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夏目探偵は今日も謎解きで忙しい  作者: かながわドミノ
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【1】事件現場と小洒落たカフェと

「夏目、お手をどうぞ」

「ありがとうございます、百井」


 夏目は百井に手を取られて車から降りた。

 突如現れた気品溢れる美しい女性に、辺りは水を打ったように静まりかえる。人々は皆、彼女に目も心も奪われているようだった。

 それが気に食わなかったのか、「ちッ」と百井は小さく舌打ちをする。夏目は「こんな状況には慣れっこです」とでも言いたげに堂々とした佇まいでいた。


 彼女は一度でもそれを目にした者は忘れることが出来なくなるであろう優美な笑みを浮かべて辺りを見渡し、洗練された所作で一歩踏み出す。

 かつ、と細いヒールが石畳を踏む音で、人々は我に返ったようにざわめきだした。


「夏目です」


 モーゼも斯くやといった様子で人々の海を抜けた彼女が立ち入り禁止のテープの近くにいた警官の1人にそう名乗ると、その警官は敬礼をした後に2人を通した。


 夏目は厳重に警備された、事件現場と思われる古めかしい木造の洋館に足を踏み入れ、決して大きくはないがよく通る声で「博多はいますか」と呼びかける。

 それに答えて壮年の男性が奥の部屋から顔を出した。


「夏目、やっと来たか」


 大柄な体に似つかわしく無骨なその声に、夏目は酷く眉を寄せた。


「ええ。……それにしても相変わらずひび割れた嫌な声ですね。日頃百井の細い声ばかりを聞いているせいか頭に響きます。もうすこし小さな声で喋ってください」


 博多と呼ばれた男が先ほど顔を出した部屋に近づきながら彼女は言う。


「お前は相変わらずの毒舌家だなぁ、夏目。努力はするが改善の期待はするなよ」

「分かりました。そしてできるのならその半分の音量でお願いしたいのですが」

「まだ大きいか……」


 博多は弱り果てたようにため息をついた。


「はい。で、ここですね。犯行現場は」


 夏目は今までの話題には完全に興味を失ったようで、倒れた人間2人の形に取られた白いロープに近づきながらそう問う。博多はいきおい、唐突に事件の話をし始めた夏目に振り回される形になってしまった。


「あ……ああ。被害者はこの家に住んでいた神宮寺夫妻で間違いないそうだ」


 ほとんど囁くような博多の声に、夏目は漸く満足したようだった。特に顔を顰めることもなく言う。


「博多、死体の写真はありますか」

「もちろん」


 差し出された写真を受け取り、夏目は百井を手招きした。百井は促されるがままに夏目の手元を覗き込む。彼女は写真を一枚ずつじっくりと眺めていった。写真に写る2人は、なるほど、土気色と表するのが適切なほどに血の気を感じさせない顔色である。


 そして最後の一枚の写真を見た瞬間、2人はほぼ同時に「あら、」「おや、」と声を上げた。


「な、何かあったのか!」


 博多が興奮気味にそう叫ぶと、夏目はわざとらしく蹌踉めき、百井に倒れかかった。抱き留められた彼女は両耳を掌で塞ぎながら、じとっとした目で博多を見つめる。


「す、すまん。それで、何かあったのか」

「ええ、ええ。大有りです」


 人差し指と中指で挟んだままになっていた写真を夏目はひらひらと動かした。


「ほら、見てください。2人の死体にあるこのたくさんの細い傷、痣。十中八九磯女の仕業ですね。なんて分かりやすい…。証拠隠滅の『し』の字も知らなそうな素人仕事ですよ」

「僕も概ね夏目と同じ意見です。お2人のご遺体の方を調べていただいて、皮膚に髪の毛くらいの細さの小さな穴が空いていたら間違いないと言ってもいいでしょう」


 夏目は「それから、」と博多に写真を押し付けるように返しながら言う。


「流石にここまで分かりやすいと野衾や吸血鬼が磯女の犯行に仕立て上げようとした可能性も懸念せざるを得ません。が、まずは死体の検分ですね。吸血のために開けられた穴の大きさによって、この三者は大体見分けることができますから」

「夏目、その……吸血鬼は分かるのだが、磯女、野衾とはなんだ?」


 夏目は「はて?」と目を一度丸くした後、百井に助けを求めるような視線を向けた。


「知らないんですって、百井」

「分かりました、ご存知ないようなので僕から説明させていただきます。

 磯女とは主に九州地方に伝わる妖怪で、名前の通り海の近くに出ると言われています。姿は美女だとか岩のようだとか言われていていまいち定まりません。この妖怪最大の特徴は、自らの髪の毛を使用して標的の吸血を行うという点にあります」


 百井が説明している間、夏目は手持ち無沙汰といった様子で長い黒髪を一房つまんで枝毛を探していた。が、その毛先は艶々黒々としていて枝毛どころか傷みすらなさそうである。

 博多はといえば、どこからか手帳を取り出して百井の話すことを懸命に書き付けていた。


「野衾は江戸……今は東京ですね。に伝わる妖怪です。こちらはムササビのような姿をしています。木の実、火、人や動物の生き血を食料として生きていて、火を吹いたりもするそうです。

 ……以上で大丈夫ですか?夏目」


 そう問いかけられると夏目は手から毛先を離し、自らの気持ちを切り替えるかのようにぱん、と手を叩く。


「はい。ありがとうございました。これで大体分かりましたか? 博多」


 未だに書き付けを終えていなかった博多は「少し待ってくれ…」とだけ言って再び筆を走らせようとした。

 それを聞いた夏目は不思議そうな顔をしてから何故か「ふふっ」と笑う。


「可笑しいことを言いますね、博多。嫌ですよ。もう飽きたので帰ります」

「え、おい夏目」


 うろたえる博多に「当たり前でしょう、どうして私があなたのことを待つと思ったんです」と言い放って夏目はそう言って扉を開け廊下へと歩き出す。百井はこんなことには慣れっこだと言わんばかりの様子で夏目に続いた。

 博多は慌てて手帳を胸元にしまい、2人を追いかける。


 ずんずんと屋敷の中を歩いて出口に向かおうとする夏目に追い縋りながら、博多は必死に話しかけた。


「ええと、そうだな。ひとまずお前達の言う通り死体の検分を行うことにする。結果は追って……」

「百井にメールしてください」

「分かった。……なあ夏目、何か礼に馳走しようか。丁度この近くにお前が好きそうな店が……」

「あなたのご馳走にはなりません。が、お店は教えてください。モノによってはこれから百井と2人で行きますので」


 博多には目もくれず、夏目は扉の取手に手をかけた。

 そんな夏目に、とほほといった様子で博多は店名を告げる。場所を調べた百井は「車で20分くらいですね。ちょっとした休憩には悪くないのでは?」とだけ言った。2人は博多を置き去りにし、辺りに居た数名の警官から敬礼を受けながら館を後にする。


「で、何のお店なんですか?」


 立ち入り禁止のテープをくぐりながら夏目は問うた。館に踏み入れた時と同様に、人混みの中に出来た道をすたすたと歩きながら百井は答える。


「小洒落たカフェですよ。シフォンケーキとクリームティーが評判の。それ以外にも、フランスから仕入れたベルガモットや薔薇、バニラなどの花弁をブレンドした紅茶が素晴らしいのだとか」


 ほう、と夏目は感嘆の声をあげた。


「丁度甘いものの気分でした。相変わらず良いセンスですね。博多は」


 それを聞いた百井は微妙な表情でぼやいた。


「別に僕だって……これくらい有名なお店なら調べられますけど」

「張り合ってるんですか?」


 くす、と笑った後夏目は茶化すようにそう言った。百井は顔色を変えず淡々と返す。


「まさか……事実を伝えただけです」

「そうでしたか。少々嫉妬の色が見えたような気がしたのですが」

「嫉妬? この僕が、あんな若造にですか」


 百井は「はん、」と鼻で笑いながらそう言う。それから夏目を誘うように後部座席のドアを開けた。


「ええ。てっきり、私が博多を褒めたのが気に食わなかったのかと思いました」


 車に乗り込みながら、夏目は百井の表情を窺うように見上げる。そんな夏目と目が合うと、百井は片眉を軽く上げてからドアを閉めた。


「馬鹿なこと言わないでください」


 自身も運転席に乗り込みながら彼は言う。


「それで、目的地は例のカフェで良いんですか?」

「もちろん。向かいましょう」


 名探偵とその助手を乗せた黒塗りの車は、事件現場となった屋敷を音もなく離れた。

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