第八話 忍者、酒場で無双する
目的地であるパリーズの都まで十日間。
補給なしで踏破するには向かない行程だ。途中、大きな街に立ち寄った。
モウリンズの街。
人口およそ十万。
パリーズの都を擁するバーセイル王国においては、中堅どころの都市だ。
「腕が鳴るな」と俺。
「それはどういう意味で?」とフリージア。
「都市部における活動こそ忍者の本懐だ」
馬車に揺られながら俺は答える。
「情報収集、情報操作、敵勢力の攪乱――人口の多い都市部であればこそ、俺たちのような稼業はやっていける。辺境のド田舎じゃ、丘に上がった魚と変わらない」
「そういうものですか」
「そういうもんだ」
やるべきことは山ほどある。
ここまでの行程でも、かなり多くのことは学んだが。
やはり肌で感じ取らなければ、この世界の実情を知ることはできない。
世界を裏も表も知り尽くしてこそ、忍者は存分に力をふるうことができる。
「補給自体は半日もあれば終わるな?」
「ええ、そのあとはこの街の宿で一晩過ごします。わたしたちだけであれば休みなしでパリーズに向かうこともできますが――」
「急いては事をし損じる。急がば回れだな。いい機会だ、街を案内してくれ。隅々までまんべんなく歩きたい」
城門をくぐったところで馬車を降りた。
モウリンズの街は、石壁で囲まれた城塞都市。
すべての路地を歩き尽くしたとしても、それほど時間は掛からないだろう。
時刻は昼過ぎ。
石畳の路地を、フリージアとふたりで歩く。
「こうして並んで歩くと――」
「歩くと?」
「まるで逢い引きしているみたいだな」
「だ、誰があなたなんかと!」
軽口を叩きながら――周囲に溶け込むための忍者の習性だ――街の様子にくまなく視線を走らせる。
往来は人通りが絶えない。
ヒューム、エルフ、ドワーフ。
ゴブリン、オーク、コボルト。
人種はじつに多様。
傭兵、商人、職人、騎士、聖職者。
職業分布も多種多様。
交易が盛んであり、比較的自由な気風が広がっていることの証だ。
市場を歩く。
色とりどりの野菜や果物、なじみのない獣の肉。
下町を歩く。
はしゃぎ回る子供たち。昼寝をする老人。
屋台を冷やかす。
たっぷり脂のしたたる焼き魚。奪うように買っていく客たち。
奥様方の井戸端会議に耳をそばだてる。
どこぞの旦那が浮気をした。新しくできた店の焼き菓子が美味い。
「――悪くない国だ」
俺は言った。
「よい政を敷いているんだろう。住人の顔に笑顔がある。空気に淀みがない。活気のある国はえてしてこういうものだ」
「当然です」
フリージアは小鼻をふくらませて嬉しそうだ。
「なにせわたしの国なのですから。あなたは何につけても非常識な男だけど、見る目だけはあるようですね」
「ただし陰りが見えるな」
「むぅっ……?」
「物乞いの姿が目立つ。下水道のあちこちにゴミが溜まったまま。野良犬はどいつもこいつも痩せている」
「むむむっ……」
「足元が腐り始めている国は、大体こういうきざしが見られる。表向きの豊かさにあぐらをかかず、せいぜい油断しないことだ」
「……そんなのは言われずともわかっています。余計なお世話よ」
「とはいえ『やつら』とやらの影響はまだないようだ。うわさ話に上っている様子もない」
「その件に関しては、西方連盟の間で箝口令を敷いています。とはいえ、それもいずれ限界が来るでしょう」
「大衆に知られて無用な混乱を招く前に、何とかしたいところだな」
「そのためのあなたですよ、ハンゾー」
「わかってるとも。契約は守る。ただし、それはあんたも同じことだがな?」
「むぐぬ……っ」
そうこうするうちに陽が落ちてきた。
街路に明かりが灯り、民家のあちこちから炊事の煙が上がっているのが見える。
「さて。それじゃ行こうか」
「行くって、どこへです?」
「もちろん酒場へ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
情報を集めるのに、酒場ほどふさわしい場所はない。
もちろん街を歩いていた昼間のうちに、店の目星はつけてある。
「なんと抜け目のない……」
「むしろ何のために足を棒にして歩いたと思ってる? 先を読んで手を打っておくのは、忍者でなくとも当然の技能だろう?」
「ぐぬぬ……」
【一角獣の蹄亭】は、宿屋も兼ねる大衆酒場だ。
労働階級、知識階級、貴族階級。
人種、性別、年齢。
その他もろもろを問わず、あらゆる人々が、この店の酒と料理を目当てに集まってくる。
「大盛況ですね」
フリージアが目を丸くする。
ちょっとした宴会場ぐらいはありそうな広さのホールは、客と店員でぎっしりだ。
早くも酒の回った客もいて、怒号のような喚声があちこちで湧いている。
「それで? どうするのですハンゾー」
「聞き耳を立てる」
「聞き耳?」
返事をせず、俺はその場で目を閉じる。
呼吸を整え、精神を統一させる。
「ハンゾー?」
「少しのあいだ黙っててくれ」
邪魔になる感覚のスイッチを切る。
イメージするのは、何もない真っ白な空間に立っている自分。
そうすると次第に見えてくる――
『――ジャルマン公国は今年も麦が豊作――』
『――だけどまた税金が高くなるって――』
『――鉄の相場が上がって、逆に銅は下がってる―ー』
『――今年もゾーヌ川が洪水を起こして――』
『――うめえな、ここ店のロースト肉は――』
『――おーい姉ちゃん、エールもう一杯――』
『――あの国の大臣、また首がすげ変わるらしい――』
およそ一分後。
俺はふたたび目を開ける。
「ちょっとハンゾー。まさか寝ていたのですか?」
「寝ちゃいない。話を聞いていた」
「話って、誰の?」
「この酒場にいる全員の」
「いや全員って……この場に何人の客がいると思っているのです? 隣の席の声さえ聞こえない騒がしさですよ?」
「忍者だからな。そのくらいはできる」
「またニンジャですか……だからニンジャって何なの……」
「フリージア。店の奥にいる五人組。見えるか?」
「五人組?」
俺が促した先にいるのは、奥まった席にいる一団だ。
姿格好からして、荒くれの傭兵たちとみた。
「あの人たちが何か?」
「聞いた話じゃ、この街じゃちょっとした実力者らしい。それなりに雰囲気もある。酒の飲みっぷりも悪くない」
「だから何だというのです」
「フリージア。いまの手持ちは?」
「お金ですか? 金貨二十枚ほどありますが」
「それ、全部よこせ」
「全部!? 半年は遊んで暮らせるだけの金額ですよ!? いったい何に使うというんですか!」
「心配するな。あとで返す」
「返すって、あなた無一文でしょう……それはもちろん、世界を救う報酬と考えれば安いものですが……あ、ちょっとあなた!? まるでヒモ男がお金を巻き上げるように――ああっ、待ちなさいこの盗人!」
無視して店の奥へ向かった。
お目当ては、五人組の中心にいるドワーフの大男。
さっそく俺は声を掛ける。
「よう旦那。飲んでるかい?」
「……ああん? なんだオメェは。見かけねえ顔だな」
「さっきから見てたけど、いい飲みっぷりじゃないか。よかったら一杯おごらせてくれ」
そう言って俺は金貨を一枚、テーブルに置く。
ヒュウ。取り巻きたちが口笛を吹く。この金貨一枚あれば、象でも酔いつぶれる量の酒が飲める。
「……どういうつもりだオメエさん」
「楽しく酒が飲みたいだけだよ、旦那」
「何モンだ?」
「ただの流れ者さ。あんたが飲まないなら俺が飲もう」
俺は近くにいた店員を呼びつけ、エールを樽ごと持ってくるよう伝える。
ひとつではなく二樽。
どん、どん。
一抱えもあるエールの樽が、テーブルに置かれる。
「さて。お先に一杯」
俺は樽を抱えた。
飲む。
「おいおい……」「こいつ正気か?」目を丸くする取り巻きたち。
ごくり、ごくり、ごくり、ごくり。
ごくりごくりごくりごくりごくり。
「ぷはあ! 美味いなこの国の酒は」
飲みきった。
ざっと五リットルほどもあっただろうか。一分と掛からずごちそうさまである。
「どうした旦那? あんたは飲まないのかい?」
「……面白ぇ」
傭兵たちのボス、ドワーフの大男が歯を剥いて笑う。
「飲み比べってわけか? 若えの」
「受けて立つかい?」
「聞かれるまでもねえ」
大男が樽を抱えた。
ごくごくごくごくごくごく――
俺よりさらに早いペースで、五リットルのエールを平らげていく。
「ぷっはあ! 見たかゴルァ!」
口ひげについた泡を拭い、大男が勝ち誇る。
その様子に、周囲の客たが喚声をあげた。
もちろん、わざわざ目立つように振る舞っているのだから。注目してもらわなきゃ困る。
「やるじゃないか旦那」
「見くびるなよ小僧」
「まだ続けるかい?」
「当たり前だ」
「そうこなくちゃな」
俺はにやりと笑って声を張り上げる。
「さあさあ寄った寄った! 賭けだ賭けだ、賭けを始めるぞ! 俺とこちらの旦那、飲み比べでどちらが勝つか! 俺は俺が勝つ方に金貨十枚を賭ける!」
おおっ!
どよめく客たち。
金貨が十枚。ちょっとした車が買える。
「おいおい何モンだ、あの若いのは?」
「相手のドワーフ、ありゃあ『鯨呑み』のザークゼンだろ? 勝てるわけねえ」
「でも俺は見てたぞ。あの若いのも相当な飲みっぷりだった」
「面白え。若いのがすかんぴんになっても、まかり間違ってザークゼンに勝っても、どっちに転んでも見物じゃねえか。よーし俺は賭けるぞ、若えのに銅貨二十枚!」
「だったら俺はザークゼンに銅貨五十枚!」
「なんの! 俺は若えのに銀貨一枚!」
「大穴狙いは身を滅ぼすぜ? 俺は手堅くザークゼンに銀貨五枚だ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……その光景をわたし、フリージア・アルベルデ・ド・リューセックは、なす術もなく見守っていました。
よそ様の席に乱入して、飲み比べを仕掛けるハンゾー。
その煽り方は、素人のわたしから見てもひどく巧みで、いつしかその騒ぎは酒場全体に飛び火して――
そして今、酒場はものすごいどんちゃん騒ぎになっています。
あ、ちなみに賭けはハンゾーが勝ちました。
勝って、多額の払戻金を手にして、そしてわたしから借りた(強奪した)金貨二十枚を、約束どおり返してくれました。
そして余ったお金を、すべて酒場にいる人たちにおごる、と言い出しました。
結果、このお祭り騒ぎです。
ちなみにハンゾーがいま何をしているかというと――
「うわっはっは! なあ若えの! ハンゾーよ!」
「おう。どうしたザークゼンの旦那」
「お前さん大した野郎だぜ! まさかドワーフの俺が、ヒュームのあんたに飲み比べで負けるとは思わなかった!」
「俺は忍者だからな。肝臓は鍛えてある」
「ははは! よくわからんがニンジャってのはすげえんだな! 俺もいろんな国で戦稼ぎをして、いろんな男を見てきたが、お前さんみたいに清々しい男には初めて出会うぜ!」
「あんたほどの男にそう言ってもらえてうれしいよ」
……ドワーフの大男とすっかり仲良くなっていました。
「いやー気に入った。お前さんのことが気に入ったよハンゾー。こう見えて俺は、ここらじゃちょっとした顔だからよ。困ったことがあったら何でも言ってくれや」
「では遠慮なく質問させてもらう。モウリンズの街で何か変わったことはないか? それとパリーズの都についての話も聞きたい」
「変わったことねえ……ああそうだ、最近耳にした話なんだがよ……」
……そして堂々と情報収集をしています。
しかも何の気なしに聞いていると、わたしですら初めて耳にする話も多くて――
というかこれ、王国の存亡に関わる情報が平気でやり取りされていませんか?
デンメルク王国がアイタレイ都市連合と軍事同盟を結ぼうとしている? それってつまり、我が国が挟撃体勢を強いられるということでは? それが事実ならこんなところでのんびりしてる場合じゃないんですが……
「フリージア」
「ひゃいっ!?」
考え事をしてるところに、ハンゾーが話しかけてきました。
「あんた、もう帰っていいぞ」
「えっ?」
「もう夜も遅くなってきた。俺はもう少し『仕事』を続ける。あんたは先に宿へ戻って休め。明日からはまた馬車の旅だからな。心配しなくていい、ここで手に入れた情報はあんたにもちゃんと伝える」
「ですが――」
「いいとこ育ちのあんたがここにいてもやることはない。ここは俺に任せておけ。それともひとりじゃ夜道が恐くて帰れないか?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
……仕方なく、わたしひとりで帰ることにしました。
確かにわたしは役に立ちそうにありません。しゃくですが休むのも仕事のうちです。
(なんというか……なんでしょうね……)
夜になっても活気のある表通りを歩きながら、わたしはぼんやり考えます。
モチヅキ・ハンゾー。
わたしが異世界から召喚した男。
どうしてああも鮮やかに、初めて立ち寄る酒場にあっさり溶け込んで、見事に振る舞うことができるのでしょうか?
彼と出会って数日。
ここまで色々なことがありましたが……やることなすこと、すべてがわたしの想像を超えています。
無礼だし、腹も立つし、わたしに働いたあれこれの仕打ちはぜったい忘れませんけど。
でも、大口を叩くだけのことは、きっちりやってのけるというか。
なんだかわたし、新しい価値観の扉を、無理やり開かされているような気がします。
(ニンジャというのが何なのか、いまだにわかりませんけど)
(もしかしてあの男、本当に世界を救ってしまえるのかも?)
ですが旅はこれから。
むしろまだ何も始まっていない。
あの男もすぐ壁にぶつかることでしょう。
その時になって、あの男がどう振る舞うのか。
いささか空恐ろしくもあり、だけどちょっと興味深くもある――そんな気持ちになるわたしなのでした。