第五話 忍者、手と口でさせる(未遂)
眠りに落ちてからきっかり三時間。
俺は目を覚ました。
「ようやくお目覚め?」
フリージアが呆れ顔で見下ろしてくる。
「牛か象みたいに食事を掻き込んだかと思ったら、すぐさまその場で寝るなんて……あなた野生動物か何かなの?」
「忍者は寝る場所を選ばない」
伸びをしながら俺は答える。
「木の上だろうと、たとえ水の中だろうと、必要なら休息を取る。洞窟からここまで休みなしだったからな。さすがに疲れた」
「そりゃ疲れるでしょうけど、それにしたってこんなところで……休めるところぐらい、言ってくれればちゃんと用意するのに……あと服ぐらい着なさいよ……」
「この場で、この格好で寝るのがいちばん効率がいい」
「誰かに襲われたらどうする気?」
「どうもしない。殺気に気づいて目を覚ますだけだ」
「大した自信ね……」
「それに俺はお前を信用している」
「わたしを?」
当然だ。
俺をこの世界に呼んだのはフリージアである。
俺に何かあったら彼女は大損だ。嫌でも俺を守る必要があるだろう。どんな場所で寝ていようと、俺の安全は保証されている。
「信用ね……まあそう言ってくれるのは、うれしくなくもないですが……」
俺の言葉をどう受け取ったものか。
フリージアはまんざらでもなさそうな顔で、ぶつぶつ言っている。
ま、勘違いしてくれてるならそれでいい。
あらゆる状況を利用するのが忍者ってもんだからな。
「おかげさまで体力は回復した。今の俺は絶好調だ。さっきまでいた洞窟までひとっ飛びで戻ることもできるぞ」
「やめてお願いだから。あんな命がけの場所、もう二度と行くもんですか……あなたはいとも簡単に戻ってきたけど……」
「そうか。じゃあ出発しよう」
「え? どこに?」
「俺が役に立つ場所へだ。この世界は破滅の危機に瀕しているんだろ? さっそくそいつを救いに行く」
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集落を出て都へ向かうことにした。
フリージアが以前言っていた『パリーズの都』が目的地である。
「パリーズはわたしにとって故郷であり、本拠地でもあります」
馬車に揺られながらフリージアは言う。
山岳をひとっ飛びで下りたのは、あくまでもクライアントに向けてのデモンストレーション。特に急ぎでもないのなら、移動手段は別のものを採用するのがよい。
何より俺には情報が足りない。
情報収集こそ忍者の基本。
この旅路で、異世界の情報を蓄えるとしよう。
「地図を見せてくれ」
最初に俺はそう言った。
地図は情報の塊だ。
見る者が見れば、宝石の山より高い価値を持つ。
「この世界の地図をありったけ頼む」
「いま用意できるのはこれだけですが……」
フリージアが取り出してくれた地図を広げる。
幸いにして文字は読める。こればかりは神様に感謝だな。言語に不自由すると、さすがの忍者もお手上げだ。
……どれどれ……ふむふむ……
地図を読み込むことしばし。
「なあフリージア」
「なんです」
「これはこの世界の地図、でいいんだよな?」
「ええ」
「ヨーロッパ大陸じゃないかこれ、どうみても」
「よーろっぱ? ここはユーロプ大陸ですが」
ははあユーロプ。
こっちじゃそんな名前で呼ばれてるのか。
川の位置、山の位置、海の位置――どれをどう取っても、俺の知っているヨーロッパの地図にしか見えない。
おまけに都市の名前まで、俺の知っているヨーロッパの街を連想させるものとなっていたりする。
つまりこの世界はなんだ?
俺が知っていた世界の”if”ということになるんだろうか?
それなら話は早い。
ごく短い時間で、俺はこの世界の地図を頭に入れることができた。
「よし、大体のことはわかった。次にいろいろ質問をしたい」
「ええどうぞ、いくらでも」
しばし質疑応答が続いた。
その内容をまとめると、おおむね以下のようになる。
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・この世界の文明度は、中世ヨーロッパ程度
・科学技術の代わりに魔法が発達
・文明度に比して豊かな経済
・人種と文化の交流も盛ん
・人種は主に『人間』と『亜人』に大別される
・エルフ、ドワーフ、ホビット、ヒューム――このあたりはまとめて人間
・ゴブリン、オーク、コボルト――などはまとめて亜人
・その他、ドラゴンを始めとする幻想種も、少ないながら存在
・大陸共通語あり
・戦争は絶えなかったが、それでもおおむね大陸は平和だった
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「――ほんの数年前までは、ね」
「お前の言ってた『やつら』って連中のせいか」
どうやらそこが話のポイントになりそうだな。
だがその前に。
「ところでフリージア」
「次の質問は何かしら? ええどんどん聞いてちょうだいね、幸いにしてあなたにはやる気があるようだから、わたしも教え甲斐が――」
「契約の話だ」
「うぐっ」
ばつの悪そうな顔をするフリージア。
「本題に入る前に済ませておこうか」
「す、済ませるって何を……?」
「洞窟の続きを」
「はうっ……!」
「状況が状況だったから先送りにしたが。今は悪くない頃合いだ」
「悪くないというと、どのあたりがでしょう……?」
「まず、食事も昼寝も済ませて体力がある」
「な、なるほど」
「そしてこの馬車の中はふたりきりだ」
「た、確かにその通りです」
「さてやろうか」
「まままま待って待って!」
「なぜだ? 条件は揃っているぞ? むしろこの機を逃すと、かえってやり時を失ってしまうと思うんだが」
「そ、それはそうですが……そもそもわたし、まだあなたの名前さえ聞いてない……」
「望月半蔵だ。さてやろうか」
「ちょ、早っ!? 待って待ってまだ順序が!」
「まだ何かあるのか」
俺は渋い顔で待機する。
こほんこほん! しきりにせき払いしながらフリージアは体勢を整える。
「いいですかハンゾー」
「おう」
「これでもわたしは王族の末席に身を連ねる者。しかるべき時まで純潔を守る義務があります」
「なるほど」
ちなみにフリージアは着替えている。
薄い青の衣。ふくらはぎまであるマーメイド型。太もも近くまである深いスリット。チャイナドレスを洋風にアレンジしたような。
とてもよい。異世界らしくエロい。
さらにちなみに。聞けばフリージアは王族であり、神官であり、外交官であり、戦士でもあるらしい。絵に描いたようなノーブレスだ。
じつによい。花は高嶺に咲くほどよい。
一応ちなみに。俺も着替えている。こちらの世界ではごく普通のシャツとパンツ。
別にいいんだけどな、服なんて着なくても。忍者だし。
「わかった。提案がある」
「提案? ええ、そう言ってもらえて正直ホッとします……ええそうですよね、いくらなんでもここでは無理ですよね。馬車の中はふたりきりとはいえ、すぐそこに御者もいるわけですし、他にも馬車を囲む隊商がずらりと並んでいますし、いくらなんでもはしたない――」
「純潔を守るために手と口でする、というのはどうだろう?」
「さ、最低! ちょっとでも期待したわたしが馬鹿でした!」
「なぜだ。ここまで妥協してるのに」
「妥協する場所がおかしくないですか!?」
「前にも言ったが、あんたを頂くことはもう決まっている。契約だからな」
「ぬぐっ」
「むしろ俺は温情に温情を重ねている。力づくで奪ってもいいところを、わずかな手付け金だけで済ませてもいる」
「わ、わかったわよ! やるわよ、やればいいんでしょう!?」
やけくそ気味のフリージア。
顔が真っ赤だ。
「それはわたしだって王族の一員ですから、たしなみとして夜伽の技は一通り……知識ぐらいは専属の家庭教師が……とはいえいきなりこんな実践を……うう、精霊教会で騎士の叙勲を受けた時より何倍も緊張する……」
「早いとこ頼む。こっちもせっかくその気になってるんだ」
「うう……まずは穿いてるものを? 下ろせばいいのかしら? ええとそれから、手でそっと包み込んで、赤子を扱うようにやさしく、それから強く握ったり弱く握ったりして……そ、そのあとはくちびると舌で、ゆっくりあめ玉を舐めるように刺激を与え――って、そんなのできるかー!?」
キレやがったこの女。
やれやれ仕方ない……俺はふたたび温情を掛ける。
「わかった今日のところはいい。だがこの貸しはいずれ、利子を付けて返してもらうぞ」
「り、利子と言いますと……?」
「とても口では言えない、もっとすごいことをする」
「そんな!?」
「文句があるならいま払うことだ。……さて、それじゃ話の続きをするぞ。忍者に必要な情報はまだそろってないんだからな」
「うう……なぜか上から目線で言われるこの仕打ち……理不尽だわ……」
憐れっぽく肩を落とすフリージアだった。
妙な話である。
理不尽というなら、何の断りもなく召喚された俺の方がよっぽど理不尽なはずだが。
異世界って恐いな――
しみじみそう思う俺なのだった。