天眼通
目に映ったものは炎で、耳は轟音で麻痺して、肌で感じたものは熱で、舌は泥の味を伝え、鼻はむせ返るような血の匂いによって、現実を突きつける。
ここが私の全て。私の原点であり、復讐のよりどころ。
声にならない叫びを必死に叩きつけ、涙で歪む視界を恨みながら、必死に手を伸ばす。もう動くことがないと、すでにわかっている両親に向かって。
「あ……ぁ」
手を伸ばす。血まみれの両親に向かって。
手を伸ばす。人はこんなにも血を失うと、死んでしまうことをすでに知っていながら。
それでも私は手を伸ばす。失いたくないから。さっきまで手の届くところにあった温もりを失いたくなくて、本能だけで手を伸ばす。
きっと、この世界に神様は居ない。居るはずがない。私の伸ばした手は、両親に届くことはなく、地獄を生み出した化け物にしか届かなかったのだから。
「まだ力は戻りきりませんね……ま、ひとまず帰りますか」
黒い布のようなものを身につけ、地面に接しそうなほど長い髪を揺らしながら、化け物は去っていく。空間を引き裂き、別の次元へと。
「こ……ろ、す」
血反吐と怨嗟の声をこぼしながら、私は仇の姿を眼と魂に焼き付ける。どこへ逃げようと、必ず追いかけて殺せるように。
「かな、ら……ず」
そこで、私の意識は途絶えた。
これが、今から十二年前の出来事。
これが、復讐鬼の生まれる発端となった凶事。
これこそが、巣鴨咲耶の生きる意味。
◆ ◆ ◆
偶然出会った小娘――巣鴨咲耶を雑用に任命してから一日が経った。
「起きろ」
俺はベッドの上で丸くなっている咲耶を叩き起こす。
「んん……あと五分」
「テンプレートな寝言言ってんじゃねぇよ。首刎ね飛ばすぞこら」
こいつ、やっぱり肝が据わっているな。普通あんなことがあったら、こんなにも穏やかに眠れないだろうに。
「起きろって……のっ!」
頭蓋骨が陥没しない程度の力で、咲耶の頭部を殴りつける。衝撃でベッドのスプリングが嫌な音を響かせる。
「っー! 何すんのよ! 痛いじゃない!」
頭を抑えながら、涙目で飛び起きる咲耶。その顔には、怒りと困惑がべったりと張り付いている。
「起きたか。さっさと準備しろ。時司のところ行くぞ」
「うー……まだ五時じゃない」
壁の掛け時計を恨みがましそうににらみながら、再度ベッドに逃げ込む怠け者。布団の中から「睡眠不足は美容の天敵」と、わけのわからない戯れ言が聞こえてくる。
「訓練兵時代はこのくらいに起きてただろ。起床ラッパでも吹いてやろうか?」
「やめて、あの音聞くと反射的に着替えちゃうから」
「そうか。お前のストリップが見たくなったら吹くとしよう」
「悪趣味……着替えるから出て行って」
「わかった。俺は先に会議室に行ってるから、着替えて顔洗ったら来い」
「ええ。すぐに行くわ。――それよりレイン、あなた夜の間どこに行ってたの? この部屋に居なかったわよね?」
「俺が居ると落ち着けないだろうと思って、外で時間を潰していたんだよ」
本当は繁華街で遊んでいただけだが、そういうことにしておこう。
「気を遣わせたみたいね。ごめんなさい。……それと、ありがとう」
「? なんで急に礼なんか……」
「今まで、一人部屋だったからかしら……起きて誰かが居るということが、少し嬉しいのよ」
「変なことを言うやつだ……いいからさっさと来い。待ってるからな」
咲耶を起こした俺は、部屋の隅に立てかけてあった刀を手に、会議室へと向かった。背後から聞こえてきた咲耶の忍び笑いが、妙に腹立たしかった。
◆ ◆ ◆
「遅くなってすまないね」
アイギスの制服に身を包んだ俺と咲耶が会議室で待っていると、ようやく時司が姿を見せた。
「おはようございます!」
「うん、おはよう巣鴨君。よく眠れたかい?」
「はい。ぐっすりと」
「たいした女だよ……でだ時司、早速こいつを連れて出る。手近なのを見繕え」
「了解。――巣鴨君、僕の能力は知っているかな?」
「もちろんです。広域における魔力の探査と分析……《天眼通》」
「そうだ。キミの《第三の魔眼》と似ている。《第三の魔眼》よりも、広く浅く、といったところだ」
「時司が敵の居場所を探り、俺がそこへ行って始末する。アイギスができてから、ずっと行われていた裏事業ってわけだ」
「その裏事業に、今日から私も加わるのね……」
「なぁに、端役も端役だ。気負うな小娘。でもまあ、能力が《第三の魔眼》ならある程度は役立つかもな。期待してるぞ」
「けなされてるのか、褒められてるのか……。それで、私たちはどこへ行けばいいのですか?」
「今視てみるよ」
時司は椅子に座り、使い古された巨大な日本地図を広げる。地図に向かって手をかざし、目を閉じる。
『――風は疾り 光を導く――』
広域探査を行う内なる魔眼が、ゆっくりと開かれていく。
『――見通す者 千の眼で見下ろす者――』
遠方の魔力を察知するのが時司の能力だ。どこにどんなユーザーが存在するのか、それを把握できる。フリークスが発生した場合も、大まかな種類と位置を割り出せる。
『――点は収束し 線を結び 像を作る――』
日本全土のユーザーを即座に分析できる人間は、俺の知る限りこの男しか居ない。こいつが組織のトップなのには、それなりの理由がある。
『映し出せ――《天眼通》――』
アイギスのトップ、時司レイ――敵がどこに隠れようと、必ず見つけ出す男。神の眼を持つ者、とまで呼ばれるその能力は、決して伊達ではない。
「何が見える?」
「――命 その具現 生命 略奪者」
命を奪うユーザー……ってところか。
「――浮浪する 狂気に満ちた 隻腕の呪い」
「相手は片腕か……これまた、ずいぶんと面白そうだ」
俺が狩るのは、どこの組織にも属しておらず、力に飲み込まれたユーザーが主だ。そういった輩は、いい感じに気が狂っている。
「……ふぅ」
能力を解除し、時司が軽く頭を振る。ことの成り行きを見守っていた咲耶が、緊張した面持ちで、口を開く。
「これが……時司さんの能力なんですね。詳細は知っていましたが、こんなに近くで見るのは初めてです」
たいして面白くもなかっただろうに、神聖な儀式でも眺めていたかのように、感動しているようだ。この女の感性がわからん。
「あまり人前で能力は使わないからね、僕は」
「引きこもりのひょろひょろ男だからな」
「酷い言われようだなぁ。――それより、今回の相手だけど、方角と距離から推察すると……この辺りだね」
そう言って指さした場所は、少し遠くにある山の麓だ。五年ほど前に、大型のフリークスがこの辺りで大暴れし、ニュースになっていた。
「ここ、覚えてます。フリークスが出現して、甚大な被害が出た場所ですよね。急にフリークスが消滅したことでも、話題になっていた」
「なんだ、知ってたのか。俺が仕留めたんだよ。そのフリークス」
「……え?」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まる咲耶。そのまま時司の方へと視線を向ける。
「うん。レインの言う通りだ。あのフリークスは通常のユーザーでは手に余ると判断し、レインを送ったんだ」
「すでに大勢の人間に観測されているフリークスだから、誰の目にも付かないように仕留めろ――とか面倒な要求付きでな」
気配を完全に消し、姿さえも不視の魔術で見えなくして、フリークスを狩ったことを、おぼろげに覚えている。俺はあまり小手先の魔術は得意でないというのに、よくやった方だと褒めてやりたい。
「……なんか、レインの半生を聞いていたら、思わぬブラックボックスを開けちゃいそう」
頬を引きつらせながら歪に笑う咲耶に、少しだけ同情した。