第十一話 忍者、危機を未然に防ぐ
パリーズの都に到着した。
「大きいな」
思わず俺は口笛を吹く。
この世界の文明レベルからすれば、こいつはとびきりだ。
城壁に囲まれた白亜の城と、さらにその城を何重にも取り囲む、石とレンガの街並み。
はるか遠方、十キロ離れていてもその偉容が目に付く。
「そりゃ大きいですとも」
馬車の窓から都を眺めながら、フリージアは自慢げだ。
「およそ百万の民が暮らす、ユーロプ大陸の中心です。あらゆる芸術、あらゆる商いがこの都に集まる――パリーズが存在しなければ、この世界は立ちゆきません」
「なるほどな。和風と洋風の違いはあるが、昔の江戸もきっとこんな感じだったんだろう」
「エド……とは? ハンゾーの生まれ故郷ですか?」
「そんなようなもんだ」
期待に胸が高まる。
こういう大都市でこそ、忍者は水を得た魚になれる。
果たしてこの都で、何が待ち受けているのか。
はやる気持ちを抑えつつ、馬車は関所をくぐる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「段取りが要ります」
とフリージアは言う。
「あなたをいきなり国王や宰相に引き合わせるわけにはいきません」
「ふむ」
「もちろん、わたしを信頼してくれてる人たちが王宮にはいます。彼らがある程度の根回しはしてくれていますが、それでも必要な段取りはわたし自身でやる必要があるでしょう」
道理だ。
俺だって、異世界から来た男がこれから世界を救うと言われたら眉唾になる。
むしろフリージアが言い出さなければ、俺から言い出していただろう。
確実な見通しを立てるのを忍者は好む。
逆に、労力を惜しんで足踏みするのを忍者はもっとも嫌う。
「そういうことなら俺は、パリーズの街を歩いてくる」
「情報収集のために?」
「当然」
あとで合流する手はずにして、フリージアと別れた。
ちなみに先立つものがなかったので、また金貨二十枚を借りておいた。
「また二十枚も!? あのですねハンゾー、街を歩いて情報を集めるのに、普通は金貨二十枚もいらないのですよ? 確かにこの間はきっちり耳をそろえて返してもらいましたが、それにしたって――あっ、こら待ちなさい! 話はまだ終わっていませんよ!?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
見知らぬ街並みを歩く。
あらかじめパリーズの都の地理は頭に叩き込んである。さして不自由はない。
壮麗な教会。
贅を尽くした商館。
わき水を利用した公園。
宝石や絹織物をあつかう露店。
(いい都だ)
元の世界にこの街があれば、さぞかし人気の観光地になっていただろう。
元の世界と似てはいるが、微妙に異なる様式の建築。
元の世界ではお目に掛かれない、エルフやドワーフやホビットなどの人種。
屋台で買い食いしながら歩く。
剣牙猪の串焼き。
筋と脂身の多い肉をミンチ状にして、炭で炙る。味付けは削った岩塩。薬味にショウガとマスタードを足したような味のする、オルソスの実。ひたすら美味い。
鉄砲イワシのサンドイッチ。
三枚に下ろした魚の刺身を、焼きたてのパンに豪快にはさむ。味付けは鉄砲イワシの魚醤のみ。ただただ美味い。
雪芭蕉の葉っぱで作った杯にエールを注いで、飲み歩く。
デザートは緑桃の砂糖煮を、餅に包んで蒸したもの。むやみに美味い。
川港を歩く。
丘の上の旧市街を歩く。
娼館や大衆酒場もたくさんあるが、今は遠慮した。
情報収集も大事だが、他にに優先するべきことがあるのだ。
なぜなら俺には予感がある。
『やつら』がフリージアの説明した通りの存在だとすれば、おそらく――
……。
…………。
………………。
日が暮れてきた。
街灯に明かりがつく。
明かり守りの精霊術士が、あちこちの辻に立つ灯籠に光の精霊を置いていくのだ。
薄闇の中、フードを被った明かり守りが闇を払っていく様は、それだけで絵になる。
都の真ん中を走るゾンヌ川の川岸。
海エンドウのフライをかじりながら、俺は左右に視線を走らせる。あくまでもおのぼりさんを装いながら。
ま、確率は決して高くない。
当たればもうけもの、ぐらいのつもりではいる。人口百万の都市で、そう簡単に出くわせるとは思ってな――
(……!)
いた。
往来をゆく、様々な人種の人混み。
その中に、俺でしか察知できない違和感を放つ人物が紛れている。
(ツイてるな)
ほくそ笑む。
元の世界では冴えない人生だったが。
実は俺、持ってる男なのかもしれん。
立ち上がって後をつけた。
尾行も気配遮断も忍者の得意技。はやる気持ちをおさえ、その人物のあとをついていく。
橋を渡り、辻を曲がり、露店を抜けて。
そいつは薄暗い下町へと向かっていく。
ひとけのない路地に入ったところで、俺はそいつに声をかけた。
「あんた。ちょっといいかい」
そいつはぴたりと足を止める。
「……私に何かご用で?」
三十歳半ばの男。
パリーズの都で一稼ぎしにきた行商人、という風情に見えるが。
「あんたヒトじゃないな」
俺は指摘する。
「なるほどフリージアの言ってたとおりだ。見ればわかる。うまく化けるもんだ。普通じゃまずわからない」
「はあ? いきなり声を掛けておいて、いったい何を……」
「『やつら』がどういう存在なのかはハッキリしないが、ヒトの世界を浸食してることはまちがいない。それも戦争によらず、もっと密やかな形で」
俺はそいつに近づく。
男の背後は壁。このせまい路地じゃ逃げ場はない。
「ということは、斥候なり先遣隊がパリーズに潜伏していてもおかしくない……と踏んでいたんだが。勘が当たったな」
「……何を言ってるのかわからない。俺はただの行商人だ」
「いいさ、場所を移してゆっくり話を聞こう。れっきとした行商人なら、商人ギルドから証明書も持たされているはずだしな」
「今は持っていない。宿に置いてきた」
「だったら宿までついていこう。先に言っておくが、俺の雇い主はこの国の王族だ。言い逃れはできないし、逃げ隠れしても無駄だぞ?」
「――た、助けてくれ! 誰か!」
そいつは悲鳴をあげた。
俺にではない。明るい大通りに向けて。
「人殺しだ! 頭のいかれた男に襲われている! 誰でもいい、誰か衛兵を呼んで――」
踏み込んだ。
数メートル程度の距離は、俺にとってゼロに等しい。
瞬きするよりも早く間合いを詰める。
なおも助けを呼ぼうとしているそいつのみぞおちに、一閃。
「――おや」
手応えがない。
並の人間ならこの一発で失神しているところだが。
「おっと」
びゅん!
行商人風の男の反撃。
隠し持っていたナイフ。余裕でかわす。
かわしながらナイフを奪う。
奪いながら腕を取り、背後に回り、そのまま石畳に引き倒す。
勝負あり――かと思ったのだが、
「む!?」
ごきり。
関節の外れる音。
もう一本隠し持っていたナイフ。びゅん! 目の前をかすめていく鋼鉄の光。
一瞬の隙。
脱兎のごとく駆け出す行商人風の男。
間接を何カ所も外して、俺の縛めを抜けた。
俺は理解する。こいつらは死を恐れていない。というより死を恐れるという概念がない。痛みを感じているかどうかも怪しい。
こういう相手には、話し合いや交渉はもちろん、拷問も無意味。
(やむを得ないな)
俺は疾風のごとく、翔んだ。
逃げ出す男の背後へ。
金剛の術を纏わせた手刀を振る。
首が飛ぶ。
動脈から噴き出す返り血を避けるべく、俺は一歩下がろうとして――
「おう……!」
驚いた。
噴き出る血液が、噴き出るそばから霞のごとく消えていく。
血液だけじゃない。胴体から離れた首が、首を失った胴体が、黒い霧状のものになって、そのまま空気中に消えていくのだ。あとかたもなく。
「なるほどな」
ひとり納得した。
これが俺の『敵』か。
確かにこいつは人間じゃない。
「さてどうするか」
”仕事”を終え、あごを撫でて考える。
目的は十分に達した。『やつら』と直に接して感触を得た。下っ端をしらみつぶしにしても意味はない。フリージアは王宮であくせく走り回っている。
ふところには金貨二十枚。
「……遊ぶか」
酒場、娼館、その他もろもろ。
行きたいところはたくさんある。異世界観光は、そのまま俺にとって仕事にもなる。
「今夜はどこで飲もうかな、っと」
路地を後にする。
人知れず世界を救い、俺は夜の街に消えていく――