【0】夏目探偵と百井助手と
夏目探偵はカフェの椅子に腰掛けていた。
目の前には不機嫌そうに指でコツコツとテーブルを叩いている線の細い男。
「……名探偵さんまだ解けませんか?」
「短気は損気ですよ。……百井」
夏目探偵は安楽椅子に腰掛けていた。
「いつまで本を読んでいるつもりなんです、貴方最近寝ていませんよね?」
そう言いながら百井は締め切られていた部屋のカーテンを開けた。
彼の視線の先には、背筋をピンと伸ばした小柄な女性。
「寝ていますよ、でないと頭が働きません」
「いつ寝ているというんです」
「少しでも本を読まない時間を短縮したいのでお風呂に入った時についでに寝ています」
「そうやって浴槽溺死事件が起こるんですね、そら早くベッドで寝なさい」
百井はその女性の手から本を引き抜いた。すると彼女は案の定ムッとした顔になる。
「私は溺死したことありません」
「そうですね。今僕の前で減らず口叩いていますから。でも貴方が死んだら僕の心の中は今より遥かにスッキリすると思います」
「なるほど、私が死んだらあなたの心にぽっかりと穴が開いてしまうと。では死ぬわけにはいきませんね、少し寝てきます」
女性は百井の手から先ほど奪われた本を取り返して本棚の隙間に差し込んだ。するとガタガタと音がして本棚が動きだし、木製の扉が目の前に現れる。
こんなところに寝室があったのか、と百井は溜息を吐いた。
「はぁ……その前に貴方の心臓に物理的に穴をぽっかり開けて差し上げましょうか。とてもよく眠れると思いますよ」
「なんてこと言うんですか。こんな幼気な美少女を脅さないでください」
「貴方の顔立ちが整っていることは認めますがその減らず口が玉に傷ですね。それに貴方の年齢、とてもじゃないけど幼気な少女とは言えないのでは?」
「レディーに年齢を聞くのは行儀が悪いですよ、百井」
「そう言う貴方こそ化粧もせずによく僕みたいに美しい異性の前に存在できますね。行儀が悪いですよ」
「あら百井。この私の絹のように滑らかな肌と羽のような睫毛を見て更に顔を飾る必要があると思いますか?」
「少なくとも外に出るときくらいは嗜みとして必要でしょうね。その血色の悪い肌を晒さないために」
「私の肌は白磁のようって言うんです。血色が悪いだなんて失礼ですね」
百井はまた何か言いたげに口を開いて_____しかし着信を告げた衣嚢の中の端末に手を伸ばす。
何の断りもなく至極当然のように電話に出た百井は、数言通話相手と話をした。夏目はといえば、すぐにその無礼を咎めるかと思いきや意外にもそれを無感動に見守っていた。
電話を切った百井は緩慢な動作で夏目に視線を投げ、言う。
「夏目、仕事ですよ」
「さあ百井、今日の事件について今分かっている範囲での状況説明をお願いします」
「ええ。被害者は_____」
その会話は事件現場に向かう車内で行われていた。
被害者は夫婦と見られる男女2人。
2人とも血が一滴残らず抜かれていることから、妖の犯行とみられる。
百井はそれらのことを端的に語った。
「また妖ですか……吸血行為を行うとなると、磯女か野衾の可能性が高いですね」
「海外から来た吸血鬼の可能性も拭いきれませんよ」
「ああ、そうでした、今は飛行機や何やで妖も国境を跨いだ交流が行える時代ですからね」
「そう言うと途端に年寄りらしいですね」
「女性相手に年齢の話はやめろと……」
「歳相応で良いと思いますよ。僕はね」
軽口を叩きながらも百井はアクセルを強く踏み込んだ。
夏目、自らが所有する特殊な力が原因で不老長寿となった鬼。
百井、その昔人魚の肉を食したことで不老不死となった元人間。
億万劫の時を生く、2人が紡ぐ異聞奇譚。
これにて黎明、幕開き_____