聖遺物2
昼過ぎ頃、海斗は魔法学園島のフェリー乗り場北口に到着し、周囲に視線を巡らせた。夏休みでお盆期間中だからか、学園の生徒と思われる人は少なく、また一般人も見かけて一人か二人くらいだ。
スマートフォンで画面を表示すると、メールが二百件溜まっていた。相手は桜子と紅葉の二人。チラっと見ただけでも、二人は最初に寄って欲しいとの内容だ。
海斗の予定では、先に魔法学園島にある国立図書館に行きたかったのだが、桜子や紅葉に会った方が後で面倒がなくて済むだろうと考えていた。
「さて、じゃあ先に……」
先に行くのは桜子の所かな。なんて思いながら桜子へのメールを開く。
「あの……」
早速メールを打とうとした海斗だが、見知らぬ女性に声をかけられたので、そちらに向く。
そこには短めの黒い髪をして、眼鏡をかけた先生らしき人物が立っていた。
海斗はスマートフォンをポケットに戻す。
「僕に何か用ですか?」
「……はい」
あまり自分から話しかける性格じゃないのだろう。女性は恥ずかしそうに、海斗を見つめる。
「ファスナー、あいてますよ……」
「え!?」
海斗は驚いて、すぐにズボンのファスナーを覗く。そこにはストライプ柄のトランクスが見えていた。
すぐに赤面になった海斗はズボンのチャックを閉めて苦笑いする。
「す、すいません……」
「い、いえ……。だけど気をつけてくださいね。ここでは血の気が荒い女子生徒がいますから」
その言葉に海斗は首を傾げた。
血の気が荒いとは、ヤンキースタイルの男の事を言うんじゃないだろうか。と考えてしまった。
「魔法学園島は初めてですか?」
「え、あ、はい」
「そうですか。観光みたいなものでしょうか?」
「そんな感じですね」
「なら、まずは楢滝へ行って見てください。面白いものが見れますよ」
「面白い、もの?」
女性は微笑んだ後、立ち去った。
楢滝とは、学園島における授業で行われる精神統一の為の滝。華厳の滝と比較すると、滝が落ちる威力はその倍であり、海斗のような一般人が滝修行をしようとすれば、すぐに死んでしまうだろう。
だが、観光でそこに行けとは、かなり変わった趣味だと思われたなと海斗は思った。
楢滝は学園島の北西部に位置する。滝に入るのには警備員と思われる女子生徒に、許可を貰わなければならない。
行き先に迷った海斗は、近くにあるという理由で楢滝へと足を向かわせていた。
実際に見ると、水飛沫が凄まじく、華厳の滝とは比べものにならない。
「ここが楢滝かぁ。桜子も受けたのかな……」
桜子は魔法少女として、この滝を受けたのだろうか。そう考えると、桜子も成長したなと感慨深くなった。
だが、所詮は滝。いくら眺めていようと、滝は見ていてつまらないので、どうも退屈だった。
次はどこに向かおうかなと考えた瞬間、また先ほどの女性に出くわす。
「やっぱり来たんですね」
「あ、先ほどはどうも」
女性がぺこりとお辞儀をするので、海斗は素直にお辞儀で返した。
顔を上げた女性は、滝を見つめて遠くを見るような目をする。
「いいものが見れる、と言いましたよね」
「あ、はい」
「この滝はですね、精霊がいると言われているんです」
「精霊?」
「はい、今は実証できていませんが、絶対に私はいると思ってるんです。精霊は人々に生きる力――――魔力を与えている偉大なお方ですから」
「はぁ……」
スピリチュアルに語る女性を目の辺りにし、海斗は何も言えなかった。非オカルト派の海斗は、科学を信じている為、精霊とかを信じていないのだ。
だからか、女性が話すことに頷けずにいた。
「申し遅れましたね。私、第一学区の一学年の担当教員をしております、馬原 秀歌と言います」
「あ、僕は小石川 海斗と言います」
遅れて自己紹介をすると、秀歌はニコリと笑って海斗の手を握る。
「これも何かの縁です。メールアドレスを交換しませんか?」
「メールを? でも、僕なんかのアドレスを貰っても……」
「もしかして、迷惑でしたか?」
「いえ、そんなことはないですよ!」
「では、早速交換しましょう?」
海斗は言われるがままに、秀歌とアドレス交換をした。何かの縁と言われても、答え辛いのが正直本音である。
だが、将来聖遺物を造ろうとしている海斗にとっては、いいパイプになるかもしれない。そう思って素直にアドレス交換に応じた。
「ありがとうございます。では、後日メールをさせていただきますね」
「はい。僕も待ってます」
「では、用事があるので」
そう言うと、秀歌は去って行く。
どこか、謎めいた雰囲気を持つ人だなと思いながら、滝に視線を移した。
ここは魔法学園島。
魔法少女を目指す女性だけが普段は鍛錬に励んでいる。こうした休暇でなければ、海斗も訪れるのは難しい。
これは良い人脈を気づけるかもしれない、そう思った海斗だった。
楢滝も見たし、本来の予定通り、桜子の所に行こうと思い、踵を返す海斗。
その時、女の子の叫び声が鼓膜を突いた。
「きゃぁぁぁぁああああっ!」
すぐに楢滝へと視線を向けると、警備員らしき女子生徒が水の縄に締め付けられ、上空へと持ち上げられていた。
隣にいた警備生は、歯を食いしばりながら構える。
「楢滝が暴走をした!?」
超常現象と思われる、滝の暴走。タコの足のように警備生に絡みつく水は、じっと構えていた女子生徒を持ち上げる。
海斗は混乱した。これが真の修行なのかと一瞬思った。だが、女子生徒の表情を見て、楢滝が普段からこのような行動に出るわけではないと確信する。
どうする?
海斗は自分自身に問う。
もしかしたら、この滝は何者かによって操られているのかもしれない。そう考えるならば、近くに魔法を扱う者がいる筈だ。
冷静になって考える。
通常、魔法少女には扱える属性は一つと定められているのだ。例えば、桜子は風しか扱えないし、水を操ることができる者は水しか操れない。
つまり、水属性の魔法少女が近くにいる。だが、周囲の観光客は滝の異常に目を奪われているし、女子生徒もあたふたしていた。
これは、一体誰が?
「そこの人! 危ないッ!」
海斗は思考に集中していたせいで、楢滝の針が目前に迫っていることに気がつかなかった。
まるで槍のように鋭利に尖った楢滝。
槍は速度を上げて、海斗の身体を貫こうと接近した。
瞬間、海斗の目の前で楢滝は、熱で溶けたかのように威力を失った。
「え?」
女子生徒が呟く。
海斗は逃げようとも防ごうともしていなかった。ただ、その場で立ち尽くすだけ。
自分自身にどんな力があるのか、海斗はそれを少しばかりではあるが知っていた。
どんな魔法も海斗には触れられないのだ。触れようとすれば、それはまるで蒸発するかのように消える。
「……どうする……」
楢滝は女子生徒を持ち上げ、海斗に多くの水槍を向けた。
その全てを発射するが、全て海斗の目前で溶ける。
何度も何度も槍で海斗を突き刺そうとするものの、触れる前に水は威力を失う。
「何してるの!」
海斗が考えている最中に、秀歌が戻ってきた。その瞬間、楢滝は叱られた子供のように平常運転へと戻る。
捕らわれた女子生徒は、滝壺へと落とされた。
「あ!」
女子生徒二人は、滝壺に落ちて溺れている。すぐに海斗は上半身裸になって、滝壺へと潜り、女子生徒二人を助け出した。
しばらく息を整え、警備員と思われる女子生徒二人は秀歌に手渡されたタオルで身を包んだ。二人ともかなり怖かったのだろう、肩を震わせていた。
秀歌は二人の女子生徒の無事と海斗の無事を確認し、口を開く。
「……誰か魔法を使ったの?」
その言葉に対し、一人の女子生徒が首を横に振る。
「使った形跡は見られませんでした」
赤髪のツインテールの少女が応えると、海斗も顎に手を置きながら呟く。
「……確かに魔法を発動した形跡、魔法陣が現れなかったな……」
「え?」
海斗の呟きに、もう一人の翡翠色のショートカットの女の子が首を傾げた。
「あ、あの、失礼ですが、あなたは何者なんですか? 見たところ一般人なのに、魔法陣を知っているだなんて……」
「少しだけ、知ってるだけで、別に大それた人間じゃないよ」
海斗は茶化した。
今ここで海斗が本当は何者かを教えるのには、混乱を招くような感じがして気が引ける。それに、今は考えることに集中したかった。
通常、大災厄と呼ばれる現象を呼び起こす場合、小さな現象に魔法をかけて威力や範囲を上昇させる。今回の楢滝は、それに近い。範囲や威力はどうかは知らないけれど、まるで現象に命を与えたかのようだった。
だが、そういった魔法をかける場合、必ず対象に魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣が楢滝には浮かばなかったのだ。
海斗は見ていなかっただけなのか、とも考えたが最低でも魔法陣は一分間は浮かんだままになる筈だし、それに楢滝全体が動いたということは、魔法陣の範囲も大きい筈だ。
そう考えると、魔法ではない魔法が発動したとしか思えなかった。
「でも、君達が無事で良かったです。とりあえず、後は先生に任してくれませんか?」
「は、はい」
「はい……」
秀歌は気を取り直そうと笑顔で二人に言う。その言葉に対して、二人は返事をして頷いた。
俺は楢滝を見上げ、何かがひっかかっていた。
魔法陣を見せることなく、魔法を発動。
それは人間では不可能な筈だ。
ある物を使わない限り……。
聖遺物以外は。