ザハ=ドラク編 復讐 02
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眠りの中にある融に、何者かが声をかける。
「メール出しておきましたので、あとで確認してくださいね」
軽い口調の男の声だった。
融が目を覚ますと、そこは森の中だった。
時刻は朝だろうか。爽やかに明るいが太陽はそれほど高くない。
傍らには玲奈が倒れている。
「玲奈ちゃん、大丈夫かい、玲奈ちゃん」
軽くぺちぺちと頬を叩き、玲奈の様子を確認する融。
「う、ん……ふにゃ」
どうやら今は眠っているだけらしい。
見たところ外傷もなく、顔色が悪いわけでもない。
融は長い草をまとめて大量にむしり、玲奈のために簡易枕を作って楽な姿勢で寝かせた。
二人は冬服を着込んだまま、未知の森に迷い込んでいる。
寒いわけではないが森の朝は清澄な空気に満ちていて涼しげだ。
体が冷えることを回避するために、上着は脱がないでおくことにした。
「一体どこだここは……俺たちはどうなったんだ……」
アスファルトの道路も、電線も看板も視界には入らない。
スマートフォンの電波を確認しても圏外で、どう見ても周囲は朝なのに深夜1時を表示していた。
「時差がある……外国か? なにもかもわからなさすぎるな……」
スマートフォンが壊れている可能性も考えつつ、まずは玲奈が目を覚ましてからこれからのこと、今の状況を話し合おうと融は思った。
夢の中でメールがどうのと言われたことを思い出す。
電波が届いている間に送信されたのか、未読メールが1件あった。
差出人は「grey@」で始まる、見たことのないアカウント。
>言葉の方は不自由ないように私が細工しておきましたので、ご心配なく
そんな内容であった。
「意味が分からん」
融はひとまず謎のメールのことを考えないようにした。
義妹が起きるまでの間、融は「破っ」の修行を繰り返して過ごす。
腰だめに両手を構え、精神を集中。
体の中に気の力が巡るイメージを持つ。
それを一気に解放するために、両手を前に、突き出す。
その動作を黙々と、何十回何百回と。
「……なあ、あいつは何者で、何をやっているんだと思う?」
森に侵入したのが何者であるか、確認に来たコーダ。
一人の男が意味の分からぬ動作を繰り返している様子を樹の陰から見て、連れの若いダークエルフ兵に質問した。
「見たところエルフでもダークエルフでも、もちろんゴブリン族でもないようですが……人間族か、獣人でしょうか?」
「アイツの体からあんまり獣の匂いがしねえんだよな……」
コーダたちがいる位置は風下である。
可能な限り目を凝らし嗅覚を研ぎ澄ませ、コーダは謎の挙動を繰り返している男の正体を探る。
「なんだかわけのわかんねえ服を着てやがるし、そもそも人間族がこんなところにいるはずがねえやな」
ゲ・グィン大陸にはいくつもの知性ある種族が各々の国や社会を築いて暮らしている。
そのうち、人間族の領域は西端の海岸線であった。神聖エルフ帝国の領域を超えて、さらに西である。
いっぽう、今彼らがいるのは大陸中東部の山間である。
大きな都市につながる通商の道があるわけでもない、こんな辺鄙な山の中にわざわざ足を運ぶ人間族がいるとは考えにくかった。
「傍らにもう一人いますね。女でしょうか」
「はぁ、駆け落ちとかじゃねえだろうな。ともかく武器は持ってねえみてえだし、とりあえずふん捕まえちまおうか。抵抗されるようだったら女を人質にとりゃいい。厄介なら殺しちまってもこの際仕方ねえだろう」
コーダの提案にダークエルフの若者は渋い顔をした。
「姫はなるべく復讐に関係のないものを殺さないようにとおっしゃられています。どこのどんな種族、勢力とつながっているかはっきりしない以上敵を増やすのは得策ではありませんから。極力生かして姫のもとへ連れて行きたい。ご理解いただけますか」
「へえ、あの姫さまはそう考えるのか。まあわかったよ。努力してみっか」
野山で獣に忍び寄るように、コーダたちは足音と気配を殺して謎の二人に近付く。
侵入者の視界からは死角になる位置に移動し、徐々に接近を試みた。
そのはずだが。
「誰かいるのか?」
黙々と「破っ」の練習を繰り返していた融は、何者かが接近する気配を感じとって後ろを振り向いた。
「ッ!?」
そのことに驚いて若いダークエルフ兵が一人、物音を立てて後ずさる。
「あちゃあ、まあしゃあねえな。こういうこともある」
コーダは手に持った戦斧を臨戦態勢に構え、融の前に姿を現した。
伴なっているダークエルフやゴブリンたちも武器を手に融を取り囲む。
「黒人と……木こりさんかな? ここはアメリカなのか?」
ダークエルフの顔立ちはどう見てもアフロ・アメリカンのそれとは大いに異なるが、肌の色から融はそう早合点した。
背が低く鼻の大きなゴブリン族は、融の目から見るとなに人かわからない。
「ないすとぅーみーとぅー。はうあーゆー」
英語は得意でない融だったが、ここがアメリカで目の前の彼らがアメリカ人だとひとまず判断し、通り一遍の挨拶を試みる。
「なんだかとぼけたヤローだな。ご機嫌なんざよくも悪くもねえっつうの」
そんな融に、コーダはすっかり毒気を抜かれてしまった。
相手は体も大きくない優男。武器も持たず、警戒心もないようだ。
かといって無害な相手だと結論を出すのは早い。そう気を引き締めた。
「なんだ、日本語通じるのか。じゃあここは日本なのか……」
斧を持った大男から返ってきた言葉が日本語だったので、融はひとまず安心した。
融の耳に日本語に聞こえた、意味が通じたという話であり、実際には両者の口にする言語は異なっている。
先ほどのメールについて深く考えていない融は、そのことに気付かない。
「おい兄ちゃん、こんなところで一体何してんだ。そこで寝てる姉ちゃんはお前の連れか? 見たところ、二人とも人間みてえだがよ」
一人でぶつぶつ言って要領を得ない融に対し、しびれを切らしたコーダが直接質問を投げた。
「ああ、すまない。俺は原口というものだ。下の名前は融。そこにいるのは妹の玲奈。もう一人、家に帰って来てない妹を探している。ところでここはどこなんだ?」
「自分がいるところもわからねえような迷子かよ……」
どうしたものかと、コーダは周りのダークエルフやゴブリンに視線を送る。
「旅人や迷子を装った敵の手の者かも……」
「武器も持たずたった二人でか?」
「腕のいい殺し屋なら人数は関係ないぞ」
口々に出る意見はまとまらない。
男たちがざわついている周囲の気配もあり、眠っていた玲奈が目を覚ました。
「玲奈、大丈夫か。気分は悪くないか?」
「融お兄ちゃん……う、うん。大丈夫。ここは……?」
辺りを見回し、自分が褐色肌の耳の長い男たちや、鼻の大きい子鬼のような者たちに取り囲まれているのを見て、再び気を失いそうになる玲奈。
まるで漫画やアニメ、ハリウッド映画に出てくる異世界の住人そのものではないかと。
しかしなんとか正気を保ったのは、玲奈の胸の中に一つの大きな温かみがあったからだった。
クリスマスイブの日から今まで失われていた、玲奈にだけが感じることのできるぬくもり。
「茜ちゃん……茜ちゃんが、どこかにいる……?」
玲奈だけが理由もなく実感できる、茜との絆がしっかりそこに感じられた。
「玲奈ちゃん? 茜がどうしたって?」
「と、融お兄ちゃん! ここは、茜ちゃんのいる『世界』だよ! 茜ちゃんはこの世界のどこかにいるよ! 私分かる!」
一つの大きな希望を胸に確信した玲奈は、嬉しさのあまり泣いて融に抱きついた。
茜のいる世界、この世界という意味が分からない融は混乱したまま義妹の背中を優しく抱きとめるしかできなかった。
「なんだなんだおい、今度は乳繰り合い始めたぞ。こいつら兄妹って言ってなかったか?」
「人間族にはそういう文化や風習があるのでしょうか……」
呆れて融と玲奈の様子を見守るコーダたち。
ひとまず彼らは、迷子の旅人ということで融と玲奈の身柄を確保してフラウの判断を仰ぐことにした。
囲まれて連行される中、融よりも玲奈の方が状況を理解し、覚悟を決めていた。
自分たちは異世界に来てしまったのだと。
そしてこの世界に茜がいる。
なんとしても再開して、家に帰る方法を探すのだ。
「俺たちが住んでる県じゃないのか……? 帰るのにSuica使えるかな……」
融はまだ基本的な状況さえつかめていないようだった。
ある程度情報を入手したらそれを整理して、自分が融にしっかり伝えなおさなければいけないと玲奈は思った。
「茜ちゃん。すぐ会いに行くからね」
自分に言い聞かせるように、小さい声だが力強く玲奈は言った。