第一話 忍者、異世界に召喚される
気がつくと俺は異世界に召喚されていた。
「おぬしの名は望月半蔵。日本国出身、男性、独身、三十五歳。間違いないかの?」
頭の中で声が聞こえる。
真っ白で何もない空間。どこなんだここは?
「一種のターミナルじゃな。あちらとこちらを結ぶ中継地点。よくあるじゃろ、そういうの」
確かにある。新宿駅とか上野駅とか。
「では手短に説明していこうかの」
声が勝手に話を進める。
「おぬしこと望月半蔵は、所定の手続きを踏んで別の世界へと転送される。転送される先で何が起ころうと当方は関知せぬ」
「…………」
「言語野と視覚野、各種体組成、その他もろもろはこちらで調整をかけておく。言葉が通じないとか、転送先の大気が猛毒で即死する、ということはないから安心せよ」
「…………」
「ここまでで何か質問は?」
しばし俺は考える。
「いくつか聞きたい」
「申してみよ」
「あんたは神か?」
「似たようなものじゃ」
「東京でしけた人生を送っていた俺は、どこかの誰かに召喚されて、別の世界へ強制的に飛ばされようとしている?」
「その通り」
「わかった。状況を受け入れよう」
「……あきらめがいいのう、おぬし」
声が呆れたように言う。
俺にしてみりゃ当然だ。職業柄、いちいちうろたえていたら『仕事』にならない。まあ俺が生きていた世界では一度も『仕事』をした試しはないんだが。
「他に質問はあるかの?」
「ある。転送される先は、戦乱の世の中なのか?」
「戦乱どころか、魔王っぽいやつが現れたせいでめちゃくちゃピンチじゃの」
「剣と魔法の世界?」
「うむ。エルフやらドワーフやらもわんさかおる」
「わかった。さっそく転送してくれ」
「……せっかちだのう、おぬし」
声がまた呆れる。
いいじゃないか話が早くて。駄々をこねたらそちらも困るだろう?
「では望み通り、さっそく転送するとしよう」
「頼む」
「ちなみに強引に呼びつけてしまったお詫びとして、特別なスキルをおまけに付けてやることもできるのじゃが」
「いらん」
「……ええ~? いらんの?」
「いらんよ。なのでさっそく転送してくれ」
「本当にいらんのか? なんでもよいのだぞ?」
「本当にいらん」
「空間転移とか、何かを食べることで新たな能力を獲得するスキルとか。あちらの世界でも使えるスマホを渡してもいいし、何にでも形を変える万能の農具なんぞを渡すこともできるんじゃが」
「全然いらない」
「おまけスキルは基本的にひとつだけじゃが、特別にたくさん付けてやってもよいのじゃぞ?」
「だからいらないって」
「……つまらぬのう。召喚される側の突拍子もないスキル要望を聞き届けたり、こちら側で何かしら新しいスキルをひねり出すのが、儂の数少ない楽しみなのに」
そんなことを楽しみにしてるのか。神様ってやつも大変だな。
ま、人生そんなもんか。誰だって何かしら退屈をかかえて生きている。俺がそうだったように。
「おぬし、ひとつ聞いてもよいか?」
「なんだ?」
「なぜせっかくのお得なスキルを拒否するのじゃ?」
「いらないからだ。本当に必要ないんだよ」
「必要ないとな?」
「ああ。むしろ邪魔になる。下手に便利なスキルをもらってしまうと、俺が元から身につけていたスキルが鈍っちまう」
「……ふうむ?」
「それより早く転送してくれ。正直なところ、俺はさっさと異世界に行きたくてたまらない」
「……まあよい。それでは儂も仕事にならんから、適当に見繕ってスキルをつけておくことにする。それで構わぬな?」
「了解。好きなようにしてくれ」
「ふてぶてしい男じゃのう。何やらおぬしのこの先が楽しみになってきた。よき旅路のあらんことを」
目の前が真っ黒になった。
俺を形作ってる何かがバラバラに分解され、どこかへ飛ばされていくのを感じる――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
次に目を開けた時。
俺は見知らぬ場所にいた。
(洞窟――か?)
ごつごつした岩肌に囲まれた、薄暗い空間。
足元を見る。サークル状の不思議な模様が地面に刻まれている。
(魔方陣?)
いわゆるそういうモノなんだろう。
何しろ剣と魔法の世界。この魔方陣を介して俺は召喚されたわけか。
「あなたが勇者ですか」
声がした。
顔を上げると目の前に女がひとり。
「あなたは異世界より来たりし勇者。間違いありませんね?」
銀色の髪に金色の瞳。とがった耳。
なるほど異世界だ。こんなタイプの美人、元の世界じゃお目に掛かれない。いわゆるエルフというやつだろうか。
「悪いが間違いだ」
俺は首を振った。
「俺は勇者じゃない。親のスネをかじって引きこもってた、単なるニート野郎だ」
「…………」
女は眉をひそめる。そんな仕草も美人。
正直好みだ。
「ですがせめて、魔法ぐらいは使えるのですよね?」
「悪いが使えない。俺は魔法の存在しない世界から来た」
「では、何かしら大いなる力を秘めた道具を持っているとか?」
「その気になればそういうモノももらえたらしいがな。いらないから断ってきた」
「……あるいはもしや、魔法も道具も必要ない、神の御業の体現者であるとか」
「あいにくと無神論者なんだ。そういうのには縁がない」
「嘘でしょう……?」
がっくりと膝をつく女。
「苦労に苦労を重ねて、ようやく召喚魔法が成功したと思ったら、まさかの役立たず……こうしてる間にも『やつら』はそこまで迫っているというのに……」
「すまんな。期待してた勇者様じゃなくて」
「ええまったくよ!」
女は涙目でにらみつけてくる。
怒らせてしまった。そんな顔も可愛いが、そろそろ誤解を解いておこうか。
「早とちりするな。確かに俺はニートだし、魔法も使えないし、すごい道具も持ってないし、無神論者だが。たぶん役には立つと思うぞ」
「……本当に?」
「本当だ」
「ということはつまり、あなた戦士系の前衛職ですか。ですが現状、この世界ではよほどのことがない限り、前衛職は足りているのです」
「足りているというのは人数的に?」
「いいえ実力的に。正直なところ、一流の戦士が束になってかかってきても、このわたし一人を倒すこともできないでしょう」
「あんた強いのか?」
「それなりには」
女は迷いなく答える。
その様子に傲慢さはない。おそらく事実なのだろう。
「じゃあ試してみるか」
「え?」
「腕試しだよ。俺が役に立つのか立たないのか。今ここで試してみろ。その方が話は早い」
「……いいでしょう」
女の決断は早かった。立ち上がって構えを取る。その瞳にはプライドを傷つけられた怒りがある。
「――来たれ精霊よ」
女が何かをつぶやいた。
その一瞬後。何やら光の粒子のようなものが、女の周囲に渦を巻き始める。
「この子たちのたった一粒にでも触れれば、生身の人間はただでは済みません。大口を叩いたことを後悔させてあげます」
なるほどいい術だ。
俺は感心する。何より景色がいい。薄暗い洞窟、異世界の美女と、彼女を取り巻く幻想的な光の粒子。これぞ異世界。やる気が出てくる。
「じゃあ始めていいのか?」
「どうぞいつでも。ですがどうするのです? わたしの『光輝のヴェール』は、近づく者すべてを排除する無敵の防御魔法。これを破る方法は――」
俺は無造作に近づいた。
一歩、二歩、三歩。
「ちょっ――あなた正気!? わたしの話聞いてました!? 不用意に近づいたら穴だらけに――」
さらに近づく。
四歩、五歩、六歩。
「くっ――どうなっても知らないわよ!? 行け、精霊たち!」
光の粒子が散会した。
蛍の群れのようにぶわっと広がり、近づいていく俺に狙いを定める。
失敗したな。隙ありだ。
「縮歩」
「え?」
次の瞬間。
俺は女の背後に回り込んでいた。
それと同時に足払い。
「ひゃっ!?」
体勢が崩れる。
女の背中に腕を回して、地面に激突するのを防ぐ。
手刀を女の首もとに突きつける。
「勝負ありだな」
「……うそ」
信じられないものを見る目で女がつぶやく。
「負けた? そんな……最上位の精霊騎士であるわたしが、一瞬で?」
「言い忘れていたんだが」
手刀を突きつけたまま告げる。
「俺は忍者だ」
「に、ニンジャ……?」
耳慣れない単語を聞いた様子で、女は目をぱちくりさせる。
こうして俺、望月半蔵の――一族で代々受け継ぐ技を極めながら、技の使い道もなく現代社会でくすぶっていた男の異世界生活が、始まった。
新連載始めました。
基本、毎日更新の予定です。