ザハ=ドラク編 復讐 04
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融の真剣なまなざしにコーダはわずかな恐怖を覚えた。
そしてその恐怖を覚えた自分自身に驚いた。
目の前の小さく細い「人間」ごときが、素手で自分の体をどうこうできるはずがない。
恐怖を感じる要素など微塵もないはずなのに。
「破っ」
融が小さく叫び、手のひらからコーダの腹部へと力を解放する。
手を体に当てた状態からの、ごく小さい動きでしかなかった。
しかし融の体を通して、大地がそのままぶつかって来たのではないかという衝撃をコーダはその身に受ける。
「ぬがっ!?」
かろうじてコーダは踏みとどまった。
しかしその額には大量の脂汗が浮く。
結果としてコーダは地面の線よりも引き下がることなく融の攻撃は試験に合格しなかった。
コーダは勝ったことになるわけだが、その表情に勝者の余裕はない。
「な、何をしやがったのかわからねえが、残念だった、な……ッ!?」
コーダの体、特に内部と足腰に異変が生まれた。
手を当てて押された腹部に、ではない。
腹を通り越して内臓から背中側に無数のアリが這うような悪寒が走り、そして足腰の力が抜けてガクガクと震える。
「な、ななな……」
「うーん、後ろにふっ飛ばしたかったんだけどな。うまくいかない。人間相手ははじめてだから仕方ないか……」
これはやっぱり違うのかな、と融は小声で嘆く。
融の手のひらからは、もちろん気功的なエネルギー波が出たわけではない。
これは日本の武術で言うところの「鎧通し」という技に近く、攻撃した表面ではなく内部にダメージを浸透させる攻撃だ。
融は「破っ」に繋がるかもしれない古今東西の格闘技を自分なりに研究し、修行に取り入れていく中で無意識のうちに鎧通しに似た技を使える体になってしまっているのである。
もちろん、手のひらから「破っ」が出ない以上、融の中では修行中の紆余曲折から生まれた副産物という認識でしかない。
格闘技のビデオなどで体の小さい老いた名人が大柄な弟子を何人も、軽く押すだけで何メートルも吹っ飛ばす映像を融は見たことがある。
融はそれこそが「破っ」に繋がる技に違いないと色々研鑽を重ね、毎日のトレーニングに取り入れて行ったが、結局押しただけで人を数メートル吹っ飛ばす技術は身につかなかった。
その代り、謎の寸勁モドキ、変則鎧通しとも言えるおかしな技を手に入れていたのだ。
膝をつき、何度も立ち上がろうとするコーダ。
しかし震える足取りで無理をした結果、その大きな体が後方にズゥンと音を立てて倒れた。
「あ、線より後ろに行ったな。とりあえずこれでよしとするか。明日からの練習はもっと力を前方に真っ直ぐ飛ばすイメージを心がけよう」
結果的に試験はクリアしたようなので、融は技の運用がうまく行かなかったことを思い悩むのをやめた。
立ち上がることが困難なコーダに手を差し出し、引き起こそうとする。
「大丈夫か。やりすぎたかもしれない。すまん」
しかし融の手は払いのけられた。
「ぐががが……この俺が、人間ごときに、この、俺がぁッ!!」
地鳴りのような咆哮が辺りに鳴り響き、コーダの体に異変が起こった。
大きく熱い胸板がさらに厚く、太い腕はさらに太く。
全身を獣のような太い体毛が覆い尽くし、唸りを上げる口元からは鋭い牙が覗く。
怒れる巨大な羆が、そこに現れた。
さっきまでコーダだった者は、その姿を巨大な羆に変化させたのだ。
そう、コーダという男は羆の獣人であった。
興奮が高まったり自身の命に危機が迫ると、その体を獣化させて腕力や耐久力を大幅に増強することができる。それがコーダのような肉食獣型の獣人の特性なのだ。
「と、融お兄ちゃんっ!」
恐怖のあまり裏返った声で兄の名を叫ぶ玲奈。
それに対し、融はあさっての方向に感想を述べた。
「ここは北海道だったのか。駅も列車も見ないわけだ」
「違うって! 北海道にだって駅も列車もちゃんとあるよ! 電車じゃなくてディーゼルが主流なだけで!」
思わず突っ込みを入れてしまう玲奈。
「違うのかな? 北海道の人は熊の着ぐるみ早着替えを持ち芸として習得しているんじゃないのか?」
「中にはそういう人もいるかもしれないけど今はそんなこと言ってる場合じゃないよ!」
その通りであった。
溢れ出る殺気を伴って巨獣と姿を変えたコーダが融に肉薄する。
「人間ごときが、この俺に膝をつかせやがって……! どんな魔術を使いやがったんだァァッ!!!」
獣化したコーダは、先ほどのダメージからほぼ回復していた。
戦闘や狩猟を得意とする肉食獣型の獣人は、受けた傷の痛みを抑える能力や、体内のダメージを回復する能力が他の種族より段違いに高い。
その代りエルフやダークエルフが使うような魔法の力をほとんど持つことができないという特性がある。
「そこまでじゃ、コーダどの!」
事態を見守っていたフラウの一括が周囲に響く。
彼女の脇にいる侍女のレムはコーダに向けて手のひらをかざし、念を送っていた。
「姫さん、邪魔すんじゃねえッ!」
「もともとただの余興、たわむれであろうが。なによりトールと申す者の手の内を知ることもなく、無防備に攻撃を受けたのはおぬしの方じゃ。今回は大人しくわきまえよ。おぬしが決めた線を、おぬしが後退して超えたのはここにいる皆が見ておるぞ」
「ぬ……」
融に襲いかかろうとしたコーダの動きが停まる。
フラウの言葉とともに放たれるレムの魔法。
ダークエルフの侍女レムは、対象の精神を安定させる魔法「安らぎの波」を使うことができるのだ。
怒りを鎮めたり不安を打ち消したり、または恐怖心を払しょくしたりと応用の効く異能である。
しかし使える対象は一度に一人であり、日に何度も使えるというわけではなかった。
普段はもっぱら主人であるフラウの精神を安定させることに使われている。
この力があればこそ、フラウは復讐にとりつかれつつも精神を疲弊させることなく、また王女としての余裕を心に持つことができたのだ。
フラウの言葉とレムの魔法。そのふたつが耳と心に入り込んだことでコーダは冷静さを取り戻した。
「わかったよ。姫さんに免じて今回は一本取られたってことにしておいてやる」
「感謝するぞよ。獣化したコーダどのの力を以ってわらわの陣で暴れられてはかなわぬ」
穏やかに笑うフラウと対照的に、レムは聞こえるか聞こえないかの音量で毒を吐いた。
「……これだから北の蛮族は」
試験の結果がどうあれフラウは融と玲奈の兄妹を受け入れることを内心では決めていた。
そういう意味でこの試験は無意味であったが、フラウは収穫を感じている。
一つは獣化したコーダの本気を垣間見ることができたこと。
圧倒的な殺気と力の気配を感じた。レムが近くにいたからよかったものの、もし戦場で敵に回したらと考えると恐怖そのものだ。
レムの鎮静魔法「安らぎの波」は対象によって効果を発揮しにくいことがある。
コーダ相手にはてきめんに効いたことが分かったのも収穫であった。
そしてもう一つ。
「のう、わらわにはこっそり教えてくれぬか。なにか相手の力を抜く毒でも使ったのじゃろう?」
融の細腕でコーダの体を地につかせることなどできるわけはない。
なんらかの魔法が発動された力の気配もなかった。
そう思ったがゆえのフラウの推察である。
フラウに耳打ちされた融は無表情で首を横に振る。
「いや、なにも道具は使っていない。素手だ」
「まさかそんなことは……本当であろうな?」
「ああ。毎日毎日、繰り返して何年も練習したからね」
それでも「破っ」は出ないが。
「ふむ……人間族にはわらわたちの知らぬ術の体系があるのじゃろうな」
こうした経緯で融と玲奈はフラウの陣営に庇護されることとなり、とりわけ融はフラウから個人的な興味をわずかばかり持たれることになった。
その後、フラウとコーダがなにごとか話し合う時間が続き、玲奈は繕い物や料理の段取りを、融は力仕事や狩りの手伝いを教わって夕方まで過ごした。
「じゃあ俺は帰るぜ。頼まれた荷物や手勢は何とか用意できるだろう」
「うむ、感謝する。コーダどのも息災でな」
二人はなんらかの商品の売り買い、そして人員の補充調整を話し合っており、その商談は滞りなくまとまったようだ。
「姫さんこそ死ぬんじゃねえぜ……」
「国を再興するまでは死なぬよ」
去り際、コーダは融を一瞥した。
両者の視線に殺気や憎しみはない。
二人の様子を見ていた玲奈は、コーダと融の間にこれからもなんらかの因縁が生まれるであろうことをぼんやりと予感した。
自分用メモ。融くんは出て来るたびに一回はボケておくキャラにした方がイイかもしれない。