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恋愛なんてやめた方がいいよ  作者: 那須野里見
1/1

プレリュード

ソファーに転がっていた抱き枕を掻き抱いてぼんやりと思考を漂わせる。少し前までは無地の紺色だったそれは、いつの間にか妹によってカバーが変えられていて、正直リビングに放り出しておいて良いものではない。


とあるゲームの予約特典に付属していたこの抱き枕カバーは、ゲームに登場する女の子のキャラクターがほとんど肌色一色で描かれている。ネコ耳と、肉球を模したグローブのような大きな手袋を付け、肩ひものずれたエプロン姿のコスプレは、ある意味裸よりも扇情的かもしれない。


しかしイラストなのだから当たり前だけど、あくまでも擬似的な女の子だ。煽情的と言っても感覚的にはそれこそ絵画に近い。教科書の女神ヴィーナスの誕生が載っているページを初めて開いてしまった時みたいに、最初は近くの誰かの視線を気にしたものだけど、慣れたらなんてことはない。あれと似たようなものだ。


ゲーム自体も、最後まで進めはしたものの、もう数年も前のことなので記憶も遠い。

覚えている範囲ではこの"美咲"という女の子はネコキャラでもなんでもなく、そういったシチュエーションもない。だからこれは特典用の描き下ろしだったはずだ。


可愛いとは思う。この"美咲"だけでなく、全体的にキャラの可愛さを"売り"にしつつ、適度に散りばめられた伏線が効果的なストーリーと、快適なゲーム性で値段以上に楽しませてくれると評判の良い会社が出したゲームだった。


ちなみに予約できるのは特典付きの限定版だけなので予約した方が値段は高い。逆に言えば特典付きじゃない方は、ゲーム取り扱い店に行けばいつでも手に入れられる程度の人気、知名度とも言える。


ともあれ、それをこうして買っているわけだし、だからというか――だからじゃなくても肌色多めなのは嬉しい。『別に肌色じゃなくてもいいんだけどね』なんて言い訳するつもりもない。


繰り返しになるが、あくまでもこれは擬似的な女の子だ。本気で好きになる人もいなくはないだろうけど、今の自分がそれに当てはまることはない、と言える。


『小日向くん? 何の用? 家に電話までしてきてどういうつもり?』


頭の中では昼間の絶望的なやり取りが繰り返されている。いや、"やりとり"があったのならまだマシだったかもしれない。


『とにかく、もうこういうのは迷惑なのでやめてください』


一方的な通告だった。


しかしそれも全ては自分のせい。実際に一方的だったのは俺の方だ。

なにせ本人の許可を得ずに家の電話番号を調べて、勝手に家に電話して呼び出したのだから。同じ学校に通う同級生だからかろうじて許されるものの、一歩間違えばストーカーだ。


それでもなんとか話をして気持ちにケリをつけたかった。どんな状況であれ、緊張しまくるだろうけど、話さえできれば、きっかけさえ掴めればきっとなんとかなる。理由は全く分からないけど、その時はそう思っていた。


電話で話した時は普通に話せていた。向こうも面喰らってはいたけど、受話器から聞こえた返事は頭の中で幾十も予行練習したものの中ではいたって無難なものだった。だから案外いけるんじゃないかって――そう思っていた。


そんな馬鹿げた妄想で掴んだきっかけは現実の壁に押しつぶされた。実際会って話すのだと思うと足が震え、どうしてこんなことをしたのか後悔しか生まれなかった。ようやく決心が固まったのは約束の時間を十分ほど過ぎた後。しかも遠目で彼女を見つけたその傍らには、同じくクラスメートの女子達が二人ほど立っていた。


その二人とも互いに知らない顔ではなかったけど、それはまるで地獄の門番のように思えた。彼女らが何を考えて、どうしてそこにいるのか、どうやってその場に近づいていけばいいのか全く分からず、幾百と繰り返してきたイメージトレーニングは、その全てが風に吹かれる砂上の城の如く霧散していった。


頭が真っ白になると、もう自分の気持ちを話す勇気なんて残っていなかった。


大体なんだよ、二人で話したいって言ったのに周りに人を連れてくるなよ。理不尽に怒りを吐き出しながら一人で校内をふらふらしていると、さっきまであの子の傍らにいた女子の一人が預かったと言って手紙を持ってきた。


特段話したことがあるような相手でもなかったが、その様子は普段と何も変わらないように見えた。彼女からの手紙をただ渡しに来ただけ、本当にそれだけといった様子で、そこには侮蔑とか、嘲笑とか、憐れみとか怒りとか非日常的な感情は何もない。


だから、彼女の名前を出しながら差し出された手紙にはそんなに悪いことは書いてないんじゃないか。そもそも彼女から手紙を貰えるなんて、考えればそれだけでドキドキものだ。そんな期待が心臓の鼓動を早め、熊なのか犬なのかよく分からない、いかにもといったゆるキャラが描かれた小さな便箋を意気揚々と開いた。


結果、書いてあった文面は先に挙げたとおり。もうちょっとなにか書いてあったような気もするけど、いずれにしろプラスになるようなものはないので今更確認する気にもなれない。


典型的な自爆。そうとしか言いようが無い。というか意味が分からない。自分から呼び出しておいて一言も声をかけないどころか、待ち合わせ場所にすら現れない。


本当になんのいやがらせか。そうでなきゃあれだ。実は俺がいじめられてて、脅されてやむなく悪戯したとかだ。もちろんそんなつもりも、隠された真実なんてのも一切ない。ただの暴走の果ての自爆だった。


でもいったいどうすれば良かったのか。三人固まっているところに軽いノリで入っていけばよかったのか? 彼女が一人のところをさがして声をかければよかったのか? 手紙を受け取った時に言伝でも頼めばよかったのか?


どれも無理だな。


女が三人固まっているところに軽いノリで入っていく度胸なんてのがあればこんなことはしない。

彼女が一人になったところを探しても、今日そのチャンスがあったとは思えない。

手紙を受け取った時なんて『中々一人になれなくてごめんなさい。今から屋上で待ってます』なんておめでたい妄想が脳内を駆けていたくらいだ。


つまり最初から間違えていたんだ。それでいて"彼女から手紙をもらった"という事実に心のどこかで喜んでいるんだから本当に救えない。


「……女の子らしい丸い字だったな――って馬鹿かっ」


恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしいっ! 明日からどうやって教室に入ればいいんだ。いや明日は休みだったか。でも明後日までにほとぼりが冷めるとも思えない。"突然家に電話をかけてきた気持ち悪い奴"ってレッテルを張られて、くすくすと後ろ指さされながらあと一年過ごすんだ。無理だ……死のう。いっそ誰か殺してくれ。


顔うずめていた抱き枕を投げ捨て悶絶する。


「ちょっとっ! "あたしの美咲"を投げないでよっ」


声の方へ視線を上げると、リビングのドアを背に妹が眉を吊り上げていた。こちらがソファーに転がっていたので逆さまのスカートから覗く白いふとももが危うい。


「お前のじゃないだろ。てかもう帰ってきたのか」

「もともとおおにいとは釣り合わない子だったんだよ」

「っ、おまなんでそれを――」

「美咲、ごめんね、馬鹿お兄なんかにくっつかれてイヤだったよね……」

「心底可哀そうに言うな!」


抱き枕の話だったらしい。妹"アメリア"は色素の薄い白い肌を蒸気させ、抱き枕を向かいのソファーへ丁寧に置き直した。


基本的に俺が買ったもののお古を使うために妹の流行りは数年遅い。お古しか使っちゃ駄目なんて決まりは無論全く存在しないのだが、本人の妙に律義な性格もあって古いものから消化したいらしい。


どう考えても男子向けの――それも肌色多めで、恍惚とした表情を浮かべている美少女イラストが描かれた抱き枕を、美少女イラストから生まれ出たような、冗談かと思うくらい整った容姿を持つ女の子が愛おしそうに撫でる姿は最早異次元的とすら言え、未だに慣れられそうになかった。


「母さんは? 今日二人で夕飯食べてくるから遅くなるって言ってたろ?」

「……」


母親の話題を出すとピンと姿勢良く伸びていた背中が力を失い丸くなる。母親が大好きな、もっていえば家族が大好きな妹はその時の様子を思い出したのか、眉尻を下げみるみる落胆していく。


「なんか電話がかかってきて。たぶん父さんだと思うんだけど、喧嘩になっちゃって。そのまま仕事行くから帰りなさいってなっちゃった」

「あー……そう」


想像するにあまりある光景だった。

とにかく"我らが父母は折り合いが悪い"。それも尋常じゃないほどに。


「そういうお兄だってずいぶん早いじゃない。今日学園祭だったんでしょ?」

「……。あんなのではしゃぐのは子供だけさ」

「嘘。昨日の夜お兄めっちゃはしゃいでたじゃない」

「……。リア、母さんがそんなんだったってことは飯まだなんてだろ? 今日は金のさら頼もうぜ」

「ホントにっ!? でもそんな贅沢してとおるさんに怒られないかな?」

「父さんはむしろ喜ぶと思うぞ。リアが喜べば嬉しがる人だから」

「じゃあ食べたいっ」

「ほれ、好きなの選んでくれ。俺はなんでも食えるが、リアは食えないネタあるだろ」


テーブルの下の雑誌置きに都合よく転がっていたチラシを渡すと妹"アメリア"はぱっと花が咲いたように笑った。


白い肌に小麦色の髪。学園の同級生と並ぶと一目瞭然なほど高い背に、長い手足。"アメリア"なんて名前の通り、妹は日本人じゃない。ハーフですらなく純血の英国人だ。もちろん俺との血縁関係もない。


父さんこと小日向透こひなた とおるの再婚相手が、なぜか子持ちのイギリス人だったというだけ。なぜかは知らない。本当になぜなんだ。


でもって、結婚はするって前提らしいけれど、さっきリアが話した通り当事者二人の折り合いはとても悪い。だからまだ正式には届け出ていないらしい。住居も別で、絶賛別居中。


そんな二人だけど、いつか一緒には暮らすということで一軒家を購入。それぞれの子供を放りこんだというわけ。意味分からんな。


「やっぱり尾張かなー。いや駿河も捨てがたい……むむむ……あ、うなぎもおいしそー!」


宅配寿司のチラシ方手に八面相しているアメリアは、生まれはイギリスだが育ちは99%日本。イギリスの実家のことは記憶にないらしく、本人は日本人として扱われることを望んでいる。


「……」


"彼女"と同じ制服に身を包んだ一つ違いの妹はどうみても立派な女性だ。出るところは出て、締まるべきところはしっかり締まっている。背が高いからか、その顔立ちが外国人だからか、ただの制服なのにやたらと垢抜けた印象を与える。だが妹だ。それだけでなんとも思わないし、兄としての役割は果たすと決めている。


ソファーに鎮座したままの"美咲"に目を向ける。

ネコのコスプレが描かれていた側とは反対向きになっていた"美咲"も制服姿だった。ただし、こちらはゲームに登場する空想の学園の制服。ひらひらのフリルが幾段にも重ねられたティアードスカートの制服は絶妙な具合にはだけ、気が強そうな大きな瞳を潤ませながら気恥かしそうにその胸を掻き抱いていた。


だが、二次元だ。それだけで、「可愛い」。「エッチだ」以外なんとも思わないし、妹にも知られている趣味なので今更誰に隠す気も無い。それこそ父さんや母さんが家を訪ねて来たってこのまま放りだしておくだろう。いわゆる開き直りというやつである。


『小日向くん? 何の用? 家に電話までしてきてどういうつもり?』


「あの」だの「ええと」だの「その」だの。どうして肝心な時に開き直れないのか。腑抜けめ。


「ちょっとお兄っ、聞いてる?」

「ん? ああ、なんだって?」


気付けばアメリアの碧い瞳が目の前にあった。


「あたしこれ食べたいっ!」

「玉子巻きか。好きだなそれ」

「いいじゃん。おいしいんだから」

「まぁな。じゃ注文入れるぞー」


にへらとご満悦に笑う妹のご尊顔を拝しながらスマホを取りだす。


(そういえば"伊吹さん"スマホ持ってないんだっけか)


珍しいといえば珍しい。話をするときだって最初はSNSにするつもりだった。コミュ力の塊みたいな男子に聞いてみたら、使っているところを見たことがないからたぶん持っていないと言われ諦めたのだ。だからわざわざ家電いえでんになんて架けたのだが――冷静になって考えると、そもそも家電ってのが気持ち悪すぎる気がするな。


……。

…………。

ま、まぁそれはいいか。自分で自分にトドメを刺すのはよそう……。

(でもなんでだろうな? 友達の多い伊吹さんなら持ってないとかなり不便だと思うんだけど)


特に理由はない。でも不思議とそんな疑問が頭の奥に焼き付いて離れなかった。

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