日本編 亡失 02
アクセスありがとうございます。
まだ序盤ですがこれからもよろしくお願いします。
楽しんでいただける作品に育つよう、頑張って書きつづけたいと思います。
原口茜という女の子は、いい子でもあり悪い子でもあった。
体つきは細身であり、黙っていれば花のように可憐な美少女でもある。
好奇心旺盛で誰とでもすぐに仲良くなれる社交性を持ち、その一方猪突猛進で人の話を聞かずトラブルを招くことが多々あった。
茜が中学2年生の時、以下のようなことがあった。
地元の住宅街、繁華街近辺に、不審者、変質者がうろついているという地域の情報が回った。
いわく、おかしな男に声をかけられた。
いわく、車の中に乗るように誘われた。
きみのお父さんの知り合いだ、お菓子をあげるよ、などという言葉で小学生たちに近付き危害を加えようとしている、と。
それを知った茜はその日のうちに自分の学校で幅を利かせている、不良男子グループに接触を持った。
手には木刀を持って。これは兄の融が修学旅行のお土産で買ったものだ。
2年の女子がたった一人で自分たちを成敗に来たのか、と少年たちは身構えたが、違った。
たむろしている男子を前に、茜はこう言い放ったのだ。
「例の変質者、あたしたちで捕まえてボコボコにして警察に突き出すわよ! あんたたち、喧嘩好きなんでしょ!? ここでお手柄になれば、これからの人生、超絶にモテるわよ!! 大人になっても一生自慢できるじゃない!!」
茜の強烈な目の光。そしてよく通り、人の心に響く声。
その勢いにあてられたのか、それとも「超絶にモテる」という言葉に魅力を感じたのか。
なんにしろ、茜の誘いは退屈な日々に燻っている少年たちのヒーロー願望を大いに刺激した。
いち地方の、まだ大きな被害の出ていない、些細な事件でしかない。
しかし自分たちが悪を成敗して英雄になるのだと、その場にいた少年たちは全員、瞳に熱い炎を燃やした。
もちろん中学生の集団が木刀や鉄パイプを持って住宅街をうろうろしたことにより、茜や少年たちは警察に厳重注意され、頭を冷やす羽目になった。
動機が動機なだけに補導ということにはならなかったが、警察署に来た少年たちの親、もちろん茜の父もそのときばかりは激しく叱りつけた。
「なんであんなバカな話に乗っちゃったんだろう」
「あのときの俺ら、どうかしてたよな」
「でもなんか楽しかったよ」
「あのときの原口、可愛いくせに気合入りまくりで怖かったよなあ……」
騒動に参加した少年たちは笑いながら口々に語る。
誰一人として、茜に対する恨みを口にする者はいなかった。
わがままで無邪気で天衣無縫なお姫様。
原口家の父も、兄である融も昔からそんな茜に苦笑し、トラブルの後始末に苦労しながら、しかし明るく活発で行動力のある茜を誇りに思っていた。
茜はエネルギーが有り余っているタイプの女の子である。
しかしそのエネルギーは決して弱者を悲しませる方向に使われない。
その美点を父も兄も愛した。自慢の娘であり妹だと肯定した。
だから口うるさく「女の子らしくしろ」「おしとやかにしろ」などということは言わなかったのだ。
その茜がクリスマスイブの夜、いなくなった。家に帰っていないのだ。
次の日も、その次の日も茜は家に戻らなかった。
原口家には以前から茜を可愛がっていた近隣住民や商店街の面々がいたわりの言葉をかけに訪れ、そして有益かどうかわからない情報を置いて行った。
もちろん警察関係者も原口家に来て諸々の報告や相談をしていく。
冬休みに入り年末を前にして人の出入りが激しくなった原口家だが、茜がいないというだけでまるで光が消えたような、暗い空気が漂っていた。
玲奈はどこにも行かず、リビングにいて目に涙を溜め、震えている。
しかし重大な連絡が来るかもしれないと、自分のスマートフォンや家の固定電話を必死で睨みつけ、茜が行きそうな箇所を震える手でメモ用紙に書き連ねていた。
玲奈の実母、融や茜にとっては義母に当たる女性も仕事を休み、原口家を訪れる人々に対応している。
しかし玲奈は、感覚的にわかっていた。
なんの根拠もなく、しかし絶望的なまでに理解し、自覚し、認識していた。
茜が「この世界のどこにもいない」ということを。
なぜわかるのか、なぜわかってしまうのか、玲奈自身にもそれがわからない。
茜がいない、いなくなってしまったという確信があるだけだ。
もちろんそんな暗く悲しい確信を、玲奈は必死に自分の中から追い出そうとする。
溢れ出る涙と体の震えはそれが原因だった。
こんな時になって玲奈は茜との出会いを思い出す。
決して社交的でもなく、やもすると引っ込み思案な玲奈。
だが高校に入学して先に声をかけ、友人としての第一歩を踏み出したのは玲奈の方だった。
同じクラスになった女の子、原口茜を一目見たとき、玲奈は何のためらいもなく、普段の自分ではありえないような気軽さで、なにか見えない力に促されるように茜に声をかけていたのだ。
入学して間もない5月の休み時間中、腕を組んで足を組んで退屈そうにガタガタと椅子を前後に傾けている茜に玲奈は突拍子もないことを話しかけた。
「原口さん、漫画とかよく読む?」
自分に話しかけてきた玲奈を茜はちらりと見て、そしてニカっと笑ってこう答えた。
「ええ、読むわ。少年漫画ばっかりだけど。三国志ネタのやつとかが好きね」
「あ、私も三国志は読んだことある」
「そ。きっと横山版かしら。それより、原口さん、なんて仰々しく呼ばないでよ。茜でいいわ」
仲良くなった最初のきっかけは、それだけである。
しかしたったこれだけのことから、二人は実の姉妹かそれ以上に強い絆で結ばれ、不思議な運命の力で本当の家族になった。
「茜ちゃん……会いたいよう……融お兄ちゃん、クリスマスプレゼントに新しい三国志のゲーム買ってくれたんだよ……早く大学受験終わらせていっぱい遊ぼうよう……」
今になってなぜ出会った当時のことを思い出したのか、玲奈にはわからない。
どうしてこんなことになったのか、玲奈には何一つわからなかった。
兄の融はと言えば、この期に及んでも毎朝早朝に起床して「破っ」のトレーニングを欠かさない。
しかしこれは彼なりの願掛けのようなものである。決してふざけているわけでも、茜を軽んじているわけでもない。
いつも欠かさずやっていることを続けていれば、いつも通りの日常、茜が原口家にいる日常が取り戻せるかもしれないという、融なりの哲学や信仰じみた思い込みがあるゆえの行動である。
その証拠に融はアルバイトを一時的に休み、自分なりの心当たりで茜の捜索、情報収集に走った。
もちろん警察が必死で調べてくれていることの重複にしかなからないかもしれない。
しかし融は黙って家にいる心境ではなかったのだ。
「なあきみたち。うちの妹のこと何か知らないか?」
商店街をぶらついている、中学時代の茜の同級生を見かけて声をかける。
「あ、原口の兄ちゃんだ」
「ウイーッス先輩」
同じ中学の出身ということもあり、また妹である茜が地元ではちょっとした名物、有名人でもあるため、兄の融に関しても見知っている者が多い。
「あいつ何かやったんすか?」
「またかよ。あいつ大学受けるんだろ。高3の最後になってもまだ落ち着かねえのか」
「いや、なんか家に帰ってないらしいぜ。警察になんか聞かれた奴がいるって言ってた」
口々に様々な情報と世間話が飛び交う。
茜が失踪したことを知っている者も、知らない者もいた。
「最近あんま話してないから、よくわかんないっスねー」
「お兄さんLINEやってます?」
「なんかわかったらすぐ連絡するんで教えてくださいよ」
融の近辺に少年たち、少女たちが次第に集まって来て、茜を最近見かけたか、特に24日に見なかったか、等の情報を交換し合う。
融は改めて茜の交友の広さと人望に舌を巻き、そして少年少女たちに深く感謝して連絡先を交換し合った。
「……あ、あー、24日のことじゃないんだけど、ちょっと気になること思い出した」
そう言ったのは、中学時代に茜に告白して玉砕した経験を持つ少年だった。
「どんなこと?」
もちろん融はこの少年にそんな過去の傷があることは知らない。
照れ臭そうに、気まずそうにしているのは少年の側だけだった。
「1週間くらい前かなあ、原口が商店街のゲーセン前で、別の女とすごい剣幕で言い争いしてるの見たんですよ。相手、確かR女子高の制服だったと思うけど」
その情報を受け、別の少年が話題に入ってきた。
「あ、それ俺のバイトしてるゲーセンだわ。バイト先の先輩が話してた。クレーンのぬいぐるみ取り合って女子高生が喧嘩したって言ってた。なんでも、先にスゲーたくさんコインつぎ込んでたコが両替に行ってる隙に、もう一人のコがワンコインでトドメ刺して落としたんだって」
融は眩暈がした。
先にコインをつぎ込んだのが茜か、後にワンコインでぬいぐるみをゲットしたのが茜かはわからない。
しかしそんなくだらないことで高校3年生女子が喧嘩をしないでほしいと。
自分が受験前だという自覚が茜にはあるのだろうか。
それはともかく、話の中に融は気になる情報を見出した。
「R女子高の女の子……」
茜や玲奈が通っている公立高校と、2駅しか離れていない私立のR女子高。
そこには融や茜の知り合いが通っているのだ。
茜と犬猿の仲にして、融や茜とは母親だけを同じくする、俗に言う種違いの妹。
「喧嘩の相手はひょっとして遥か……?」
融や茜の生母が離婚して彼らの元を離れ、別の家庭を築いてから産んだ女の子、北野遥のことを融は思い出した。
茜の失踪に遥が何か関係ある、とはさすがに融も思っていない。
しかし最近の茜の様子、家族が知らない茜の情報を遥がひょっとしたら知っているかもしれない。
ダメでもともと、融は遥に連絡を取ってみようと思った。