第四話 忍者、もてなされる
一時間ほど駆けただろうか。
俺とフリージアは、とある集落にたどり着いた。
「し、死ぬかと思った……」
フリージアを地面に降ろすと、彼女はがっくり膝をつく。
「詠唱もなければ命綱もない、飛行とは名ばかりの、ほとんど自殺行為に等しい自由落下……まだ生きてるのが不思議なぐらいです……」
まあわからんでもない。
ちょっと素人には刺激が強すぎたか。
「で? ここはどこなんだ?」
「こ、ここは……」
息を切らしながらフリージアが言う。
「ここは支援拠点です。『オルプス山脈』に挑む巡礼者のための」
「なるほど。ここまでが『魔の森』とやらで、ここから先は普通に人が住む世界、ってことか」
ぐるりと周りを見回す。
粗末な小屋が十軒ほど。
人の姿はまばら。
村というほどの規模はなく、集落と呼ぶにふさわしい。
「少し疲れた。ここで休む」
「す、少しですって……?」
あんぐり口を開けるフリージア。
「わたしでも抜けるのに二日はかかる『魔の森』を、こんな短時間で抜けておいて……しかもわたしを抱えながら……それで『少し』疲れた? どうなってるのこの男……」
「まあ忍者だからな、俺は」
「はぁ……わかったわよもう」
がしがし頭をかいてフリージアは吐き捨てる。
「あなたはニンジャ。だからなんでもできる。そういうことね?」
「なんでもはできないぞ。できないことはできない」
「あなたにできないことって何なのか、一度見てみたいわね……とにかく、もういちいち驚いたり叫んだりするのはやめにします。心臓に悪いから」
「そうか」
「それと、これまでにあった色々なことも水に流します。気にしていたら身が持ちそうにないから」
「了解。そうしてくれ」
いちおう彼女は俺の『雇い主』ってことになりそうだからな。
依頼人あっての忍者。クライアントは大切にしたい。
「とにかく俺はここで休む」
「ええ好きなだけ休んでちょうだい、なにせつむじ風みたいにここまで跳んできたんだから。部屋を用意するからゆっくりと――」
「その前にメシだ」
「めし?」
「食わなきゃ働けないだろう」
「たとえニンジャでも?」
「たとえ忍者でもだ。むしろ食事を正しく取り、体調を正しく整えることが、忍者の基本にして前提だ。基本をおろそかにするヤツが生き残った試しはない」
「…………」
「どうしたフリージア? ポカンとした顔をして」
「――ああ、ええと」
フリージアは我に返って、
「なんだかホッとしています。あなたの人間らしいところを目の当たりにして」
「俺はれっきとした人間だぞ? 忍者なだけで」
「はいはいそうですね。できるかぎりの食事を用意してもらうから、少し待ってて」
なにやら嬉しそうなフリージアだった。
そんなに嬉しいか?
当たり前だが、俺は化け物でも何でもないぞ?
ごくまっとうに修行してきた、ただの一忍者にすぎない。
そもそも上には上がいる。
たとえば俺の姉とかな。姉に比べたら、俺なんてとてもとても……
まあいい。
とりあえず、その辺に寝転がって待つことにする。全裸で。
待つことしばし。
「――さあ、どうぞ召し上がれ」
俺の前に様々な料理が並んでいた。
肉、野菜、魚、肉、野菜、肉、肉、魚。
酒、果物、果物、酒、菓子、果物。
煮たり焼いたり、蒸したり炒めたり。
様々な調理を施された料理が、地面を覆い隠さんばかりに並んでいた。
甘いような、香ばしいような。
鼻をくすぐる匂いがあたりに満ちている。
「うまそうだな」
「でしょう?」
フリージアは得意げだ。
「集められるだけの食材を、ありったけかき集めてきました」
「ほほう」
「ここに来るまでいろいろありましたが、あなたはわたしの客人。客人をもてなすには、最高の酒肴をもってする。それがわが一族の流儀です」
「ふむふむ」
「本来であれば、宮廷料理人が腕をふるってもてなすところですが、ここは辺境の地ですからそれも叶いません」
「問題ない。俺に必要なのは滋養と栄養。味は二の次だ」
ところで周囲が騒がしいな。
集落の住人たちが集まってきて、物珍しそうに俺たちを見守っている。全裸がそんなに珍しいのだろうか?
まあ気にしない。こんなことで心を乱していては忍者の名折れ。
「ところでフリージア」
「なにかしら」
「この料理はぜんぶ食っていいのか?」
「もちろん」
「ひとつ残らず?」
「当然です」
何を当たり前のことを、とフリージア。
「好きなだけ食べてちょうだい。お腹いっぱいになるまで、好きなだけ。……まあもっとも、普通であれば三日三晩かけて、何人もの客人が食べるための料理ですから。残してもらってもいっこうに構いません」
「へえ。そうなのか」
「だからこうしてみなさんに集まってもらいました。これは一種の祝いの席――あなたが食べきれなかった料理は、彼らにふるまうつもりです」
そうか。
じゃあ先に謝っておくか。心の中で。
「では遠慮なく――いただきます」
合掌。
さっそく料理に手を伸ばす。
肉。
魚。
酒。
肉。
野菜。肉。
肉。肉。果物。
魚。菓子。肉。野菜。酒。酒。
「……え?」
フリージアが唇をひきつらせる。
「ちょ、え? なにその食事の速さは? 料理をつかむ手が止まらない、料理を咀嚼する口の速さが異常……え、え? もう一皿? 二皿? ちょ、まだ速度が上がってる……?」
魚肉魚菓子酒肉果物菓子肉野菜野菜。
「うそでしょ? もう料理の半分を食べ終えてる……? 三日分の料理が十人前はあるのよ? それをたったひとりで……?」
それからしばし。
俺は夢中で料理を平らげ続ける。
「ふう。ごちそうさまでした」
二十分ほど経っただろうか。
俺は出された料理を完食していた。
『…………』
フリージア。
そして見守っていた住人たち。
そろって口をポカンと開けている。
「フリージア」
「な、なに?」
「俺は寝る」
その場で俺はごろりと寝転がった。
「何かあったら起こしてくれ。すっかり腹がふくれた。さすがに消化するのに時間がかかる」
「ええそうでしょうよ……というか信じられない……一体どうなってるのこの男の胃袋は……本当にぜんぶ食べてのけるなんて……」
「あとたぶん、起きたらまた腹が減ってるから。新しい料理の用意をよろしく頼む」
「はあ!? あなたまだ食べるつもりなの!? この集落の食料はもうほとんど出し尽くしているのだけど!?」
「食べるとも。忍者だからな」
そう言ってる間にもあくびが出てきた。
目を閉じる。すぐにウトウトしてくる。
「ま、これだけ食えばとりあえず十分だ。俺は寝る。おやすみ。ぐう」
「……だ」
フリージアの引きつった声が聞こえる。
「だからニンジャって何なのよおおお!?」
けっきょく叫ぶんじゃないか。
そう突っ込みながら俺は眠りに落ちた――