ。それで相手は誰です?」
「磯女ですよ。家に来てもらいたくて。……ですから返してください。それ」
「僕が知らない間に知らない人間と連絡を取られるのが嫌なので嫌です」
「何なんですか急に。それに私が連絡を取るのは主に妖でしょう。取り敢えずそれを私に寄越してください。磯女と連絡を取ったら返しますから」
「……そういうことなら」
百井が渋々夏目に端末を返すと、夏目はすぐに画面に指を走らせ始めた。暫くすると百井に端末を返し、会計を任せて店を出る。
「……いえ、考えすぎでしょうか」
柄にもなく、ぼんやりとした光のない瞳で夏目はそうぼやいた。