第七話 忍者、フラグを立てる
(信じられない信じられない信じられない!)
(何なのですこの男!? どうしてこう自分勝手なの!?)
わたしは怒りに震えます。
パリーズに向かう馬車の中。
わたしことフリージア・アルベルデ・ド・リューセックは、異世界から来た男を膝枕しているところなのですが。
あまりにも、あまりにもひどいとは思いませんか? このハンゾーとやら。
やりたいことをその場でやる。
有無を言わせない。
それでいて言ってることは正論だから腹が立つ。
ああもう本当にこの男は!
(……落ち着きなさいフリージア。ここで破れかぶれになったらこっちの負けよ)
無礼な男の頬を引っぱたいて、馬車の外に投げ出すこともできますが。そんなのいつでもやれます。今はまだその時ではないでしょう。
わたしは頭の中で素数を数えます。
2、3、5、7、11、13、17、19……
ちょっと落ち着いてきました。ハンゾーを膝枕したままなのは、見て見ぬふりをします。精神衛生に悪いですからね。
ふう。
もう大丈夫。わたしは冷静です。客観的に状況を分析できます。
ここまでの流れを振り返ってみましょう。
まず第一に、わたしは世界の危機を察知しました。
『やつら』による侵攻を、精霊の導きによって。
そこから諸々あって(本当の本当に色々あって)、わたしは禁断の秘儀に着手することになります。
異世界から、この世界を救ってくれる勇者を召喚する、精霊術の奥義を使ったのです。
その過程は割愛します。
霊素で織り上げた羽衣を手に入れるだけでも、それはそれは精神を削られる試練を重ねたわけですが――これも割愛します。今のわたしが直面している試練に比べれば、どうってことありませんので。
秘儀は成功しました。
またまた割愛しますが――大変な苦労をして成功させたのです。
(そうして湧いて出たのがこの男なのですが)
わたしの膝に頭を乗せていびきをかいている、モチヅキ・ハンゾーとやら。
この男が!
本当にこの男が!
ああもう、ちょっと思い出しただけで腹が立つ腹が立つ腹が立つ!
おっといけません。素数を数えましょう。23、29、31、37、41、43……
聞いてください。
これでもわたし、一流の精霊騎士なんです。
序列をつけるなら、たぶんこの世界で三番目ぐらいの。
しかもわたし、まだ十八歳なんです。
この歳で序列三位ってすごくないですか? あまり自慢をするつもりはありませんが、正直ものすごい俊英だと思うんですよ。
そのわたしが!
そんなわたしが!
ああ思い出すだけでも頭が沸騰する! 一瞬で! こてんぱんにされたのです!
わかりますかこの屈辱?
一流の精霊騎士で、王族で、十八歳で、将来を期待されていて、見た目にもちょっとだけ自信のあるわたしが、こうもあっさり!
しかも強引に唇まで奪われて!
あげくにその――いろいろな意味で翻弄されて! 自分でも知らなかった身体のあちこちを開発されて!
あ、だめ。
思い出したら頭がくらっとしてきました。
素数、素数。47、53、59、61、67……
とにかくです。
今のわたしが、いかに悲惨な境遇に置かれているか、お分かりいただけましたか?
そして、その屈辱に、いかにしてわたしが耐えているか。
(ですがそれも仕方ないのです……)
ハンゾーの頭を撫でながら(彼の要求するがまま!)、自分に言い聞かせます。
なぜならこの男、腕が立ちます。
わたしを歯牙にも掛けなかった腕前もさることながら。
早駆けを徒歩に等しいと言ってのける技量。
三日の行程をほんの一刻で駆け抜ける走力。
右も左もわからぬ異世界に召喚されておきながら、まるで動じない図太さ。
なによりわたしたちの世界にはない謎の技術でもって、彼は立ち回っている。
得体の知れない何かを感じます。ニンジャというものの正体が、いまだにわたしにはわかりませんが――世界の危機をひっくり返すだけの何かが、もしかするとあるのではないかと。わたしは確信し始めているのです。
(とはいえ――)
ハンゾーの頭を撫でながら、わたしは唇をかみます。
正直嫌いですこんな男。
心の底から大っ嫌い。
召喚した手前、彼の道先案内はわたしの務めですが。これからの日々を思うとうんざりします。さっさと世界を救って元の世界に帰ればいいのに。
……まあいいでしょう。
この先、彼にはうんざりするような試練が待ち構えているでしょうから。せいぜい苦労して泣きべそをかくがいいのです。
もっとも、その試練はわたしにとっての試練にもなるでしょうから、まったく喜んでいる場合ではないのですが。
むしろ異世界からの勇者召喚に(一応)成功したものの、ここから先こそが本番であり、困難でもあるのですが。
「はあ……どうしてこんなことに……」
ため息をついて、膝の上のハンゾーの顔を眺めます。
……。
…………。
………………。
まあ。
ほんの少し。ほんの少しですが。
顔つきに関しては好みかも? しれないような、そうでもないような。
無駄のない引き締まった肉付きも、まあそれほど悪くはないような。
あまりに強引すぎるものの、口にしたことを実際にやってのけるところなんかは、男らしいと言えなくもないような。
くちびるを奪われた時も、嫌悪感よりは、胸の高まりの方が、ちょっぴりだけ大きかった気がしなくもないような――
「フリージア」
「ひゃいっ!?」
いつの間にかハンゾーが目を開けていました。
じっとこちらを見つめてきます。
どきり。
急に胸が苦しくなりました。
「フリージア」
「な、なんです……?」
さらにじっと見つめてきます。
わたしは何も言葉を返すことができません。
そして彼は、モチヅキ・ハンゾーは。
おもむろにこう言いました。
「惚れるなよ?」
「――だっ」
顔が真っ赤になるのをわたしは自覚します。
「だだだだだ誰が惚れるもんですかあなたなんかに!」
「そうか。それなら問題ない」
「身の程をわきまえなさいよハンゾー! わたしは傍流とはいえリューセック王家の血筋に連なる者、本来であれば指を触れることさえ畏れ多い――」
「ぐう」
「寝るなああああああああああああ!?」
ぶん殴りたいのをかろうじてこらえます。
なんて――なんて男!
嫌なやつ、嫌なやつ、嫌なやつ!
こんな男、わたしの人生にこれまでひとりもいませんでした! これから先もまったく必要ありません! できれば二度と顔も見たくない!
ああ、ですが、ですが――わたしは使命のある身。
ニンジャであるこの男をこき使い、どうあっても世界を救わねば。
それまではこのフリージア、耐えてみせますとも……!
「おい。撫で方が悪い。もっとやさしくだ」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……!」
歯ぎしりをこらえてわたしは言う通りにします。
嗚呼――世にあまねく神々よ、その大いなる力の顕現たる精霊たちよ!
どうかモチヅキ・ハンゾーに、とびきりの天罰を下していただけますよう!
できればこの世界を救ったあとで!
……。
…………。
………………。
あの、精霊様。
やっぱりさっきのなしで。
ハンゾーにちょっと反省させるぐらいの罰で十分です。親指に逆むけができるとか。
いえ別に、あの男がちょっと好きになってるから手心を加えるとか、そういうことではないですからね!? くれぐれも勘違いしないよう!
本当ですよ!?
本当だったら本当なんですから!