第十二話 忍者、宰相をいただく
翌日、パリーズの都。
「……ハンゾーは本当に底が知れませんね」
フリージアはため息混じりに称賛した。
「ちっとも戻ってこない、とやきもきしていたのですが、まさか都に潜入していた『やつら』を仕留めているとは……」
「生け捕りにできればもっと良かった」
「いいえ十分な働きです。ご苦労さまでした。この国を代表してお礼を申し上げます」
王宮で合流したフリージアは、ひどく素直だった。
いささか跳ねっ返り気味のフリージア。
何かと俺に噛みついてくる女だが、これだけ素直だと可愛さが増す。いつも素直であれば、すぐにでも俺の女にしてやれるんだが。
というかちょっと素直過ぎる。
さてはこいつ、王宮で何かあったな?
「……はい、その通りです。交渉が上手くいっていません」
「というと?」
「宰相のオルレアナを始め、枢機卿たちの反応が思わしくないのです」
「ま、予想できたことだな」
「そもそもわたしが異世界から勇者を召喚するのにも、彼らはいい顔をしていませんでした。ハンゾーがどれほどの力を持っているか説明しても、彼らは受け入れてくれません」
「自分で言うのもなんだが、俺はどこの馬の骨とも知れない輩だ。俺が枢機卿の立場だったとしても、同じ態度を取る」
「どうにか交渉して、彼らとの会談の場を設けることはできましたが――」
「そこでそいつらを納得させればいいんだろう? 俺が、自分の力で」
「……申し訳ありません。その段取りを整えておくのがわたしの役目だったのですが……」
しゅん、とうなだれるフリージア。
今日はやけに元気がない。
察するに、宰相と枢機卿たちとのやりとりが、よほど厳しいものだったんだろう。
エリートとはいえ、フリージアはまだ十八歳。
世界を救う使命を背負い、ひとりで戦うには、経験も実力も足りないか。
「いいだろう」
俺はうなずいた。
「素直でしおらしいお前に免じて、俺がなんとかする」
「ほ、本当ですか?」
「忍者に二言はない」
「ありがとう……助かります、本当に……」
「うむ。感謝してくれ」
「わたし、ここまで気を張って頑張ってきましたが、世界に危機が迫っていることを誰も理解してくれなくて……わたしの考えに賛同してくれる人もいますが、それでもほとんどひとりで戦うしかなくて……」
「フリージア」
「はい?」
「あんた、そのくらい素直でしおらしい方が可愛いぞ?」
「なっ――!?」
フリージアの顔が真っ赤になる。
「……ハンゾーのばか! そうやってわたしをからかってばかり! もう知りません!」
「はいはい悪かった。さあ行こう、宰相と枢機卿たちがお待ちかねのはずだ」
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たどり着いたのは、王宮の片隅にある東屋だった。
日本における茶室の異世界版、と言えばわかりやすいだろうか?
大理石と金箔でデコレーションされている王宮に比べ、ずいぶん質素で枯れた印象のある、くすんだ石造りの建物だった。
なるほど、密談にはいかにも向いていそうなシチュエーション。
東屋の中に入ると、宰相と枢機卿たちが待ち構えていた。
(ふむ――)
さっそく俺は分析する。
先客は六名。
ぜいたくな作りのテーブルに、金の掛かってそうな服を着た年寄りが五人。どいつもこいつも、うさん臭そうな目で俺を見ている。
上座に美女がひとり。
宰相のオルレアナ・マーセイユ・ド・リューセック。
国王の従兄妹と聞いていたが、フリージアとそんなに年齢は変わらない。せいぜい二十の半ばだろう。この若さで宰相とは、なるほど才媛らしい。
金色の髪。切れ長の瞳に片眼鏡。
枢機卿たちとは違い、堂々たる様子で俺を値踏みしている。
「あなたが異世界から来た勇者ですか」
宰相が口を開く。
「遠路はるばるようこそパリーズの都へ。歓迎します」
「望月半蔵だ。よろしくな宰相さん」
「――口を慎め、下郎!」
ヒステリックな声が上がる。
宰相の口からじゃない。取り巻きの枢機卿の口からだ。
「リューセック王家のやんごとなき血筋を受け継ぐオルレアナ宰相閣下と、対等の口を利くとは何事か! まずはひざまずき、頭を垂れるのが礼儀であろう!」
思わず耳を塞ぎたくなった。
弱い犬ほどよくわめくというが、この状況がまさにそれ。絹や宝石で飾り立てたハゲ頭の枢機卿は、ペットショップで売れ残った皮膚病の犬にそっくりだ。
「よいのです、ジャモニー枢機卿」
わめく皮膚病の犬を、オルレアナ宰相が制する。
「この者は異世界より来たりし者。こちらの世界の道理が分からぬのも仕方のないことでしょう。無礼は不問に付します」
「ははっ。閣下がそう仰るのであれば――」
たちまちかしこまるジャモニー枢機卿とやら。
その様子に、他の枢機卿たちも同調する。
「さすがは宰相閣下ですな」
「ええまったく。このような下賤の者にも、寛容をお示しになられるとは」
「リューセック王家とバーゼイル王国に栄光あれ。私めは生涯をかけて、宰相閣下についてゆきまするぞ」
……ははあ、なるほど。
口々に褒めそやす枢機卿たちを眺めながら、俺は心の中で理解する。
だいぶ構図が見えてきた。
こいつは思ったより、話が簡単に進みそうな気がするな。
(厄介な状況になりました)
フリージアが耳打ちしてくる。
(見ての通り、枢機卿たちは全員が敵です。宰相は立場上、ハンゾーにもある程度の配慮を示しているようにも見えますが……どうか気をつけてください。あの人が本心から配慮しているかどうかわかりませんから)
……そうか?
俺にはもっと単純な状況に見えるんだがね。
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その後は無駄な時間がつづいた。
フリージアは俺の有用性と、『やつら』の危険性を主張する。
枢機卿たちはそれにいちいち反論する。
俺はあくびをかみ殺すのに必死だった。
正直、さっさと帰った方がよかったかな。一応、フリージアの立場を考えて自重したが……
「まったく、なんという石頭なんでしょう!」
会談を終えた現在。
下町の酒場で、そのフリージアはぷりぷり怒っている。
「あれだけわたしが説得しても、まるで理解してくれませんでした! 口を酸っぱくして何度も何度も世界の危機を説いているのに!」
「ま、俺も力を見せなかったからな」
「ハンゾーが実力を示してくれれば、枢機卿たちも話を聞いてくれたでしょうけど……」
「ああいう連中に力を見せると、かえって状況が悪くなるからな。俺を利用しようとして悪巧みするとか」
「ですよね……」
はあ、とため息をつき、ジョッキに入ったエールを一気にあおるフリージア。
話の通じない上層部と、そいつらに使われざるを得ない下っ端。
どこの世界でもあるよな、こういうシチュエーションって。
「あーあ終わった-。ほんと終わりました。いえ、もちろんまだ本当には終わってないんですが、こんなところで足踏みを強いられるなんて。何のためにわたしが身体を張ったと思ってるの、あの人たちは……」
「心配するな」
火竜苺の火酒を飲みながら、俺は言う。
「三日、時間をくれ。それまでに何とかする」
「三日……ですか? 三日後に、もういちど宰相と枢機卿と会談する段取りになっていますが……それまでにどうするというのです?」
「枢機卿たちはゴミも同然だが、幸いにして宰相のオルレアナはそうじゃない。あれは何だかんだで話のわかる女とみた」
「そう……でしょうか? わたしにはそうは思えませんが……」
「まだ甘いなフリージア。枢機卿どもは宰相の言いなりだ。宰相を丸め込めば事は済む」
「仮にそうだとしても、どうやって?」
「王宮の見取り図をくれ。それ一枚あれば結果を出せる。ま、なくても結果は出せるだろうが、あるに越したことはない」
「見取り図……ですか。そんなものを何に使うのです?」
答えず、俺は火酒のおかわりを注文する。
さて、三日後に枢機卿どもがどんな顔をするか。
ちょっとした見物だな、これは。
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そして三日後。
ふたたび王宮の東屋にて。
「……まったく。何の意味があるのですかな、この会合に」
皮膚病の犬にそっくりの年寄りが、憮然としてふんぞり返っている。
確かシシャモ枢機卿……とかいう名前だっけか? 三日前、俺とフリージアに率先して楯突いていた人物だ。
「まさに時間の無駄ですな。どこの血筋とも知れぬ輩に世界の命運を託すなど、狂気の沙汰としか思えませぬ。何度話し合いを設けようと結果は同じ。そうは思いませぬかな、卿ら?」
お仲間の枢機卿たちに同意を求める。
枢機卿たちはそろって頷いている。
三日前をコピー&ペーストしたような会談だった。
口うるさい五人の枢機卿。
ひとり、必死に反論するフリージア。
表情を動かさず、成り行きを見守っている宰相オルレアナ。
まさしく茶番だが、茶番も時には必要となる。
さて。
ぼちぼち幕を引かせてもらおうか?
「――静粛に」
オルレアナが重々しく口を開いた。
たちまち枢機卿たちが黙り込む。まるで女神からの託宣を待つ信徒みたいに。
「わたくしから結論を申し上げます」
片眼鏡の奥の瞳を光らせ、オルレアナはおごそかに告げる。
「モチヅキ・ハンゾー。彼の者に我が国の命運を一任します」
……。
…………。
………………。
宰相以外の全員が固まった。俺ひとりをのぞいて。
「お、叔母さま……?」
最初にひきつった声を上げたのはフリージアだった。
「あの、それでよろしいのですか……? いえもちろん、わたしとしては何も問題はないのですが……」
「フリージア。わたくしはあなたの叔母ではありません。言葉には気をつけるように。歳も少ししか違わないのですから、叔母呼ばわりは迷惑です」
「いえあの、今はそういうことを言ってる状況じゃ……」
「宰相に二言はありません。そしてわたくしの言葉は国王陛下の言葉でもあります。今日これ以降、モチヅキ・ハンゾーの扱いは、そのように心得るよう。彼が求めるならば自由に軍資金を供給し、彼の方針どおりに国政を動かすように」
「――お、お待ちください宰相閣下!」
枢機卿を代表して、シシャモ卿(だっけ?)が声を張り上げる。
「承伏いたしかねまする! どこの馬の骨とも知れぬ男を、そのように重用するなど――」
「くどいですよジャモニー枢機卿。言ったはずです、わたくしは国王陛下の名代であると。わたくしの言葉に異を唱えるのは、国家への反逆も同然です」
「そ、そんな――!」
「あらためて申しつけます。モチヅキ・ハンゾーに我が国の命運を一任します。以降、あらゆることはそのように取りはからうよう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……一体どんな魔法を使ったのです?」
狂乱の東屋を出て、王宮の回廊を歩きながら。
フリージアが聞いてくる。
「わたしたちにとって逆風だった状況が、たったの三日間で追い風に変わってしまいました。わたしには何が何やら……」
「簡単なことだ」
俺は答えを示す。
「枢機卿たちは宰相の言いなり、宰相さえなんとかすれば話は簡単だ――そういう話をしたのは覚えてるか?」
「ええ覚えていますが。それがつまり?」
「宰相を俺の女にした」
「……は?」
目をぱちくりさせるフリージア。
「え、ええと? それはどういう?」
「そのままの意味だ。宰相の寝室に忍び込み、夜這いをして、忍者仕込みの技で彼女を手込めにした。オルレアナ・マーセイユ・ド・リューセックは、俺なしでは生きていけない身体になった。そういうことだ」
「…………」
フリージアは複雑な顔をしている。
信じられない。信じたくない。だけど信じるしかない。そんな顔。
短い付き合いだが、俺がどういう男かはよく知ってるはずだろ? フリージアよ。
「――あっ!? ひょっとして王宮の見取り図を欲しがったのは、そういう理由で!?」
「察しがよくなってきたな。そのとおりだ」
「いえちょっと待ってください。いくら見取り図があったとしても、王宮の警備は極めて厳重で……賊が忍び込めるような隙はないはず……」
「ま、忍者だからな。その程度の芸は持ってる」
ぐいっ、と俺は伸びをする。
「さて。ひと仕事済んだから遊びに行ってくる。この後のことは心配ない。何事もうまく運ぶよう、宰相に言いつけてある」
「そ、そんな……じゃあ本当にオルレアナ叔母さまは手籠めにされて? あ、ちょっと待ちなさいハンゾー!」
待たない。
お小言は遠慮する。早駆けを使って、とっとと退散するとしよう。
「こら待ちなさい、ハンゾーのばかー! わたしを差し置いて叔母さまと先に……じゃなくて! ちょっと待ちなさい! 話はまだ終わっていませんよ!?」
悪いが俺の話は終わった。
実は王宮近くの下町に、いい炙り肉を出す店があるとの情報を仕入れている。今夜はそこを試してみたい。
もちろんその後は娼館でしっぽりだ。ひと仕事した後に抱く女の味は格別だからな。
いやはやまったく。
異世界に召喚された忍者にヒマはなし、だな。