天-2(旧題:ラポール島on俺)
南向きのまどから、間接的に朝日の出を楽しみつつ。俺は脳内語りを終え、姿見をのぞ
き込んだ。背後に真っ黒な人がいる。
今は朝ですよーー。
ちょっと待て、なんか結果いい金縛りだったんだが、コイツはまずい。すでに肌が寒気だっている。動悸がする。ふう。ふう。ほら呼吸が粗い。短く息吐く、それは白い。寒気を押しとどめ! そして振り返る!
バッ。
なっ、いないだろ。脳内が朝のフン掃除中。
幽霊ってさ振り返っていないとき上にいるらしいよー。
ウ・エ・ニ・イ・ル?
フレームシーンを区切って区切って、画像が天井に近づく。もうすぐ天井だ。明るい。ーーよし、いないぞ。
全身から力が抜け。ホッと安堵し顔をあげると。
ーー目の前にいた。
真っ黒の白目のない小さな女の子が。
遊ぼ、遊ぼってーーそして……記憶が途絶えた。
次に焦ったのは別の理由だった。
起きた朝は、何故か土曜、日曜をすっとばして。俺は月曜と示していた電波時計の正気を疑った。転校の初日である。どんがらがっしゃん。楽しいよー。「楽しくねーよ!」脳内一人突っ込みにも観客がいた。
廊下でぺたぺたいっている。
「ああ、もう」絶対なにか忘れ物してる。そう思いながらも玄関に向かう。焦りすぎて、怪奇現象も相手してられない。
「いってきまーす」
なんか思念が見送りしてくれたが、おざなりに新しい高校に向け、疾走した。
気持ちいい風が吹き抜ける。汗がじっとりと服に張り付く。
「まだ現役でバスケ部いけるかもな」
「おう、いけるんじゃないか?」
爽やかな色が似合う。しかし見るからに重っくるそうな大きさのスポーツバッグを持った好青年が話しかけてきた。同年代なのはこれから通よう高校の制服なのでわかるのだが、その恐らく部活で鍛えたであろう体躯は少年というよりも青年という方がしっくりした。
そう思わせるだけの落ち着きを持った男だった。
「部活生? 朝練とかないのか? ここは? 」呼吸の合間に聞いてみた。
「あるぞ。だから走っている。自主練だ」
時間制限つきの短距離走。にかっと白い歯を見せた男は急制動をかける。
ーー赤信号止まり。
車信号が赤になる。
まあいい運動にはなるだろうと思った。
「たしかに、なっ」まだ弾む息を飲み込み。
二人同時に走り出す。
「時間は?」声が重なる。
向かい合わせに顔が尋ねる。
重なった時点で答えは出てる。
今はただ走るッーー。
歩道を走り抜けるとき、視界の端を赤信号で停車していた2tトラックが通過した。
結局足を緩めたのは、校門前にあるでかい街路樹のあたりだった。前みた根暗ツインテ
ールがゆったり歩いて校舎に向かうのを見て、俺は襟をうちわにした。校門に吸い込まれ
ていく生徒の集団に追いついた。とするとまだ登校時刻までまだ余裕がある。
「使う?」差し出されたコールドスプレーがきらりと光る。
ちょいちょいっと俺は手で、小雨の車のワイパーみたいに断る。実はまだ少し寒気があった。
「釣られちゃったよ、どのみち朝練さぼりで遅刻みたいなもんだったけどさ」
「何組よ?見かけん顔やし」
「ああ、俺転校生。今日から」よろしく、っと自分の名前を告げる。
「いい名前やな、三人兄弟やったらちょっとばかし微妙な感は、するけどよ。俺は斑目善悪、よろしくな」マジマジとこっちの顔を見てくる。何かを詮索するかのような目つきが嫌で目線を反らした。視線の先に時計の尖塔があった。あと10数分でホームルームの時間である。
「あっ、先に職員室行かないといけないんだった」
何組になっているのかもわからない、と付け加えた。
「それじゃ、たぶん来客用のとこ使っていいと思うぞ」
すっと指が裏門側を指す、そこ回り込んでスグだ。
「ありがとう」
校舎の陰にはいりこむとき、視界の縁で善悪はまだこちらをみていた。
職員室にて、担当の先生からあいさつされ、適当に諸注意を聞いたあと一緒に教室へ行
く手筈になった。教室へ向かう途中にクロールの息継ぎ程度の感覚でこのあたりのことを
聞いた。出身小学校の話題になると、どうやらわずかではあるが、入学はしているらし
い。担任は自分のクラスにも2人いたなあ、ともらした。小学生のころとはいえ、「ごめ
ん、忘れてた」は避けたいよなーと、ぼやくと「まあそれも含めて再会だろ」といわれた
ので、返答の袋小路にあるあいづちを提出した。
教室に入ると教卓の前の席にさっき見知った顔がいたので、片手で会釈した。三日持つ
かどうかの転勤遍歴ネタを語ったところで、担任が俺に関するプチトリビアを披露する。
「一人暮らしだぞっ」、と。そういや忘れてたけど、そうだった。飢えた魚群に入れぐい
状態、このあとは、ハイ! 模範解答。「遊び行っていい?」の危険フラグ。どうやら部
活の奉仕活動よりも清掃しそうな予感がする。「まだ片づいてないから」と笑顔で言い訳
をしたーーそれより黒き同居人をなんとかしないと。
「そういや斑目」
担任が呼ぶ。「お前ら、同じ小学校だそうだな?」記憶がジグソーパズルする。
ああ、同じ名字のやつなら知っている。かけっこが早くスポーツ優秀、同じミニバスケットボールをしていた……。「よっちゃん?」一瞬、複雑怪奇な顔をした。
二十面相は落ち着きはらって「あーやっぱりそうか」
「達三か、兄弟三人いない達三」昔のあだ名「タッちゃん」では呼ばなかったな。正解だ
よ、よっちゃん。男2人。愛称で呼びあったら、BL絵の寸劇が始まりそうだ
「あれ? とすると、よしおはーー」
「変えたんだ。家裁に行って」なるほどな。腑に落ちて何回か頷いた。「しっかしー変わ
ったなー」
「お前はそうでもないな」となんかいい感じの会話をし、教室の雰囲気が、温和でひなた
ぼっこできそうだと感じた。
「あー。あと曾根崎もだな」
その一言で教室の空気に氷点直下の亀裂がはしった。この手の歪の再生は刹那である。だけど俺はそのときの曾根崎ーー曾根崎初実の顔を決して忘れないだろう。
我関せずを貫いていた。伏していた女子高生のツインテールが隆起し、その黒髪の主とぴったり眼があった。あの顔には覚えがある。……やがて、世界がスローモーションになったかの速度で初実は机上に沈みゆく夕日のごとく顔を消した。
その時俺はどういう表情をしていたのだろう? 動揺しつつも冷静で、頭が冷えている振りして、茹だっていたのかもしれない。
担任が見比べるようにみて「善悪あとで少し職員室に来い、話がある」
善悪もすごくきまりの悪い顔をした。
とにかく、放課後になった。授業中。休み時間。授業中。何度もインターバルが行われ
ている間。
とかく俺は、後部座席の吹き溜まりにいる幼なじみに声をかけれずにいた。
説明はできない。
あんな世界が終わったみたいな顔をしといて、なぜこのクラスはこんなにも雰囲気がいいのか?
俺が一見さんからこのクラスの常連になったとき、わかるのだろうか?
俺もこのクラスの一員になるのか?
聞きたいことはいっぱいあるはずなのに、なにも言えない世間体を気にする自分がいた。地雷はよくないと断言できるのに、撤去しにいかないこととにているかもしれない。
幼なじみである善悪が話しかけてきた。
「達三。部活はどうする? よければまた一緒にバスケットしないか?」俺を気遣ってく
れる。ひとまず生活が落ち着いてから考えると伝え、席を立った。
下校しながら旧友との出会ったころのこととか考え、思いだそうと記憶を辿り家に帰ろうとしたが何もでず。帰ったところで晩飯がないと思い出したのが家の前にたどり着いてだった。仕方なく道を繁
華街の方にきびすを返す。あの顔……、昔の曾根崎が見せてた、溌剌とした表情豊かな子
はいなくなったのか。
何か原因があったのか?
心あたりをくすぶっている記憶の底からすくおうとしては、もどかしくも何の成果もないサルベージを続けていた。わかったことがある。いくら遡ろうと昔の曾根崎は俺の記憶には断片しかいないってことである。ただその断片は光輝いていて、いつでもその頃の自分の支えになっていたことだけは覚えてい
た。
それと久々の再会で新しく俺の記憶に刻み込まれた曾根崎は、氷で覆われた鮮魚コーナ
ーにたくさんいたってことだけだ。教室で見た焦点の合うことがないヨレヨレの黒目を思
い出した。
一つ解決したところで、一つしなければいけないことを思い出した。
どうすればいいかはわからないが、とりあえずは行っとけ、みたいな場所である。
その名も「神社」。
しばらくは山勘で、と思い歩いて程なくして見つかった。
こんなとこにあるのかと思いつつも。鳥居をくぐると、一軒家二戸分の高さの石段があり結構登る。俺も小さいとき来たことがあったか自問した。やっぱり思い出せない。小学生というのはそういう時期なのだろう。
紅く夕日が射す小高い丘は、赤い灯籠に囲まれていて、閑静な住宅街から浮いた存在に
思えた。俗世離れした神社だけならばそこまで絵になることはないだろう。
どうしてかって言うと、天女のようないでだちをした巫女が切り取った絵のように照らされていたのだ
から。
「若し……そこの御仁。御身危ぶまれれば、我が演舞にて清いあらためましょうぞ」
サア、サア、サアと気づくと本堂に座らされた俺はぼけっとしていたが、流るる水のように白き布が四方を舞う踊りの真ん中にいて、気づくと喧噪絶えない繁華街の真ん中にいた。
ここまで色々なことが一日にたて続けて起こると、わりと不思議なことも、受け入れて
しまう。人間って強いよ。
一人ごちると右手が何かを掴んでいた。ーー手鏡?
護身鏡です。と声がした。
たしかに渡された記憶がある。
あれ、何か注意とか警戒のような意味合いのことも聞いてた気がする。なんだったかーー。考え歩いてたら呼び止められる。今度は、何だ?
「アアーーーーーーーーッそれは伝説の護身鏡。三大神器のひとつであり、」
えらく一つ一つがオーバーリアクションなやつだなあ。なんだかもう眠くなってきた。
なんか小難しいことをガアガア言っている。
あくびをかみ殺した。
まだまだ宝塚よろしくの実演が続くらしい。
なんだなんだ、とひとりまたひとりと立ち止まり、人だかりができてきた。あっ、いけ
ね。これ現実だ。
「ーー聞いてました?」
キョトンと純粋な眼で見つめられてドギマギする。
返答待ってますと小さなアヒル口がむっすりしてる。
「ごめん。最初から頼む」
ああー、と。幼さの残る赤いショートカットの髪が揺れる。「ミコ様の真似やめようかなー」
「でもっ。僕は僕の役目をまっとうしないと」
うしっと気合いを入れ直した僕っ娘が大きく息を吸ったので、慌てて口を抑えた。
「ちょっと待ってお嬢ちゃん、俺一人に用があるんだろ?」
「うんッ!!」勢いってすばらしい。若さって凄まじいパワーだ。
とりあえず、人混みにすみませんをいい、通行のおじゃまにならない閉鎖したか、時間
外かわからない商店の前にきた。
とりあえず「お名前は?」まあ基本だろう。
途端にうるうるっとしたものが、小さき水門をこじ開けようとする。
「名前……名前……」ひぐっ、ひぐっと嘔吐き始める。
これは状況証拠でアウトだ。
あわてふためきながらも質問をかえた。ヨシヨシしながら「どこから来たの? 」と聞いた。これじゃあ警察の仕事じゃないか。
握ってやりたくなる、ほのかに桜色づく小さな指先を追うとマンホールがあった。事件
だ、違うさくらの香りがするぜー。「違うのー」グスグスしながら、フタの真ん中らへん
を差し続ける。どっかでみたような、というか見分けがつかないような、樹のフタ。たし
かーー政令指定都市の樹で「椿」
にかっと笑う。
「ウンっ。そっから生まれたの」
何分経っただろうかーー。頭を抱えてうずくまる。この椿のメが撫でてくる。子供は難
解すぎる。アレ? というか幼くなっていってないか? 気のせいか。
「連れ帰るわけにもいかないだろうし、警察署はどこだろ?」
「メっ!」なんか真剣すぎる表情と幼さが釣りあっていない。とにかく一度ちゃんと聞かなくては、嫌な予感が……チリチリしたものが伝わる。
「親ーーいや、お役目はなんて?」
んーと、んと。考えて考えてる。さっき大立ち回りやってただろ?いいかけた言葉を飲み込む。見ると息が荒い。倒れ込みそうになる幼い体を思わず掬うように手と膝で抱えた。
絞るような声が聞こえる。
「ガミ…」
「カガミ」
軽くうなずいて。
頭に手をあてる。
「頭?」
首をよこにふるふる動かす。
眼を瞑って手を横にもってくる。
「鏡を寝床に、ってことか?」
なあ、それでいいんだな? なあ。
コクン。
最後に、穏やかな顔を残して、溶けるように、その場に何もいなかったように、俺は夕闇の中、ひとり佇んでいた。