なんて可愛くないお話かしら
創間先輩が好きだ。
皆はオミくんと呼ぶけれど、そのせいで苗字が忘れられがちだけれど、私はちゃんと覚えている。
苗字で呼ぶことが、こんなにも特別なものだと知ったのは、先輩のお陰なのだ。
それなのに、皆が皆、私が先輩を好きだと言うと、変な顔をする。
楽しみにとっておいたスィーツを食べて、期待に応えられなかった時のような顔。
そうして皆が皆、同じことを口にする。
それこそ、耳にタコだ。
「オミくん先輩は止めた方が良いよ。だってあの人、彼女いるじゃん」
皆が皆、そう言うけれど、別に先輩は付き合ってるなんて、彼女がいるなんて言ってない。
噛み付くように言う私に、やはり皆が口を揃えて、言わなくても分かるんだよ、と言う。
まるで我侭な、物分りの悪い子供に諭すような声音で繰り返す。
「先輩は止めた方が良い」
そんなことを言いつつも、皆が皆、先輩が廊下を通る度にきゃあ、と悲鳴を上げる。
本人は全く気にしてないけれど、それくらい先輩は皆から好意を抱かれているということだ。
だって先輩は格好良い。
中性的とも言える端正な顔立ちは、男の人の中でもトップクラス、女の人よりも美しいのだ。
男の人なのに白っぽい肌は、ツルリとした剥きたて卵のような艶やかさを持ち、青みがかった黒髪と同じ色の瞳が、ほんの少し外人くさい。
でも、顔立ちが綺麗なだけじゃなくて、その体付きは男らしく均等な筋肉をまとっている。
体育をしている時なんて、皆先生の話をそっちのけで窓の外を見るのだ。
私だってその一人で、男らしくシャツで汗を拭っている時なんて、胸が高鳴って苦しかった。
見た目の話だけじゃなくて、成績だって良いのを知っている。
学年は違うけれど、成績優秀生徒の名前はいつだってテスト明けに張り出され、その中にはいつだって先輩の名前があった。
いつも学年で二番だけれど、一番の人は先輩よりももっと頭が良いのかと思うと、何故か私が悔しくなってしまう。
それに先輩は風紀委員にだって入っていて、不定期に行われる服装チェックでは、わざと着崩している女の子だっている。
先輩に声を掛けられるのが嬉しいから、らしいけれど、私は先輩にだらしのない子だとは思われたくないので、そんなことをしたことはない。
そうして、素敵に完璧な先輩は今、たまたま通り掛かった一年生の教室がある廊下で女の子に囲まれている。
女の子達は我先に、とその手に持った可愛らしいラッピングのそれを先輩に押し付けていた。
かく言う私も、この手にはその可愛らしくしたラッピングのものを持っている。
これは、今日の調理実習で作ったクッキーなのだが、まぁ、美味しく出来たと思う。
因みに同学年の男子達は、血涙を流す勢いで唇を噛み締め、先輩を睨み付けている。
「いや、流石にこの量は食えないんだけど」
口の端を引き攣らせて、眉を下げる先輩は、どんな表情でも絵になると思う。
その証拠に、女の子達はそれでも、私のは、と何やら叫びながら押し付けていた。
中身が崩れないのか不安にならないのだろうか、それよりも渡すことが重要なのか。
しかし、こればかりは私も負けたくない。
ふんす、と鼻息荒く一歩を踏み出そうとしたが、やけに良く響く声が背中に掛けられ、それは不発に終わる。
慌てて振り返った先には、見覚えのない人がいて、足元を見て上靴のラインで先輩だと分かった。
「え、あの……」
透き通っているような、ある意味不健康なくらいの白い肌に、大きな黒目と長い睫毛。
しかしそれを覆い隠すようなくらいに伸ばされた前髪は黒く、全体的にウェーブの掛かった黒髪は、サイドに結えられている。
私よりも身長の低いその人は、まるでお人形のようだった。
「……退けて」
声量としては小さいのに、透明度の高いその声は、周りの雑音を避けて真っ直ぐに届く。
愛想笑いもしないその人の言葉に驚いて、目を見開いたまま固まる私。
そんな私に溜息を吐いたその人は、その細い腕で私を押し退けて歩き出す。
ふらついた私を支えてくれたのは、いつも先輩を諦めろという友人達で、あーあ、という顔をして細い背中を見ていた。
来ちゃったねぇ、来ちゃったよ、私の知らない方向で話が進んでおり、目を白黒させるしかない。
「……オミくん」
女の子に囲まれている先輩を、その小さな声で呼べば、ハッとしたような先輩が見れた。
その顔は初めて見たもので、いつも右半分を隠す長い前髪が大きく揺れる。
「あー、ごめんって」
「世の中には謝って済まない事が多いから、警察がいて憲法があるんだよ」
可愛らしいと言えるはずの見た目に反して、その中身はなかなかに手厳しいものがある。
言葉の節々に小さな刺が含まれているのは、第三者である私達からでも見て取れるのに、先輩は女の子達を掻き分けてその人の元へ向かう。
「めちゃくちゃ怒ってんな」
「激怒プンプン丸だね」
「可愛いな」
「凄く馬鹿にされてる気分だ」
周りの視線なんて気にせず、ぽんぽんとハイスピードで繰り返される会話のキャッチボール。
私は目を白黒させるだけでは物足りなくなり、口を半開きにした。
友人達はだから止めろって言ったのに、と口々に言う。
ぼんやりとした頭で聞いた内容では、先輩には三人もの幼馴染みがいるらしい。
更にその三人もの幼馴染みは全員女の子。
高校だって示し合わせて四人で同じ場所進んだ、という噂らしい。
一人はイトコで真っ赤な髪をした元気な女の子。
イトコだって結婚できちゃうもんね、なんて聞こえで眩暈がした。
二人目は生徒会所属で学年一の成績の女の子。
同じ場所に立って対等に事務的な会話をしている姿は、男女問わず魅了するらしい。
そうして三人目は、今、私の目の前で先輩と会話をしている女の子。
学年問わずに私が思ったように、お人形のようだという人がいるらしく、しかし、他の人達に比べて影薄いのは本人が目立ちたくないからなんじゃないか、と友人達は話す。
「……オミくん、呼びに来たけど甘臭い」
「失礼過ぎるだろ、お前」
目立ちたくない人が、あんな風に他学年の廊下で喋るんだろうか。
瞬きの回数を増やせば、友人達は「牽制ね」と呟く。
牽制、つまりはある行動において相手の自由を縛ること、だった気がする。
周りの女の子達は呆然として、先輩が楽しそうに笑うのを目を見開いて見つめた。
私だってそのうちの一人で、惨めにも可愛らしくしたはずのラッピングを乱している。
可愛らしいその人は、無表情の中に小さな笑みを見せ、先程まで先輩を睨んでいた男子達がどよめく。
成程、美男美女という言葉を体で表しているらしい。
客観的に見れるけれど、呼吸は妙に浅く、心臓がドクドクと音を立てた。
「ねぇ、オミくん」
「あぁ、はいはい。どうせ二人も待ってるんだろ」
先輩の制服の裾を摘むその人は、あざとさを感じさせない自然な動きをしてみせる。
それにその指先は長めの袖で隠されているけれど、何故そんなに自然体なんだろうか。
そんな人の動きにも、先輩は慣れたように対応して、指先を離して絡めとる。
ざわざわ、ざわめきが大きくなるのに、私にはそれがどこか遠くに聞こえた。
「それじゃ、悪いけど俺、行くから」
軽く手を上げた先輩に、皆が皆、口を開いたまま絡めている手を見つめて見送った。
その人は一瞬だけ私を見て、頭の天辺から爪先までを流した後、ラッピングのそれを見て前を向き直る、
自然と指先に力が篭もり、崩れたラッピングの中身、可愛い型抜きをしたクッキーが割れる音がした。