キミとわたしと永遠の戦禍 (習作/お題・天秤)
わたしとキミの戦いは終わらなかった。
ずっと、ずっと。
でもそれはきっと、幸せな時間。
◇
好きで、好きで、好きすぎて泣いてしまうことがあるとは思わなかったな。
わたしはずっとキミのことなど、ただの“終着地”としか思っていなかったのに。
わずかな震動とともに、天井から埃がパラパラと落ちてくる。
わたしは羽ペンを動かしていた手を止めて、立ち上がる。
窓に近づくと、赤い光が目に突き刺さった。
あれは魔術の火だ。どうやらいよいよ本気でこの砦を攻め落とす気らしい。
……急がねばならないな。
わたしは椅子に座り直し、再び日誌に向かう。
この期に及んで自伝を綴るわたしは狂人と化してしまったのだろうか?
そんなのはとっくに昔からだ。唾棄するまでもない。
村の騎士さまが相手にならなくなったのは、9つのときだった。
わたしにとっては、機を織るより、野草を摘むより、木剣を握るほうがずっと楽しかった。
朝も昼もなく剣を振り回し、体力の限界と共に寝て……そんな生活が当たり前だった。
強くなればなるほどに、皆がわたしのことを『悪魔の子』と呼び、気味悪がって離れてゆく。
そのときの軽蔑するような目を受け止めたわたしの感情が、今ならわかる。きっとあれは快感だったのだろう。
魔王軍との戦いが激化し始めたのは、翌年だった。
わたしは退屈していたのだ。すでにわたしの師は騎士さまではなく、村の付近にまでやってきていた混沌の魔獣だったのだから。
騎士さまはわたしを都へと推挙した。誰の目にも、少女であるわたしが騎士さまをあしらっているのはもう明らかだった。それでも彼は小さなプライドを守ろうとしていたのだろうか。
どこへ行ったとしても変わるまいと、わたしは高をくくっていた。
そしてキミと出会った。
騎士学校の入学の日。きらびやかな鎧をまとった若きキミは、壇上でわたしたちを代表して正義を誓っていたね。
その気高い姿を見て、わたしは思ったの。
あの少年を村の騎士さまのようにむごたらしく地に這いつくばらせるのは、どれだけ気持ちの良いだろう、と。
でもね。
その願いが叶うことはなかった。
騎士学校でもわたしの実力は抜きん出ていた。貴族の息子の振るう剣など児戯にも等しかったし、大人であってもわたしと五合打ち合って立っていられるものは稀だった。
だのに。
キミだけが違った。
琥珀のような瞳をし、リブラの若木のような腕で剣を握り、舞手のような華麗さで立ちまわるキミは、わたしを圧倒した。
驚いたよ。
わたしは初めて同年代に負けたのだ。
それどころか、一度も勝てなかった。
体を鍛えても、剣や構えを変えても、奇策を弄しても、わたしは一度もキミを叩きのめすことはできなかった。
こうしてわたしの生き様は大きく変わった。
ただひとつ、キミに負けを認めさせるために生きるようになった。
わたしの人生に、ひとつの“終着――執着地”が生まれたのだった。
数年後。わたしが“聖騎士”と呼ばれるようになる頃、キミは“勇者”と呼ばれていたね。
魔物の巣窟と化したひとつの迷宮を十数名の騎士団で制圧したとき、わたしにとって二度目の転機が訪れた。
無造作にダンジョンの床に転がっていた汚い天秤を、どうして拾って持って帰ろうだなんて思ったのだろう。
それこそが、わたしの生を破滅に追いやる魔具だと知っていたら……
……いや、それでもわたしは禁忌に手を出していたのだろうね。
宿舎に帰り、わたしは取り憑かれたように儀式を繰り返した。
文献を漁り、古文書にも手を出し、そうしてついに魔具の使い方を知る。
“魔力”とは、人に流れる血液と筋肉以外の力の総称だ。
生命エネルギー。精神力。神の加護(そんなものが本当にあるかどうかは疑わしいが)、それらを全てまとめて、“マジェナの庭園”の魔術師たちが“魔力”と名付けているに過ぎない。
キミは“魔力”の塊そのものだった。それが異常な膂力やバイタリティの根源だ。
そして同様に、わたしにもキミには及ばないが、“魔力”が備わっているのだという。
天秤から現れた魔人――サティーナはそう言っていた。
「“魔力”が心を流れる想いによってできているのなら、想いを“魔力”に変換することだって、あたしにはできるワ」
馬鹿げた話だ。悪魔の言うことに耳を貸すなど。
一刀のもとに斬り伏せれば良かったのに、わたしにはそれができなかった。
「そして、生まれながらに――突然変異か、流行病の影響か――人ならざる“魔力”を持つ貴女なら、更なる“魔力”を手にすることもできるでショウね」
わたしはずっと求めていたのだ。
キミを倒す“力”を。
わたしは血を捧げた。
キミを倒すことが、わたしの終着地だったから。
わたしは“想い”を代償に、魔なる力を得た。
一歩強くなり、わたしはキミと手合わせをした。
まだ届かなかった。
――わたしは更に“想い”を犠牲にした。
「ご主人サマ。行かないノ?」
サティーナはあれからずっとわたしのそばにいる。
わたしの捧げる“想い”を糧に生きる魔物となったのだから、当たり前か。
彼女に小さく手を挙げる。もう長い付き合いとなったサティーナには、それだけで事足りた。
もう少しだ。
砦に火が回り、この部屋が跡形もなく燃え尽きてしまわぬうちに。
この想いがわずかに残っているうちに、全てを書き留めよう。
わたしが生きていた証を、キミが見つけてくれたらいい、なんて。
やがて、人間と魔族の戦いは最終局面を迎えた。
相変わらずキミの力は圧倒的で、わたしの知る限り世界にキミの敵はいないように思えた。
飯を食い、眠り、起きている限り無尽蔵に悪を滅ぼす巨像のごとく破壊の使者だ。
キミはいつも微笑みを浮かべていたけれど……もしかしたら、なにかを犠牲にしていたのだろうか?
今となってはもう聞くこともできないけれど。
わたしの騎士団は東の魔族を滅ぼし、キミは数名の手勢を率いて西の魔族を滅ぼし……そして、世界は人間のモノになったのだ。
もとい、なるはずだったろう。
まだわずかな魔族が残っていた。
わたしは彼らを討伐するために、単身で砦に乗り込んで。
ホンの気晴らしのつもりだった。
そして。
劣勢に追い込まれた彼らは、たったひとりで剣を振るうわたしを見て、こう呼んだのだよ。
滑稽だろう?
でもね。
彼らに「魔王」と呼ばれたその瞬間。
わたしの中の全ての意思が合致したのだ。
そうだ。
どうしてこんなに簡単なことに気づかなかったんだろう。
わたしは魔王になれば良かったのだ。
本当に、様々なものが戦争の犠牲となった。たくさんの人が死んでいった。
わたしと同時期に騎士学校に入団した人は、もうキミしか残っていない。
生まれ故郷の村もとうに滅んだと聞いている。
拡大する戦乱により飢餓が広まり、世界各地に放たれた魔獣は今も自衛手段の乏しい村や街を蹂躙しているのだろう。
だが、
それがどうした?
わたしは羽ペンを置き、日記を閉じた。
ここからはわたしの時間だ。
机の上の小さなペーパーナイフを取ると、左の薬指に当てた。
力を込める。
甘い痛みと共に、ぷっくりと血が滲む。
引き出しから取り出したのは、あの黒い天秤。
想いを“魔力”に変える悪魔、サティーナの居城。
自らの性質を変革させる一対の魔具。
神話にて、人間を魔族に変え、永遠に続く争いをもたらすきっかけとなった禁忌の秘宝。
わたしは血を天秤の片方の受け皿に載せる。
これが最後だ。
再び砦が揺れた。あれは門が破られた音だ。ここに踏み込まれるのも時間の問題だ。
魔族も、人も、数えきれないほどに殺してやったんだ。
そろそろ来てもいい頃だろう?
ねえ。
わたしはキミを好きだったはずだ。
本当に憧れていたんだ。
キミはわたしの理想そのものだ。
富も名声も、友も愛も知っているキミのことが、わたしはずっと妬ましかった。
キミの一部になりたかった。
せめて一度でもキミを乗り越えることができていたら、もしかしたら素直になれたのかな。
わたしがこんなに頑固でなければ。
キミがもう少し優しくなければ。
あのとき天秤を拾わなければ。
剣と剣を交えていなければ。
好きと口に出せていれば。
戦乱が終わっていれば。
魔力なんてなければ。
ここにこなければ。
ねえ、キミ……
知らなければ。
――ければ。
わたしが。
キミが。
れば。
……
わたしは扉を開け放ち、剣を掲げるだろう。
世界は不可逆だ。
炎に包まれた大広間に、キミがいるのだ。
「まさか――本当に、――なのか?」
キミはわたしの名を呼んだ。だがわたしの“想い”はない。
もうなにもない。
魔族と化したわたしには、もうなにも。
わたしはキミを地に這いつくばらせよう。
足を切り落とし、腕を絶ち、そぎ落とし、無様に引き裂こう。
わたしはわたしの“執着――終着地”にたどり着く。
血だまりの中で、キミを抱こう。
「最後の決着をつけよう、キミよ」
――だが果たして、世界は――本当に不可逆か?――
キミは、違うと言ったんだ。
広間には確かにキミがいた。
軍勢を外に待たせて。
たったひとりで。
どこかで見たことがあるけれども、決定的に違う――
――白銀の天秤を抱えて。
「キミの様子がおかしかったことは気づいていた。だから僕は“遠見の魔術師”に頼んで……これを探し出してもらったんだ。
知っているだろう? “魂の台座”だ。むしろ、キミほどこれをよく知っているものはいないはずだ。
そうさ、“想い”を“魔力”に変換する魔具があるなら、その逆もまた然りなんだ」
キミは剣を抜く。
右手に剣を。左手に天秤を持ち。
もはや言葉では止めることのできないわたしの血を得るために。
「少し痛むかもしれないけれど、我慢してくれよ。キミは強い子だろう」
今さら、キミはなにを言っているのか。
「わたしの手は血に汚れているよ」
「構うものか。そんなのは僕だって一緒だ」
「わたしはキミを倒したいんだ」
「国に帰ったらいくらでも相手になるとも。こんな物騒なものじゃなくて、木剣でね」
剣と剣が打ち合わされて、火花が散る。
「もう後戻りなんてできない」
「世界は可逆だ」
「この戦いが終わったら、わたしを斬り殺してくれ」
「駄目だ。“聖騎士”なんだろう? 生きる義務を果たすんだ」
「キミは大馬鹿だ」
「きみに言われるのは心外だ」
“勇者”のキミと釣り合うために、わたしは“魔王”となった。
左右に揺れていた天秤は停止し、善と悪の名のもとにわたしとキミは裁かれるはずだったのに。
最初からわたしたちは、同じ皿にいたのだろうか。
炎に包まれた大広間――キミの剣が、天秤棒を断ち切るのだ。
結果なんて、聞く必要があるかい?
そうさ、わたしの負けだったとも。
結局わたしは、一度も彼には勝てずじまいさ。
キミは、本当に格好良い。
天秤に血を与えると、途端に目が覚めたような気がした。
とても不思議な感覚だ。
何年もずっと、味わったことのない……
霧が晴れて、キミの顔がはっきりと見えたんだ。
ねえ、キミ……
好きだよ……
ああもう、すっごくカッコイイ。
剣を構えた姿も様になるし、かと思えば笑顔はまるで太陽のように輝いているし、誰にでも別け隔てなく優しいし。
……それに、声もいい。とてもいい。
やだな。キミの顔がまともに見れないよ。
こんなところまで、わたしを助けに来てくれるなんて。
どうしよう。“想い”が溢れて止まらない。
体中を駆け巡るよ。
ああもう、好き。大好き。愛している。
ねえ、キミ……
わたしの世界に、彩りが戻ってくるよ。
ああ、どうしてこんなに“想い”が溢れてくるのかしら。
もうだめ、好きで好きでたまらないの。
どうしようもなくて、胸の奥が切なくて、じっとしていられない。
あれ、わたし、泣いているの?
だって、キミがそばにいてくれるから……
ううん、違うの、これは嬉しくて……
すっごくキュンってしてて……
ねえキミ、ギュッとしてよ……いいでしょう、それくらい。だって、こんな西の外れの砦までわたしに会いに来てくれたのよね? 嬉しい……キミ、大好きだよ……
え、ちょっと離れて、って? ……どうしてそんなこと言うの? せっかく素直になれたのに……やだ、わたし、これぐらいで泣いちゃって……ごめんね、キミ……
困らせるつもりはないの……ごめんなさい、キミ……お願い、嫌わないで……わたし、ずっとキミのそばにいたいから……え、砦の窓から一匹の悪魔の女の子が逃げようとしているって? そんなの放っておけばいいじゃない。って、キミ、え、もしかして……
ううん、そんなはずないよね……? キミが他の女の子に興味があるなんて……そんなの、あるわけない、よね? だってキミはわたしを助けにきてくれた勇者サマなんだから……えへへ、わたしってば心配しちゃった……どうしてだろうね、今までこんなこと考えたことないのに……ねえ、わたしって人間に戻れているかな? ホント? うふふ、嬉しい。これからいっぱい学ばなきゃいけないのに、もう“魔力”なんていらないもんね。だってキミは国に帰ったら英雄でしょう? そりゃあわたしだって似たようなものだけど、もう騎士団なんてやめるんだもん。だっていらないじゃない、魔族がいなくなって平和になったんだもん。ずっとずっとキミのそばにいるね。ずっとずっとずっとずっとね。ずっとずっとずっとずっと一緒でしょ? 大好き、キミ……大大大、大好き……
なんなの、もうこの鎧ってば重い。急に重くなってきちゃった。“魔力”がなくなってきたからかな。脱いじゃうよ。いいでしょうキミ。だってどうせ魔族は滅んだんだし。わたしとキミの力でね。わたしたちやっぱりお似合いのふたりよね。だから、剣なんて卒業しなくっちゃね……キミの隣に並んでもヘンじゃないように、ちゃんと社交界のことを勉強しなくっちゃ。騎士学校のときはずっと馬鹿にしてたけど、いざとなったらやるんだから、わたしってば。え、知っているって? やっぱりキミはわたしのことを一番良くわかっているよね。でもそれはわたしも一緒だよ。わたし以上にキミのことを知っている人なんて絶対いないんだから絶対に。絶対に。絶対に。あ、でも国に帰ったら今まで通り“キミ”なんて呼んでちゃヘンかな。やっぱり……あなた、かな? わ、嬉しいな……やだ、また涙出てきちゃった……好きなの……えへへ、気が早いかな。うん、そうだよね、ごめんね。でもわたし頑張るからね。これからずっと一緒だよ、キミ。
愛しているの。愛しているの。愛しているの。とっても、とっても、とっても、とってもとってもとっても愛しているの。もう絶対に離れたくないの。二度と離れたくないの。あなたが辛いときも幸せなときもずっとずっとそばにいるからね。絶対だからね。だからわたしだけを見ててね。わたしもキミしかいらないもん。キミさえいればいいの。別に人間が絶滅したって……全然いいの……キミさえいれば、魔族も人間も滅びても全然いいの。だって愛しているから。キミだけがいればいいから。あれ、どうしたのキミ。ドキドキしているの? すごく汗かいているみたいだけど……わたしちょっと心配だな。だってこれからずっと一緒に過ごすんだから健康でいてもらわないといくら勇者さまってみんなから言われているからってキミって無茶しすぎるところあるんだからね学校でも色んな人から頼りにされていたけれどキミってば嫌な顔ひとつしないでみんなからめんどくさいこと押し付けられちゃってウフフでもそんなところも好きだったのよキミずっとずっとねホントはキミを倒してから告白するつもりだったのにそれがずっとこんな風に先延ばしになったうちに魔王さまなんて呼ばれるまでになっちゃってヘンよねホントにわたしってばでももう二度と離さないんだからねキミねえもっとキミも言ってよ愛しているってわたしばっかりさっきから言って一言も好きだって言ってくれないんだから照れているのかなえへへそんなところも好きよキミ国に帰ったらすぐに結婚しようね子供は何人ぐらいほしいかなわたしとキミの子供だからきっとすごくすごく強くなると思うよ十人ぐらい作っちゃったらもう王様だってわたしたちに逆らえなくなるんじゃないかなそうしたらわたしたちだけの国を興しちゃおうかなんてえへへちょっと野望が大きすぎちゃったかなでもねキミと一緒にいるとなんだってできそうな気になるんだよきっとこれも愛の力なんだよね愛ってすごいね愛って気持ちいいね愛って素敵だよ愛を失って“魔力”を得ようとしていただなんてわたし馬鹿みたい愛さえあれば他になにもいらないのにね愛しているの愛しているの愛しているの愛しているの……
……あれ?
え、どうして地に這いつくばって頭を下げているの?
わーい生まれて初めて勝っちゃったー、なんて。
もういいってばそういうの。わたしはキミのものなんだからさ。
え、違うの?
国で? 王女さまと?
やくそく?
結婚?
帰ったら、するの?
えーやだ、こんなところでそんな嘘なんて、キミらしくないよ。
ホント?
ホント、なの?
なんで?
なんでそういうこと言うの?
ずっと前から決まっていた、って?
好きなの?
ホントに?
絶対?
わたしより?
うそだ。
だって、そんなの。
おかしいよ。
わたしのこと、助けに来てくれたのに。
……仲間だから、って。
ねえ、キミ、愛しているの。
そんな顔しないでよ。
どうしても?
どうしてもだめなの?
……二番目でも?
わたしじゃないよ、その女が。
だめなの?
あ、そうなんだ。
フーン。
そう、なんだ。
絶対の絶対?
そうなんだ。
……そうなんだー。
うん。
そっか。
そうなんだ。
ねえキミ、
今から走ればまだサティーナに追いつくかな?
わたし、ね。
もう一回頑張ってちゃんと魔王やってみよう、って思うの。
一からまた魔族を鍛え直してさ、軍備を整えてさ……
えへへ。
なんだかすっごく楽しみになってきちゃった。
え、なに、ごめんなさいって?
わたし全然怒ってなんていないよ?
ウキウキしているんだもん。
だからね。
わたしは全力で攻めるからさ。
キミはちゃんと死ぬ気で守ってよね?
じゃないと……
キミ以外の人間が、
みんな、みんな、滅んじゃうんだからね。
◇
わたしとキミの戦いは終わらなかった。
ずっと、ずっと。
でもそれはきっと、幸せなじ・か・ん♡