神の欠片
そこは、シンプルなテーブルとパイプ椅子だけが置かれた、あまり広くはない部屋だった。こぢんまりとした会議室のような印象だ。テーブルの上にはファイルとA4サイズの紙が散乱している。
「お、お疲れ様です!」
思わず、足を揃え敬礼をする。本当に居ると思わなかった人が目の前に現れたとき、人は身についた習慣を実行するらしい。
「キミは……六番隊の巣鴨君じゃないか。なぜレインと一緒に?」
いつも通り、黒いスーツを着こなしている時司さんがそう尋ねる。オールバックが今日もきっちりと、寸分の狂いなく形作られている。
「フリークスとの戦闘中に出会いまして。……その……時司さん、この男についてなのですが――」
「おい、人を指さすな」
レインの文句は黙殺し、話を続ける。
「――アイギスのメンバーだというのは本当ですか?」
「一応はそう言うことになるんだけどね……正式なメンバーじゃないんだよ」
「正式なメンバーじゃない……」
「そう。――というよりレイン、なぜ巣鴨君をここに連れてきたんだい? ここは僕とキミと雪月君だけの会議室だったはずだけど……」
「少し前まで俺の雑用を担当していた女が居ただろ? あいつが死んだからその代わりをこいつにさせようと思ってな。お前からなら断れないだろうと、ここまで連れてきた」
「そんな誘拐みたいなマネしなくても……とにかく、キミの補佐を巣鴨君にさせろと?」
「そういうことだ。俺について手短に説明しておいてくれ。俺は自室でだらだらしてるから、話が付いたらこっちに寄越せ」
「はぁ……いつもそうやって面倒なことは僕に丸投げかい?」
「お前は頭、俺は力。適材適所だ。無駄がないだろう?」
話の見えない私の横を通り過ぎ、レインは来た道へと引き返す。私はひたすら、頭の上に疑問符を増やすばかりだ。
「んじゃ、あとはよろしく」
レインがさっさと部屋を出て行ってしまい、場は奇妙な沈黙に支配される。
「……さて、どこから話したものか……まずは巣鴨君、突如こんなことに巻き込んですまなかったね。組織を束ねる者として、改めて謝罪するよ」
疲れたサラリーマンのような表情で、時司さんが頭を下げる。こんな姿を見たのは初めてのことだったので、少し面喰らってしまう。
「い、いえ……時司さんが悪いわけではないですし……。あの、まだ状況がよくわかっていないのですが……」
「ああ、そうだよね。混乱するのも無理はない。最初から説明するよ。――長い話になりそうだし、コーヒーでも飲むかい?」
「いえ、お構いなく」
「そうか……では、早速話を始めよう」
時司さんは特に残念がることもなく、咳払いをしてから話の口火を切った。
◆ ◆ ◆
時司さんに勧められ、お世辞にも座り心地がいいとは言えないパイプ椅子に腰をかける。本部の中よりも、だいぶ設備のグレードが低い。デスクも傷だらけだし、散乱しているペンなどの文房具も、安物ばかりだ。もう何年も手入れされていないのだろう。
こんなところに総司令の時司さんが居るというのが、どうにもしっくり来ない。本部の司令室は、冷暖房完備で、ふかふかの椅子やら巨大なモニターやら、何かと豪華だからだ。
「まず、先ほどの男、レインについてだ。率直に言ってしまうと、彼は我が組織アイギスの……秘密兵器といったところかな」
「秘密兵器……ですか?」
日常生活では聞き慣れない言葉に、思わず思考が鈍る。
「ああ。発足当時から居る最古のメンバーだ」
アイギスが作られたのがおよそ十年前。レインの年齢が二十前後だとすると、かなり小さい頃からアイギスで働いていたことになる。
「初耳です」
「世間には公表されていないからね。知らないのも無理はないよ。レインには、アイギスで処理仕切れないユーザーやフリークスの相手をお願いしているんだ。今日のように、レインが勝手にフリークスやユーザーを殺してしまうことも多いのだけどね」
時司さんは肩をすくめながら、首を小さく横に振る。やんちゃな息子に困っている親のような仕草だった。
「フリークスやユーザーの対処を、なぜレインだけ秘密裏に行っているのですか?」
フリークスの駆除や、ユーザーの保護などは、アイギスの公務だ。隠す必要などない。
「レインは特別でね。僕やキミ……普通のユーザーとは一線を画しているんだ」
「確かに、彼の魔力は妙でしたが……ユーザーではないのですか?」
「難しいところだね。――巣鴨君、キミは異能者……つまりユーザーについてどこまで知っているかな?」
「フリークスに有効打を放てる、唯一の存在。有する能力は多種多様。能力に目覚める時期は様々で、子供の頃に目覚める者、還暦になってから目覚める者など、統一されてはいない……と、この程度の知識ですが」
「うん、教科書通りの回答だね。でも、それだけでは不足なんだよ。ユーザーとフリークスについて特別に捕捉しよう。このことは、他言無用でお願いするよ。余計な混乱は避けたいからね」
私は重くなる空気に耐えるように、息を小さく吸ってから、無言で頷く。
「フリークスの詳しい発生原因については、未だ解明されていない点が多い――というのが通説だけど、実はそうではないんだ」
「……え?」
これまでの常識がたった一言で崩され、目の前が僅かに暗くなる。
地球は平らで、亀と象によって支えられていると信じていた人々が『実は地球は球体なんですよ』と知らされたときは、こんな気分だったのだろう。
「フリークスというのは、天界で過ごす神々の残滓が地上に落ちた結果、生まれたものだ。そして我々ユーザーは、落ちてきた神々の残滓を、たまたま身に受けた人間なんだよ」
時司さんの発した言葉が飲み込めず、咄嗟に反応が返せなかった。
「あの、時司さん……よく意味が」
「わからないかい? そう難しく捉える必要はない。地上の遙か上には神様が居て、その神様たちが地上に落とした髪の毛やら体液やら垢やらが、フリークスになったり、人間に力を与えたりしている――と言った具合だ」
「……初めて聞いたおとぎ話です」
「おとぎ話のようだけれども、事実だよ。僕もキミも、遙か上空から落ちてきた神様の欠片が、偶然体にぶつかっただけ、なんだよ」
「突然そう言われても、どうにも信じられません」
「まあ、荒唐無稽な話だとは思う。しかし、フリークスやユーザーといった超常的な存在が居ることは事実だろう? とりあえず納得してほしい」
時司さんの言う通り、この世界は幻想が現実となり、それが定着している。
誰も彼も生き残ることに必死だったから、フリークス発生の解明に関しては後手に回っていたが……もう解明されていたとは、さすがに思いも寄らなかった。
「――わかりました。時司さんのお話は信じます。それでレインについてですが、今の話が関係しているのですか?」
「もちろんだ。レインは神の『欠片』ではなく、神『そのもの』を宿した存在なんだよ。ちなみに、今の話もレインから聞かされたものだ」
「レインが……神そのものを、ですか……」
「そう。レインは神の本体を取り込んでいる。だからこそ、果てしなく強いんだよ。ただただ、強いんだ。純粋に、果てしなく強い。神速で動き回り、頭と心臓を同時に潰しても蘇生する……どれだけのユーザーが束になっても、勝つことは不可能だろう」
「確かに、フリークスに身体を潰されても、いつの間にか蘇生はしていましたが……それがレインの能力なのですか?」
「いや、異常な生命力は神を宿したことによる副次的なものだ。主とする能力はありとあらゆるものを両断する『切断概念』と呼ばれるものだ」
「聞いたことない能力です。どんな能力なのですか?」
ユーザーの能力についてはそこそこ勉強しているが、初めて聞いた能力だ。
「物体に魔力を通すことにより、『切断』という『概念』を付与するんだ。これが、どういうことかわかるかい?」
「概念を付与……すみません、どうにもイメージが……」
「ざっくりと説明すれば、なんでもかんでも斬れるということだ。鋼鉄も魔術防壁もたやすく両断する。有形だろうが無形だろうが両断する。――そこにあるのなら切断できるというのがレインの能力だ」
装甲種を綺麗に真っ二つにしたことを考えると、納得もできるが……あまりにもむちゃくちゃだ。
「さて……これで最低限の説明は済んだ。さらに詳しいことはレイン本人に訊いてほしい。ここまでで何か質問は?」
「色々と頭がいっぱいなのですが……とりあえず、私はこれからどうなるのですか?」
「特別任務として、レインのサポートをお願いしたい。簡単な雑用だ。キミなら問題ない」
「今までの話を聞く限り、彼に手助けが必要とは思えないのですが」
「戦闘面でのサポートは基本いらないよ。買い出しだったり雑用だったりだ。お願いできるだろうか? 今所属している六番隊には僕から言っておくよ」
「……断ることはできないのですか?」
「断れば、レインに殺されるだろうね」
さらりと、本当に呆気なく、時司さんはそう言った。まるで感情の見えないその表情に、背筋が冷たくなる。
時司レイ――三十代前半という若さにして、異能者集団のトップに、十年以上も立ち続ける存在。その精神はすでに常人を超えている。
「……除隊して、神を宿した男の雑用を行えと?」
「不服かもしれないが、首をたてに振らなければ、キミの命は今日限りだ。レインを止めることは、僕にも不可能なものでね」
「……命は惜しいですし、時司さんの命令ですので従います。いささか急な話で不安ではありますが」
両親を亡くした私は、小さい頃、孤児院で暮らしていた。ユーザーの子供たちを集めた、牢獄のような孤児院だった。嫌なことがない代わりに、いいこともない――そんな、生き地獄のような場所で、私はフリークスへの怒りだけを膨れあがらせていた。
時司さんには、そんな孤児院から引き取ってくれた恩がある。頼みは断りにくい。
「ありがとう、助かるよ。最大限の便宜は図ろう。僕にできることは何でも言ってくれ」
優しげな表情で、時司さんは胸をなでおろす。その様子から、時司さんもレインに関して色々と苦労しているようだ。
「では、早速なのですが……レインと二人で話がしたいです」
不本意ではあるが、私はあの獣と向かい合わなければならないらしい。