レイン
――空間を把握する。
私にできることはただそれだけ。炎を操るでも、身体能力を上げるでもない。ただ眼で視える物事が増えるだけ。戦闘向きではないが、工夫一つで様々なことに応用が利く。
「来なさいよフリークス」
魔力を通し、魔眼と化した両目で、空間を掌握する。
今の私は、地面に転がる小石の数を把握できるし、空気中に漂う酸素濃度でさえ機械のように正確な数字が出せる。本来目視できない類の物でも、色を伴って視認できるようになる。
空間そのものに『干渉』はできない、ただ『観測』できるのみ。あとはそれをうまいこと活用すればいい。
「私がこの能力に目覚めて十年以上。もう扱いは完璧よ」
脳内が周囲の情報で埋め尽くされる。それらの情報をすぐさま精査・分類する。目の前には、菫色の魔力を纏ったフリークス。威嚇しているのか、遠雷のような低いうなり声を発しながら私をにらむ。
「――ここ!」
フリークス・装甲種。その名の通り、通常のフリークスよりも堅牢な鱗や甲羅を持った種別だ。だが、弱点は必ずある。
銃弾を右前足の爪に目がけて発砲。見た目とは裏腹に、爪は装甲に比べて脆い。この眼があれば、フリークスの情報だって丸裸となる。
私の放った銃弾は爪を砕き。前足を貫通した。空気を入れすぎた風船のように、魔力がはじける。
『グォォォォォッ』
撃たれた痛みからか、傷を付けられた恨みからか、フリークスは大気を振るわせる程の大音量で咆哮をあげる。
真っ赤な血を噴水のようにまき散らしながら、巨体をむちゃくちゃに暴れさせる巨大な化け物。まるで、痛みを地面に押しつけるかのような動きだ。
「よし、あとは時間を稼ぐだけ」
足を撃たれたくらいでフリークスは死なない。五分とかからずに治癒してしまうだろう。一定の距離を保ちつつ、弱点をピンポイントで狙う。それが最善手だ。
残弾で稼げる時間を脳内で計算する。ヘマをしなければ間に合う……はずだ。間に合わせなければならない。
「ほんと、私って運がいいわね」
重く、熱いため息を吐き出したと同時に、
「おいおい、夜の公園でパーティか?」
背後から、聞き覚えのない呑気な声がかけられた。この剣呑な空気とはあまりにも対照的な声が。
「……え?」
だから、私が変な声を出してしまったことを責めないでほしい。
「ずいぶんと楽しそうじゃないか。混ぜてくれよ」
十メートルほど離れた場所に、一人の青年が立っていた。薄汚れたジーンズに、よれよれなねずみ色のパーカーを羽織ったラフな格好。手には、食べ物と飲み物が入ったビニール袋が握られている。
見た目だけならば長身痩躯の一般人だ。だが、私の眼は全てを捉える――彼の異常なまでの禍々しい魔力さえも、捉えてしまう。
「あ、なた……誰?」
まるで獣のような獰猛な眼光。この状況を前にして逃げ出さない異常性。間違いなく普通じゃない。
ユーザー? いや、そもそも彼は人間なのだろうか?
私は、目の前のフリークスよりも、突如現れた男の方が恐ろしくて仕方ない。この魔眼を手に入れてから、正体のつかめなかった相手など、一人たりとも居なかったのだから。
「俺か? 名前はレイン。所属は……まあいいか」
レインと名乗った彼は、手にしていたビニール袋をベンチの上に置き、フラフラとこちらに歩み寄る。
「ちょ、ちょっと、何する気?」
「気にするな。お前はもう帰ってもいいぞ。フリークスの相手は俺がしておく。装甲種相手に、そんな豆鉄砲だと焼け石に水だ」
「そういうわけには……」
突如現れた謎の男――恐らくはユーザーだと思うのだが、確信が持てない。
私の《第三の魔眼》は視界内の情報を正確に把握することができる。目の前に居る人間がユーザーか否かは、内在している魔力を視ればすぐにわかる。ユーザーは魔力を所有し、非ユーザーは魔力を持たないからだ。
しかし、このレインという男はどこか違う。魔力を内在させてはいる。その点だけを鑑みればユーザーと判断してもいいだろう。しかし、その魔力が異質だ。普通のユーザーが扱う代物とは根本から異なっている。こんなにも淀んだ魔力を、私は視たことがない。
例えるなら水と泥だ。例え水を含んでいたとしても、泥を水とは形容できない。
「あなた……ユーザーなの?」
「定義によるな。異能力を操るという点で言えばイエス。欠片を取り込んだのがユーザーだとするならばノーだ」
「は? 何を言って――」
言葉の意味が理解できない私の耳に、再びフリークスの叫びが叩きつけられる。
慌てて後ろを振り返ると、撃たれた足を完全に治癒している装甲種が、私たちに殺意をぶつけていた。
「もう再生したのね」
正体不明の男はひとまず置いておき、再びフリークスの足へ狙いを定める。引き金を引くよりも僅かに速く、フリークスがすさまじい速度で跳躍した。
「嘘っ!?」
同じフリークスでも、耐久力や移動速度には個体差がある。それにしても、今回の装甲種は異常だ。ここまでの速度で飛び跳ねる個体は恐らく前例がない。
鈍重そうな見た目とは裏腹に、ウサギかバッタのような素早いジャンプ。一気に十メートルほど飛び上がり、自慢の硬い装甲を下にしてプレスを仕掛けてくるフリークス。狙いは――
「っ! 危ない!」
――私ではない!
「ん?」
お気楽な表情の男に向かって、フリークスは隕石のように落下する。
「なんだ?」
男がのんびりと上を見たと同時に――フリークスの巨体が彼の肉体を押し潰した。衝撃と振動が、離れていた私の体を震わせる。ぐちゃりと、肉の引きちぎれる異音が、鼓膜の奥に残留する。
「っ!?」
口の中で悲鳴を押し殺し、銃を構え直す。ダンゴムシのように体を丸めたフリークスの下から、ゆっくりと血が流れ出した。
半回転し、四足で地面に降り立つフリークス。茶色の鱗には、べったりと張り付いた血と肉片。
人間であった原形すら留めていない……もはや『もの』と化した赤い何かが、私の視界を埋め尽くす。
――死んだ。間違いなくあの男は死んだ。例えユーザーだとしても、致命的だ。
『グァアアアアア!』
敵を一人排除した喜びからか、頭を高く上げ、月に向かって吠えるフリークス。
「なんなのよ……もう」
突如現れたフリークスに、正体不明の男。そしてその男の死。
短い間に様々なことが起こりすぎて、私の脳内はパンク寸前だ。
『グゥゥ』
次はお前だと言うように、フリークスが私に狙いを定める。色々ありすぎてわけがわからないけれども、ここで手をこまねいているわけにもいかない。瞬時に頭を切り替え、自分の成すべきことを強く心に刻む。
生きて復讐を成就させる――それまでは、死んでも死にきれない。
呼吸を整え、一歩一歩近づいてくるフリークスの前足に照準を合わせる。
「私が何したってのよ……まったく」
ぼやきつつ引き金を引く……寸前に、フリークスの体が両断された。あまりにも呆気なく。
「……は?」
修正モース硬度15以上――ダイヤモンドよりも硬い装甲種の鱗が、いともたやすく真っ二つにされていた。
「ふむ……まあこんなもんか」
両断され、霧のように消え去っていくフリークスの背後に――先ほど潰されたはずの男が悠然と立っていた。服は血まみれになっているが、怪我をしている様子はない。
「ん? なんだ小娘、まだ居たのか」
ベンチの上に置いてあったビニール袋を取りに戻る男。袋の中から棒アイスを取り出し、無造作に咥える。
「……少しとけてるな」
◆ ◆ ◆
ふと空を見上げると、フリークスが降ってきた。
眼前いっぱいに広がる異形の化け物。月を背景にしたその姿に思わず見惚れていた俺は――容赦なく押し潰された。
痛みを感じる暇も、神に祈る暇もない。一瞬で頭も内臓も肉塊に成り代わる。人間なら即死、ユーザーだとしても高確率で死ぬだろう。
それでも――それでも俺は死なない。この程度で死ねるほど、俺の人生は甘くない。
脳が潰れようとも意識は消えず、心臓が潰れようとも魂は消えず。
まぶたの裏には今もなお、幻の月が輝いている。
『グァアアアアア!』
フリークスが咆吼をあげる。どうやら、俺の血がよほどお気に召したらしい。高濃度の魔力が宿っているからだろう。フリークスからすれば、俺の血はまたとないご馳走だ。
「……やかましい」
潰れた喉でかすれた呟きを虚空に放り、魔力を肉体再生に回す。全身が熱を持ち、動画の逆再生をしているかのように、肉体が元の形を取り戻す。
再生したばかりの目で周囲を見渡す。フリークスは次の獲物に、ユーザーの小娘を選んだようだ。青を基調とした制服姿の小娘を。
あの制服が本物だとすれば所属はアイギス。――一応は俺のお仲間ってわけだ。
だからというわけではないが……まあ、助けてやろう。
『――牙の渇きを 愚者の血で潤そう――』
小さく、小さく、呪いを唱える。
『――地を揺らす者 獣の王 災厄の化身――』
敵は俺を殺したと思い込んでいるのか、背後にいる俺を見向きもしない。
『――爪牙の限りを以て 終わりなき殺戮を――』
いい度胸だフリークス。そんなに死にたいなら殺してやる。
『斬り刻め――《魔狼の凶牙》――』
右腕に魔力を集める。古より不変である魔力に包まれ――たった一つの概念を得る。
どれだけの装甲を誇ろうが、俺の前では紙くず同然だ。
「消えろよ、薄鈍」
立ち上がり、フリークスへ向けて飛びかかる。右腕で敵の全身を切り裂く……それだけで、巨体のフリークスは、いともたやすく消滅した。