黒竜王国編 侵攻 11
アクセスありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。
「逃げ道のない丘の上に陣取るとは、敵将はここで死ぬつもりか」
フラウたちと対峙するエルフ帝国の軍勢。
その前線で指揮を執るエルフ帝国の将官は嘲るように言った。
おそらくは、優れた弓兵を多数抱えるエルフ帝国に対し、高所に位置することでその弓矢の力を減衰させる狙いだろう。
彼は考えた。丘の上に陣取っている、自称ザハ=ドラクの王女たちは時間稼ぎの囮に過ぎないと。
丘の上で粘って帝国軍を釘づけにしている間、砦の守備兵を増やすのが目的なのではないか。
逆に考えれば、ここで時間をかけずに砦まで進軍すれば黒竜王国の少ない兵を相手に、楽に砦を奪還できるだろう。
「丘の上にいる敵勢はせいぜい千足らず。3千の兵で囲んで殲滅せよ。敵将は可能な限り生捕るのだ。残りの7千は囮に構わうことなく、砦に急行だ」
ここで1万のエルフ兵たちは左右に分かれる。
左は3千の兵でフラウたちを撃滅するために、右は7千の兵で砦を奪還するために。
「この戦の功績をフレットル殿下に捧げれば、私の地位も安泰だろう」
矢傷を受けて涼東州にとどまっているフレットルの代わりに砦を奪還するための軍を率いているエルフの将官。
彼は自分たちが進んでいる地面の水位が異常なまでに低くなっていることを気にも留めなかった。
本来、ここはエルフの腰ほどの高さまで水が流れる河川なのだが。
「ひょろっちぃ”エルフ”ごときが俺らとヤッて勝てっかよぉぉ!?」
「ダークエルフは生け捕りにしろ! ザハ=ドラクの旧都で見せしめに吊るしてやるんだ!」
飛び交う怒号と舞い散る血しぶき。
斃れゆくエルフと、ダークエルフ、龍族獣人の兵。
陣取った丘の三方を囲まれる形で、フラウ率いる黒竜王国軍は奮闘していた。
「そうそう簡単には中らぬものじゃな!」
フラウ自らも弓を取って、丘を登ろうとするエルフ兵に矢を放つ。
この丘は本来、川の中央に浮かぶように存在する中洲の一つである。
敵兵を迎え撃つことに適した地形とは言い難い。
ダークエルフの王女と名乗る敵将を捕えれば、さぞ大きな褒賞があるだろうと攻め寄せるエルフ兵たちは目の色を変えていた。
「姫さま、危険です! 自分の後ろに!」
フラウの側に控えるダークエルフの戦士チェダが叫ぶ。
「黒竜のつわものたちが勇ましく敵を押しとどめてくれているのじゃ! どうしてわらわだけこそこそ後ろに隠れることができようか!」
フラウの言うとおり、龍族獣人たちの戦いぶりはすさまじいものがあった。
寄せてくる敵兵を丘に侵入させないように、矢も剣も恐れぬと言った有様で敵に相対している。
完全に囲まれている。逃げ場はない。
遠巻きに、さらに多くの大軍が進むのが見える。しかしこの丘を攻めるわけではなく、砦に先行するつもりだろう。
「おおよそ1万というところか。どれだけ削れるかのう」
「エルフの”軍師”さんよぉ! 本当にうまく行くんだろうな!?」
近くにいた龍獣人の兵に大声で問われたフラウは、微笑を交えて返した。
「うまく行かねば死ぬだけじゃ。あの世でわらわを責めるがよい」
フラウは遠方を見据える。
事前に一度でも「試し」を行えればと悔やむ気持ちはあったが、もう戦は始まってしまった。
「来た……」
フラウは呟いた。
待っていたものが、予定通りに訪れたことを確信した。
一部のエルフ兵が周囲の異変に気付く。
「な、なんの音だ?」
遠くから、ゴォォという鈍い音が響く。
しかし少数の敵を多数で囲み、勝った気になっている多くのエルフ兵は自分たちに迫りくる危機に気付かない。
「黒竜の兵が丘の頂上に登って行きます!」
「逃げ場なんてお前たちにはないぞ!! 大人しく首を出せ!」
包囲を狭めるようにじりじりとエルフ兵が丘に登ってくる。
その中の誰かが叫んだ。
「み、水――――」
濁流が押し寄せ、丘の中腹より下にいたエルフ兵が叫び声を上げる間もなく流された。
膨大な量の川の水は、さらに砦へ先行するつもりのエルフ兵にも襲い掛かり、その半数以上を呑み込んだ。
今まで平地でしかなかった丘のふもとが、瞬く間に「川」としての本来の姿を取り戻したのだ。
いや、上流でせき止められていた水が一気に解放された分、通常時より流れも速く水嵩も高かった。
エルフが持ついかな魔法の力も、暴力的に押し寄せる瀑布の前には無力であった。
「丘に残った者を殲滅するのじゃ! 目につくエルフは手当たり次第に殺せ! 生け捕る必要はないぞ!!」
フラウの一声で丘の頂上に逃げるふりをしていた龍獣人たちが一転し、雄たけびをあげて敵に襲い掛かる。
丘の中腹以上にまで登っていた少数のエルフ兵は瞬く間に龍獣人の兵に首を刎ねられ、頭をかち割られ、胴を袈裟切りにされ、喉を突かれ、川に落とされていった。
丘の下を進んでいた兵の多くは水に飲みこまれたが、命からがら岸に這い上がる者もいた。
しかしフラウたちが南の砦付近から呼び寄せた黒竜王国の別動隊が、武器を失い濡れ鼠になった哀れなエルフ兵たちにとどめを刺すために襲い掛かる。
フラウが前もって砦近くのドワーフの村を訪れたのは、川を上流でせき止めてこの戦場を干上がらせるためだった。
「エルフ帝国と黒竜王国が戦を起こしているせいでいろいろな道が通れなくなって困っている。十分な謝礼を払うので川を上流でせき止めて、本来歩いて渡れない箇所を歩けるようにしてほしい」
フラウは部下にいる猫獣人を商人に変装させて、近隣のドワーフの村とそう交渉させた。
最初は渋っていたドワーフたちだったが、その場支払いで現金を渡されたこともあり自分たちが川の水を調節するために使っていた水門を使って、河川の一時的な堰き止めに応じた。
そして戦の始まりに合わせて、フラウの部下がその堰を破壊したのだ。
1日かけて溜まった水が一気に流れ出た結果が、フラウの眼前に広がっている。
「……く、くくく、ふっふっふ、はーーーーっはっはっはっは!!!!」
水に流され、あるいは必死の思いで川岸に這い上りながらも殺されていくエルフ兵の様子を見て、フラウは狂ったように笑った。
「父上! 母上! 聴いておられますか!? ここに響き渡る奴らの泣き叫ぶ声が、フラウが天上のお二人へ捧げる鎮魂歌でございますぞ!」
そして部下に命じ魔法を行使させる。
あたり一帯、目の届く範囲全てに響くのではないかという声でフラウは高らかに勝利宣言を放った。
「生き残った帝国兵は聞け! この勝利はザハ=ドラク連合王国復興の嚆矢である!! その道を阻む者は今宵と同じように、絶望の中で死をくれてやるぞ!」
声の限り叫びながらフラウは涙を流していた。
それは勝利の喜びに打ち震えた故の涙か、味方とさらに多くの敵の命が一夜にして消えて行ったことへの涙か。自分でもわからない。
「重ねて告げる!! わらわの名はフラウ=ザハ!! ザハ=ドラク連合王国第一王女にして、おぬしらに死をもたらすものじゃ!!」
帝国のエルフ兵が進軍するのを避けるように移動していた茜とドガも、どこからともなく響く女の声を聴いた。
そして二人は見ていた。水量が減って浅くなった河川が、途端に怒涛の勢いで水を再び流す様子を。
「ねえドガ。こんなに簡単に水を堰き止めたり解放したりって、できるものなのかしら?」
「村によって違うけど、水門の開け閉めで農地や鍛冶に使う水の調整を細かくやってることは多いな。鍛冶に使う水は畑に使えないだろ? その切り替えが必要だからさ」
製鉄に使った水は鉄分を多く含みすぎるので、農業用水に転用することはできない。その不都合を避けるためにドワーフの村々では水路の管理が徹底されている。
水門を上手く使えば大量に堰き止めたり一気に解放したりということ自体は可能だというドガの説明だった。
水門と言っても板や石材、砂嚢などを使って水の出し入れを行う簡単なつくりのものではあるが、手慣れたドワーフたちの技術を駆使すればその組み合わせ運用で実に細かい調整ができる、とも。
「そう……参ったわね」
茜は気分が重くなった。
解放された河川。それに合わせて山の向こうから響いて来た、フラウと名乗る女の声。
三国志や項羽と劉邦などの古代軍略史を愛好する茜はすぐに察した。フラウという女は水計で相手の大軍を撃滅したのだ。
しかもこの勝ち方は、相手の城を水浸しにして井戸や兵糧を使い物にならなくするといったタイプではない。水の流れで純粋に敵を溺死させるタイプのものだ。
水計は多数の軍勢を相手にする場合に使う手段である。要するにおびただしい数のエルフ兵が死んだということを物語っている。
秦の始皇帝が死んだ後に漢帝国を樹立した高祖、劉邦。
その下で働いた韓信という将軍の故事を茜は思い出していた。
茜は移動する最中、遠巻きにエルフ兵の隊列を見た。千や二千ではきかない数だった。五千以上の兵がいたのではないか。
いったいそのうちの何人がこの一夜の戦闘で死んだのか。
「何がまずいんだよアカネ」
不安げな茜を心配するようにドガが尋ねる。
「……エルフの兵がたくさん死んだわ。問題はその計略に、ドワーフが加担しちゃったってことよ。まあ詳しい話は次の村に行って聞いてみましょ」
水路の調整にドワーフがどのように関与したか、茜にはわからない。
しかしドガの説明を聞く限りでは、よそ者であるフラウと名乗る女や黒竜王国の兵士たちのみで簡単に行える計略でないのは一目瞭然だった。
「そそそんな馬鹿な。さっきの声、ザハ=ドラクの生き残った王女だろ? そんな相手にドワーフの村が協力するわけねえじゃねえか。建前上は俺たちドワーフ全員、エルフ帝国の一員だぜ?」
「だから、そのバカバカしい話を実現しちゃうくらい大したものってことなんでしょうね。その王女さまは」
見ず知らずのエルフ兵が何人死のうが茜にはどうでもいいことだった。
しかしその死んだエルフ兵の中に、せめてヨシュアの友人知人がいなければいいと茜は思った。
「勝利を重ねた韓信が最終的にどんな死に方をしたか、さすがにこの世界の人は知らないでしょうね……」
高らかに勝利宣言をしたフラウという女の未来に、きっと明るくないものが待ち受けていることを茜は予感した。




