日本編 亡失 01
アクセスありがとうございます。
以前にラーメンとドワーフがどうのというものを書いていた輩です。
新作は傾向違いますけど頑張って書きますのでよろしく。
不定期更新。
12月24日。
時刻は5時半。まだ外も暗い。
他の家族が起きるより早い時間に原口家長男、原口融は目を覚ました。
日課のトレーニングを始めるための早起きである。
精神を集中させ腰を落とし、両の手を右の腰あたりに構える。
「……っ」
集中した力を解き放つように、腕を伸ばし両手を前に突き出す。
家族は寝ている。そのため声を出さないように。音をたてないように。
融はおよそ1時間、他の家族が起きてくる6時半まで使って「か○はめ波」か「○動拳」かと思うような動きを黙々と繰り返した。
無言で、無音で。
しかし見る者が見れば、彼の表情に並々ならぬ意志と気合を確認することができるだろう。
一連の動き、トレーニング。
これは融自身が「破っ」と呼んでいる、エネルギーの塊を手のひらから撃ち出すための修業である。
彼は6歳の頃にテレビやゲーム、漫画の影響からこの修行を思いついて以来、21歳になった今まで1日も休まずに続けている。
夏休みだろうが正月だろうが、学校の修学旅行や宿泊研修のある日でも。
修行に割く時間は1時間だったり30分だったり、5分だったりすることもある。
それでも彼は、愚直に毎日この修行を続けた。
もちろん、その成果が表れて彼の手のひらから何かが出た、ということは今まで一度もなかった。
そのことを融は悲観したこともなければ、諦めてトレーニングをやめようと思ったこともない。
世の中、上手くいかないことや叶わない夢はたくさんある。
それらを諦めることは簡単でありふれていて、いつも誰でもやっていることだ。
しかし一つくらい、これだと信じて一生続けるものがあってもいいじゃないか。
たった一度きりの人生なんだから。
融はそう考える青年だった。
すでに、破っが出るか出ないかは彼の中で大きな問題ではなくなっているのであろう。
信じて続ける自分。
そのありようこそが、原口融という人間のアイデンティティになっている。
トレーニング後のシャワーを済ませた融はリビングでパジャマ姿の妹、長女の玲奈と鉢合わせした。
「おはよう玲奈ちゃん。ひょっとしてシャワー終わるの待ってた?」
「う、ううん。今起きたばっかりだから」
険悪というわけでないにしろ、兄と妹にしては妙なよそよそしさを感じる二人。
よそよそしいのも当然で、融と玲奈は血がつながっていない。
1年前に両親の再婚で家族になったばかりなのだ。
高校3年生の妹である玲奈を融は呼び捨てにできず、ちゃん付けで呼んでしまう癖が治らない。
親の再婚が決まり家族として暮らすようになる前からの知り合いなので、その頃の呼び方が定着してしまっているのだ。
融、玲奈、そして彼らの父と母が起床して朝のシャワーを済ませ、おのおのリビングで食事をとったり、新聞やスマートフォンでニュースをチェックする。
しかしまだ一人、リビングに現れない者がいる。
「茜はまだ寝てるのか。学校に遅れるぞ」
次女の茜が起きてこないことに気付いた融は、呆れたように溜息をついた。
「私、起こしてくるね」
「あんまり甘やかさなくていいよ」
茜を起こしに席を立った玲奈に、融が苦笑いして言った。
「あたしの計算だとあと7分は寝てられたのよ……シャワーなんて5分あれば終わるんだし……」
女子力の低い発言とともに、猫背で自室から出てきた次女の茜。
こちらは融と血のつながった兄妹である。歳は玲奈と同じく高校3年生。
もともと茜と玲奈は高校の同級生で、親友同士だった。
融や茜の父と玲奈の母がお互いにシングルだったため、親同士いつの間にか仲良くなって再婚したのである。
「茜ちゃん、今日は終業式なんだから髪の毛ちょっとくらいきちっとして行こうよ」
「玲奈にお任せするわ~……むにゃむにゃ」
寝ぼけ眼の茜を面白そうに眺める玲奈。
しかし、ふとその表情に陰りが生じた。
「どしたの玲奈?」
「う、ううん、なんでもない。茜ちゃん、体調とか悪くない? 風邪とか引いてない?」
玲奈は茜の様子を見て、なにかを心配しているようだった。
「眠いのとお腹が空いてるのと、終業式なんてサボってもいいじゃん受験生なんだし~って思う以外はいたって健康よ」
「そう、ならいいけど」
玲奈はたまに、自分でも何故かはわからないがふと、なにかの拍子で些細なことが気になることがある。
たいていは気のせいだった。
気のせいでないことも過去にあったが、この時の玲奈は忘れていた。
高校3年生という年齢にしては多少子供っぽいこの二人が、原口融の妹たちである。
彼女たちの学校は今日が終業式。
受験生、しかも大詰めである玲奈と茜は冬休みが始まったからと言って遊び呆けるわけにはいかない。
しかし家庭での些細なクリスマスパーティーならいい息抜きになるだろうと、原口家では小さなクリスマスツリー、ケーキ、七面鳥、シャンメリー、両親が飲む酒、そしてプレゼントを準備していた。
妹二人が揃って学校に向かい、融もバイト先である道路舗装会社に向かう。
共働きの両親もそれぞれお互いが勤める会社に。
夕方になって玲奈が帰宅し、続いて融が家に着いた。
「あれ、茜はまだ帰ってないのか。今日は帰り一緒じゃないんだ」
クリスマスイブなんだから早く帰って来い、と思いながら融が訪ねる。
「うん。私ちょっと部活の後輩と話すことあったから、茜ちゃんは先に帰ってもらったんだけど……」
玲奈は高3なので部活は引退しているが、たまに部室に顔を出して後輩の相談を受けたり、制作物の手伝いをしていた。
ちなみに家庭科部である。
母が帰宅し、父が帰宅しても茜はまだ戻らない。
茜のスマートフォンに連絡を飛ばしても、応答はない。
手を付けられることもなく、テーブルの上の料理が冷めてゆく。
茜は夜遊びを全くしないというほど品行方正な子供ではなかった。
それでも連絡だけはちゃんと入れていたものだ。
不安に思った両親が警察に連絡をしている間、玲奈はリビングのソファの上で、自分の体を抱きしめるようにうずくまってガタガタと震えていた。
「玲奈ちゃん、寒いの? 暖房の温度上げようか?」
心配して玲奈の肩に毛布をかける融。
その融の手を玲奈がギュっっと掴んだ。
驚くほどに玲奈の手は冷たかった。顔は蒼白で、唇は紫色に近い。
目は半ば焦点が合っておらず、涙を浮かべている。
「あ、茜ちゃんが……茜ちゃんが……」
玲奈はこの状況になって、自分の体を襲う「虫の知らせ」が過去にあったことを思い出していた。
それは6年前。
玲奈の実父が交通事故で死ぬことになるその朝、玲奈は仕事に向かう実父を泣きわめいて必死で引き留めたことがある。
父は玲奈をなんとかなだめて仕事へ向かったが、通勤途中に信号無視をして突っ込んできた車に跳ねられて、命を落とした。
そのときに似たえも言われぬ不安と悪寒が、玲奈の体を襲っていた。
「やだ……やだよぉ……茜ちゃん……」
震えて泣く義妹に、融は「大丈夫だよ」のたった一言が言えなかった。