ぬるりと俥
その日の夜、
神くん、神 衛花は道着袴姿で木刀を振っていた。
大きな日本屋敷の手入れされた庭、
その中で
熱心な練習の成果と言える大粒の汗、
それが月の明かりに反射して美しく煌めく。
「随分立派な家だねえ」
神くんの背後、
庭の大きな松の木から
「俥です、青葉署の。」
謎の刑事、
俥 入人が現れた。
神くんはため息をついて、
振り返る。
「警察の方が不法侵入とは、感心しませんね。」
それに対して
ハハッと笑って手を添える。
「やだなあ、ちゃんと玄関から断って入りましたよ。あれ、お爺様?」
「…まあ、そのようなものです。」
神くんは縁側に置いたタオルで汗をぬぐって、
木刀を立て掛けた。
「俥さん、用件は、何です?」
襟を正して、
改めて問う。
「またまたやだなあ、とぼけちゃって。」
俥は胸の内ポケットからタバコを取り出し、
神くんの許可を得てから
口にくわえ、
火をつけた。
「すいませんね…あ、タバコは吸うのに、すいませんだなんて、ハハッ、こりゃいいや」
神くんの調子が狂う、
俥の道化た態度。
「スパー、こんな綺麗な月の下、タバコを吸って、コーヒーがあれば最高なのになあ~」
イライラがとうとう神くんの肩を掴む。
だが、堪えて、
「俥さん、あの、」
「あの火事の件ですよ。」
指に挟んだタバコを口から離して、
神くんに指す。
「火事の件ですよ、火事の件。」
「それはもうお話ししましたよ、青葉署でも、聞き取りでも、病院でも。」
俥は、神くんに指したその手の、
平を見せて、
「なのに、刑事が来た。ということは?」
「…そういう事です。」
何かの疑いをかけられているのか?
いい気はせず、
神くんの表情にまでもイライラが掴みかかってきた。
「何が言いたいんです?」
俥は煙を吐いて
ニヤリと笑う。
「みんなに~、言ってないこと、あるんじゃないですか?」
…ある。
…みんなに、言ってないことが、ある。
「ほら!あるじゃない!表情が一瞬固まった!そうそう、そうなんですよ、それを聞きたいんですよ!」
「…無いですよ!」
「嘘は良く無いよ~、神 衛花くん。」
俥に見事にかき回されている、
ペースは完全に狂って
核心に迫られてしまっている。
「私ね、普通の刑事じゃないんですよ、何が普通じゃないか、知りたい?」
「ふふふ、私ね、建前を気にせず動ける刑事なんですよ~。」
「署内では幽霊、なんて呼ばれててね、何をしようが関係無いんです。」
脅迫?
神くんの右手が木刀に伸びる
「おっと、物騒なことはするんじゃないよ。」
その手が止まる。
「まあいいけどね~」
俥の顔に暗い影が入り、
死んだ黒い瞳でつぶやく、
「…いいけど、使う刀はそれじゃあないだろ?」
殺気、
ただならぬ殺気、
全身を通り抜け、
後ろへ吹き飛んでいくような殺気!
「…なんてね。」
あと少し
今の殺気を浴びていれば、
刀を出していた所だ。
「ハハハ、青少年をいじめる趣味はないよ」
と
肩を叩いて
庭の勝手口の方へ歩いていく俥。
「…っ!?」
いつそんなすぐ側に寄られた!?
神くんはとうとう汗を垂らして
口を開けた。
「今日はここまでにしとこうか、また来るよ。」
「0係の、俥だ。大事だから二回名乗った。」
「次はちゃんと質問に答えるんだよ?いいね?」
ヒノキの扉に手をかけ、
ゆっくり開いて
すう、と俥は敷地をあとにした。
敵なのか、
味方なのか、
いや、味方ではない、
なら何故殺らない?
何故、
神くんは強烈なプレッシャーに押しつぶされ、
その場で
膝から崩れ落ちた。
闇は闇からやって来ている。
確実にケイトと神くんを捉える為に。
鬼に刃を向けるという代償、
その支払いは何か、
命か、はたまた…。




