第十話 忍者、古代語を速読する
翌朝。
モウリンズの街を出て、パリーズの都を再び目指す馬車の中。
フリージアの機嫌は最高に悪かった。
「別に遊ぶなと言ってるわけじゃありません」
眉毛をきりりと吊り上げて、彼女は言う。
「片っ端から酒と料理をおごりまくる。娼婦を五人も十人も買い上げる。あげくに金貨を一晩で使い切る――」
しかめ面で腕を組む。
組んだ足をせわしなく揺らす。
「お酒を過ごすのもいいでしょう。たまにはお酒に溺れたい日もあるでしょうから。娼婦と臥所を共にするのも構いません。男の人はそういうものだと知ってますから」
俺は話を聞き流しながら本を読んでいる。
この世界の歴史をつづった、代表的な著作だそうだ。
本は情報の宝庫。読める時に読むに限る。
「ですが! そのふたつを同時に! しかも返してくれたとはいえ他人のお金で! おかしいとは思いませんか!」
「仕事はしているぞ」
ページをめくりながら俺は返す。
「昨日一晩で仕入れてきた情報は、あんたにとっても価値のあるもののはずだ。俺もこの世界をより深く知ることができた。何も問題はない」
「はん! ええそうでしょうよ、さぞかしこちらの世界の女性を深く知ることができたでしょうよ!」
「フリージア」
「何です!」
「妬いてるのか?」
「妬いてません!」
「いま俺たちがやってるこれ、まるで痴話げんかみたいだな?」
「だ・れ・が! あなたなんかと!」
「じゃあこの話はこれで終わりだ。前向きな話をしよう」
本のページをさらにめくりながら俺は言う。
「パリーズの都まであと数日。お小言を言ってる暇も、聞いてる暇もないはずだ」
「それはそうですが……ぶつぶつ……」
「まずは情報を整理する。こんな感じで合ってるか?」
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・『やつら』は東方地域に勢力を張っている。西方諸国には、まだその魔手は届いていない
・傭兵という職業柄、各国の情勢に強いザークゼンに聞いた話を総合すると、確かに東方地域の様子が近ごろおかしいとのこと
・ただし『やつら』の存在はまだ一般には知られていない。これは確定
・『やつら』の存在が一般に知られ、混乱を招く前にひそかに対処するのが理想
・『やつら』の存在を知っているのは、西方連盟に加入している諸国の上層部のみ
・パリーズの都を本拠とするバーセイル王国は、西方連盟の主要国で、率先して『やつら』に対処する責任を負っている。ただし表沙汰にならぬよう取りはからう必要がある
・以上の理由から、少数精鋭の勇者を編成し、ひそかに事を成すのが望まれる
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「あくまで人知れず任務を果たせ、ということだな。世界を救った名誉は人々に知られることなく、英雄の業績は闇に葬られる――」
「……ですが、その分の見返りは用意します」
「もちろんだとも。あんたの身体で払ってもらう約束だからな」
「むぐっ……そ、その件なのですが、もう少し交渉の余地は……」
「さて。情報の整理を続けるぞ」
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・バーセイル王国の国王は、ジャルマーン三世。人柄は良いが凡庸。世界の危機を乗り切る力量はない
・国王に代わって実権を握るのは、宰相のオルレアナ。ジャルマーン三世の従兄妹で、才媛との評判
・フリージアは、ジャルマーン三世の妾の子。その生まれゆえ、幼いころ精霊教会に預けられ、そこで育てられた
・フリージアは百年に一人の天才と呼ばれ、若くして精霊騎士として大成。その力を見込まれて王宮に呼び戻されたが、枢機卿たちを始めとする貴族階級からの受けは悪い
・そのかわり庶民からの受けはいい
・ジャルマーン三世はフリージアに甘い
・オルレアナ宰相とフリージアの関係は微妙
・精霊教会にいた時代、フリージアはあまたの男から求婚を受けたが、すべて断った
・市井の絵描きが想像で描いたフリージアの肖像画は、飛ぶように売れる
・好きな食べ物は火竜苺のケーキ
・好きな下着の色は黒
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「……な、なぜそこまで知ってるの?」
「忍者だからな。情報の収集と分析は得意なんだ」
「……時々思うのですが、ニンジャだと言っておけば何でも済むと思ってませんか、あなた?」
「とにかく、以上のことから俺たちがまずやるべきこと。それは宰相のオルレアナと、彼女を支持する枢機卿たちを納得させることだ。そうしないと動くに動けない」
「ええ、それはその通りですね。国王陛下はわたしを支持してくださいますが――」
「おそらくほとんどの人間にとって、『やつら』に対する危機感は薄い。遠く東の地域で起きていることだしな。フリージア、あんたもさぞかし手を焼いているだろう」
「……あなたの言う危機感を持っているのは、精霊教会の上位者と、わが国ではせいぜいオルレアナ宰相ぐらいのものです。確かに現状では対岸の火事ですから」
「火の粉が飛んでくる前にどうにかするさ――とにかく今は環境を整えたい。情報もまだまだ足りないが、救うべき相手に足をすくわれるのは論外だからな」
「早馬を飛ばして、こちらの事情はパリーズの都に伝えてあります。あなたの支援は可能な限りさせていただきます」
「期待しよう」
そう言って俺は本を閉じる。
「いい本だった。次のを頼む」
「え? 読み終わったのですか? その本を? わたしと話ながら?」
「こちらの世界の歴史と成り立ちに関する、重厚な書だった。少しばかり著者の主観に寄りすぎるきらいはあったが、勉強になったよ」
「それ、古代マヌエル語で書かれている部分もある本なのですが……なぜそんなにすらすら読めるの……?」
「忍者だからな」
ま、これに関しては神様のギフトだけどな。
「ハンゾーは本当に底が知れませんね……その力でどうか、この世界を救ってください」
「あんたの心がけ次第だな。言っておくが、俺は必ず貸したものは取り立てるぞ?」
「あううう……」
たちまちしおれるフリージア。
その姿を横目に、俺は新しい本のページをめくるのだった。