黒竜王国編 侵攻 05
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「この宿場から南に行けば昔のザハ=ドラク、今は新地って呼ばれてる区域だ。北に行けばドワーフ自治区だな」
コーダに連れられた融と玲奈は、休憩のために駅舎のある宿場に立ち寄っていた。
町や村というほど大きなところではない。馬と旅人が休むための最低限の設備があるだけの、さびれた宿場だ。
帝国とザハ=ドラクがまだ戦争をしていなかった時代はもっとにぎわって露店もたくさん出ていた場所だが、今はザハ=ドラク全体の物流が制限されているのでこの宿場を利用する商人も少ない。
ここにもエルフの兵士が検問のような格好で、通行していく者たちを軽く調べていた。
この宿場で一泊した後、コーダたちはドワーフ自治区へ向かう進路を取った。
「ダークエルフやゴブリンを見かけることがあったら、最寄りの帝国兵詰所まで連絡願いたい。褒賞が出る」
能面のように表情の動かないエルフ兵が告げる。
「ほう、金がもらえるのかい。そいつはいいな。この辺に隠れてるのか?」
「わからん。しかしドワーフ相手に商売して小銭を稼いでいるよりは、多額の褒賞が得られるぞ。有効な情報を届けたり、見つけて捕まえた場合に限るがな」
「一体なにをやらかしたんだい、その連中は」
「……食うに困って夜盗のようなことをやっているつまらない連中だ」
微妙に歯切れの悪い物言いであった。エルフ兵としては詳しいことを語りたくない理由があるようだ。
「おお、物騒だなあ。せいぜい気を付けて移動するぜ」
検問に立つエルフ兵相手に軽く雑談して、コーダたちは特に咎められることなく宿場を後にした。
一行がしばらく進んでからのことである。
「匂うなあ。血の匂いだ」
ここを越えればドワーフ自治区に入るという山道で、コーダは不穏な気配を感じた。しかし歩みは止めずに、慎重に荷馬車を引きながら進み続ける。
獣人であるコーダは普段の人間状態でも耳や鼻が人間より鋭い。コーダの部下である同行の者もそれに気付き、皆が警戒を強める。
相手はどこからか自分を見ている、それはわかるのに、自分は相手の居場所がわからない。
これは本当に嫌な感覚だとコーダは思う。
フラウと一緒にいたダークエルフたちならコーダの顔や素性は見知っているので、隠れてないで出て来て接触を持つはずである。周囲に他の者、第三者はいないのだから。
しかしそれをしないということは、今隠れている何者かは融やコーダを知らない者たちである可能性が高い。
警戒心が強まるのも仕方のないことだった。
匂いというのは融にはわからないが、コーダたちの緊張感を察して自分の体の後ろに玲奈を隠しながら、前を歩くコーダに言った。
「視線を感じますね」
かろうじて融にもそれがわかった。
「おう。だがこのまま気付いてねえふりをして歩き続けろ」
何者かが木々の間に隠れてこちらを見ている。野山の獣だろうか。それとも別のなにかだろうか。
コーダはわざとらしく大声で話し始めた。
「そういやあ、ゴブリンやダークエルフに捜索がかかってたなあ。見つけりゃあ一攫千金だそうだぜ」
コーダの話に合わせて、部下たちもわざと大きめの声で受け答える。
「そいつあいい話ですねえ。しっかし、どんな奴らが逃げ隠れしてるんでしょうねえ、親方?」
「さあなあ、噂じゃあザハ=ドラクの王子だか姫だかが、逃げ隠れてまだ捕まってねえって話だなあ。しかし時間の問題だろうよ。今ごろ捕まってエルフ兵たちになぶられてるんじゃねえか?」
「ザハ=ドラクの王妃って言ったらものすごい別嬪で有名でしたよねえ。王女もその娘だからさぞかし……」
「おいおい、もし見つけたとしてもお前らが楽しむ分はねえぞ?」
「そりゃねえですぜ親方ぁ!?」
きっひっひ、とコーダや部下は下品に笑いながら話す。
味方であるはずのコーダたちが、フラウたちをそこまで悪しざまに言うので玲奈は驚きと恐怖を覚えた。
しかし融は冷静である。小声で玲奈に教えた。
「大丈夫だよ玲奈ちゃん。隠れてるやつを動揺させるためにわざと騒いでるだけだから」
コーダや部下の態度から、それが演技であるということは一目瞭然だ。融は他人の嘘を見破ることに敏いが、今のコーダたちはあまりにわざとらしすぎるので融でなくとも見破ることは容易と思われる。
「そ、そっか。びっくりしちゃった。おかしいなとは思った。誰か隠れてるんだね……」
「フラウさんの仲間かもしれないし、全然関係ない誰かかもしれない。ただ右側の林の中から、見られてる感じはする。なにごともなければこのままやり過ごすだけだろうけど」
玲奈は眼だけでちらりとその林の奥をうかがったが、当然何が隠れているかはわからなかった。
フラウの仲間たちは、侵入すれば危険だという帝国の領内でなにかをしているのだろうか。
フラウたちがただならぬことに、命のやり取りの渦中に身を投じていることはなんとなく玲奈にもわかる。
短い付き合いだがよくしてもらった。特に玲奈は若い女だということで、フラウやレムと同じように毎日お湯で体を洗うこともできるように皆が気を配ってくれた。
玲奈の作った料理、たいていは芋のような植物を揚げたり豆を煮たり肉を焼いたりと言った簡単なものばかりだったが、ダークエルフもゴブリンも笑顔で美味い美味いと食べてくれた。
衣服の穴を修繕した程度のことで、助かった、良かったと喜んでくれた。
革の道具袋を腰ベルトに通せるように細工しただけで、名人だ職人だと感嘆してくれた。
『フラウさん、レムさん。私には何が起こっているのかよくわからないけど、どうか無事でいてください』
玲奈が心から祈ったその時、音にならない声が聞こえた。
泣くような、嘆くような、呻くような。そんな切ない声だった。
『姫さま……お許しください……フレットルを討ち果たすこと、叶いませんでした……』
幻聴か錯覚か。
しかしそれは見知らぬ男の声となって、直接玲奈の脳内に響いた。
実は玲奈は以前にも一度、今のようなはっきりとした幻聴を知覚したことがある。
何日も前のことだ。
突然頭の中に、泣き叫ぶ茜の声を玲奈は聞いた。
痛い痛いと泣きながら、玲奈や融の名を悲痛に呼ぶ茜の声を。
あまりにもはっきりと聞こえるから白昼夢かなにかかと玲奈は自分で怖くなった。
それはドワーフ自治区のベル村で騒ぎがあり、茜が転倒して手の骨を折った時のことである。
茜の叫びは遠く離れた玲奈のもとに届いていた。
その「力」を玲奈はまだはっきりと自覚していないが、それと似たようなことが今まさに起こっているのだ。
フラウの身を案じその無事を心から祈った玲奈は、同じようにフラウを心から慕っている何者かの声を聞いた。
さらに声は続く。
『姫さまを卑しく侮辱する獣人どもを成敗できぬ自分をお許しください……もう、体が動かないのです……しかし、このまま死ぬることに悔いはありません……故国と姫さまのために戦い、自分は勇敢に死んだのだと天上の楽園で父祖に自慢できます……』
玲奈はこの時はっきりと確信した。これは幻聴ではないと。
今まさにコーダたちの話を聞いていた、森に隠れてこちらを見ている何者かの心の声を聞いたのだ。
そしてその人物はフラウの仲間で、瀕死の状態にあるのだ。
玲奈は叫んだ。
「誰!? どこにいるの!? 返事をして!!」
細かいことを考える前に声を出した。ことは一刻を争うのだ。
もたもたしていると、声の主は死ぬのだ。
「死んじゃだめ! どこにいるの!? 声を出して!! 声が出せないなら何か動かして音を出して!」
玲奈は何者かが隠れているであろう、進行方向から見て右の林に向かって大声で呼びかけた。
「れ、玲奈ちゃん? どうしたの?」
「おいおい、勘弁してくれ!」
融は驚き、コーダは玲奈の口をとっさにふさいだ。
コーダはエルフ帝国領内にいる間、あくまで「獣人の商人を率いる頭目」という立場を堅持している。
融と玲奈はたまたま拾ってこき使っている奴隷、そういう筋書きで今からベル村に向かうのだ。
おかしなトラブルを抱え込むわけにはいかない。林に隠れている者が何者かわからないならそれでいい。やり過ごしてベル村に向かうだけの話なのだ。
口をふさがれて声を出せない玲奈は、心の中で強く叫んだ。
顔も名前も知らぬ、しかしフラウを心の底から慕っている何者かに向かって。
『私たちはフラウさんの仲間だから! 姿を見せて! 死なないで!!!』
ややあって、林の奥でわずかに草木の擦れる音が聞こえた。
コーダがその方向に耳を澄ます。
「あ……うぁ……ひ、め、さま……」
獣人ならではの鋭い聴覚が、か細い男の声を拾った。
コーダは驚いて玲奈の口をふさいでいた手を放す。
「い、妹ちゃんよ。お前、何をした……?」
「は、早くあの人を、助けてあげてください。フラウさんの仲間です。このままだと、死んでしまいます」
あっけにとられながらもコーダは部下に指示を出し、声の方向を捜索して血まみれのダークエルフを発見した。




