帰郷
1998年秋――
東京競馬場は朝から異様な雰囲気だった。
その日のメインレースは秋の天皇賞で、大胆な大逃げ馬のサイレンススズカが断トツの一番人気だった。前哨戦の毎日王冠で、後に凱旋門賞2着に入るエルコンドルパサーや、やはり後に有馬記念優勝を飾ったグラスワンダーなどの超強豪馬を、驚異的なスピードでちぎって逃げ切ったサイレンススズカを一目見ようと大勢の競馬ファンが詰め掛けていた。
その群衆に混じって僕は晴れた空の下のスタンドにいた。
「よろしく。ギターやります。ブルースが好きっす」
小柴が連れてきたそいつは人懐っこい笑顔を見せた。
「どういうこと?」
僕は新顔君がギターのチューニングをし始めた隙に小柴に小声で問い詰めた。
「テスト入団だよ。心配するなって」
ギターパートは僕のポジションだった。
僕らのバンドは主にライトミュージックに路線を敷いていて、重たい楽器編成ではない。ギターに二人もいらないはずだった。
「テスト入団ってなんだよ。聞いてないぜ」
来月には渋谷のライブハウスでの出演が決まっている。
今週は新曲を2曲、練習して合わせるはずだった。
一番演奏を合わせなければいけないこの時期に新入り?テスト入団?
僕は訳が分からなかった。
「何からやる?」
新顔君が言った。
言いながら新顔君は新曲のサビのパートを1フレーズ弾いてみせた。
聞こえない振りをする小柴を振り返り、僕はもう一度問い質した。
「テスト入団?あいつが弾いてるの、まるっきり僕のパートじゃんか」
小柴は少し気まずそうに口を歪めた。
「怒るなって。それよりさぁ、敦っちゃん、パーカッションやってみない?」
このバンドは2年前にバイト仲間だった僕と小柴が元になって結成した。曲は主に小柴が作り、小柴自身がボーカルを努めた。
2年間で10回ほどライブステージに立ったが、単独ライブは一度もなかった。
正直本気でミュージシャンを目指していた訳ではない。何かをどこかで表現できればいいと思っていた。
東京では人も夢もチャンスも挫折も溢れかえっていて、自分の足元を確かめるだけで精一杯だった。
「パーカッション?」
僕は小柴に聞き返した。
「よければだけど」
小柴が急に冷たい口調になった。
「よくなかったら?」
僕も負けずに問い返した。
小柴はキーボードをアンプに繋ぐ手を止め、
「ねぇ敦っちゃん、俺は本気でチャレンジしてみたいんだ。だけど敦っちゃんは違うだろ?俺は本気で上を目指してみたいんだよ」
と言った。小柴の目は真っすぐ僕を見据えていた。
「だったらもっと前にそう話せよ」
「……そうだな。悪かったよ。だけど結論はこういうことだよ」
いつもの気を遣う小柴はそこにはいなかった。
そうして僕はバンドを辞めた。
東京に出て来た時には僕にも野望はあった。競争に負けても次は勝てると思っていた。
ただ少し不器用なだけだと。
あれからもう8年が経つ。
バンドの練習がなくなって、アルバイトの時間以外は暇になった僕は、時々大井の夜間競馬を見に行くようになった。
馬の走る姿は力強く、美しかった。
けれど、そこにも勝ちと負けがあった。
スポーツ新聞にサイレンススズカという名が踊るようになったのは最近だ。
逃げ足で最後まで勝ち切るスタイルの馬はなかなかいない。まして重賞レースで実力馬を抑え込む驚異的なスピードに、ファンも関係者もようやく気づき騒ぎ始めていたのだ。
天皇賞のその日は足を延ばして、僕は府中に向かった。
秋晴れの暖かい日だった。
東京競馬場は昼過ぎあたりから人が溢れ始め、メインレース前のパドックでは身動きできないほど満員になっていた。
僕はサイレンススズカの単勝馬券を3千円買った。
1.2倍。
毎日王冠を制したサイレンススズカに敵はなく、わずかに出走予定だった対抗馬も故障を理由にこのレースを回避していた。騎手は天才と言われた若き武豊。マスコミの注目も、この天皇賞を圧勝した後のジャパンカップでの活躍予想に終始していた。
絶大な支持。
圧倒的な人気。
僕も含めて人々は配当よりも、サイレンススズカという馬が伝説を作るかもしれないという夢に賭けていたのだった。
やがてファンファーレが鳴った。
僕はスタンドの端の3階にいた。
異様などよめきと歓声。
熱気と様々な夢がターフに流れ込む。
2000mのコース。
次々にゲートに収まるサラブレッド。
空は高い。
ガシャン!
突然ゲートが開き、レースが始まった。
沸き起こる歓声。
その歓声が馬たちに届かぬうちに、サイレンススズカは先頭を走っていた。
このレースは本当に圧巻だった。レース中盤ですでに第2群をみるみる引き離し、さらに差を拡げようとしていた。
素人目にも10馬身以上の差がついて第3コーナーを通過しようとした時、突然サイレンススズカが失速した。
どよめくスタンド。
よろめいてコースを少し外れて、サイレンススズカは倒れ込んだ。
慌てて下馬してサイレンススズカの首を抱いた武豊騎手。
誰もが異変に気づき、あっと叫んだ。
サイレンススズカと武豊騎手の横を馬群が通り過ぎる。
跳ね上がる芝が遠目にもスローモーションで彼ら二人の体に落ちていくのが見えた。
一瞬世界中の音が消滅したように思えた。
そして唸るようなどよめきとざわめき。悲鳴。空に投げられた馬券。
誰もゴール板を過ぎる一着馬を見ていなかった。
馬場の中央に設置された巨大なオーロラビジョンに、苦しげに立ち上がろうとするサイレンススズカとそれをなだめようとする武豊騎手の姿が何度も写し出された。
とても悲しい映像だった。
競馬場にいる大半の人がサイレンススズカのその後の運命を知っていたに違いない。
悲しく辛い運命を。
レース中に脚を骨折した馬は、酷ければその後起き上がれずにやがて脚から腐っていく。そして苦悶の日々の後死んでいく。レース関係者はサラブレッドに敬意を表して、涙を飲んで安楽死の処置をして、救われない苦しみから解放する。
栄光のターフから突然の安楽死という運命を辿ったサイレンススズカ。
その瞬間を目撃した何万もの観衆はなかなかスタンドを去れなかった。
僕は秋の陽射しが傾き、馬場が静まりかえるまで、スタンドの片隅に座り込んでいた。
命のはかなさや勝負の冷徹さ、運命や時の流れについて考えていた。
ひと月前から逃げていた自分自身の問題についても。
『いい加減、帰って来い』
忘れた振りをしていた父親からの手紙。
東京を去り故郷に帰ると決めた。
府中の森が夕日を浴びていた。