君との婚約を破……
貴族も利用するちょっと気取ったカフェの店内。
窓際の席に一組の男女が向かい合って座っている。
見目麗しい貴族青年とその婚約者である令嬢だ。
注文した紅茶が届いた。
一口飲んで、青年がおもむろに口を開く。
「君との婚約を破……」
「ハクション!」
令嬢は顔に当てたハンカチの陰でクシャミをした。
「失礼いたしました。急に鼻がムズムズしましたの」
「……季節の変わり目だからな」
「そうですわね。それはそうと、今何かおっしゃいましたか?」
「タイミングを外すと言い出しにくいのだが。君との婚約を破……」
「ケーホ、ケホケホケホ!」
令嬢は再び顔に当てたハンカチの陰で咳き込んだ。
「失礼いたしました。急に喉がムズムズしましたの」
「……体調が悪いなら休んだ方がいいのでは?」
「いえ、大したことはありませんわ。どうぞお話の続きをなさって」
「何か意図的に邪魔されている気がするのだが。気を取り直して……君との婚約を破」
ガラガラ、ガラガラ、ガタタン、ガタタン!!
「馬車が通る音で聞こえませんでしたわ」
「……やけに音の大きな馬車だったな」
「ちょうどこの辺りの石畳が傷んで穴が開いているのでしょうね。ところで、何のお話でしたかしら?」
「三度も邪魔が入るとこれが運命なのではという気もしてくるが……。しかし流されてはいけない。心を強く持って、君との婚約を破」
デデッポッポー。
デデッポッポー。
「山鳩が鳴き始めて聞こえませんわ」
「席が悪いのではないかと思えてきた。窓際にいるからいけないのだ。馬車は通るし、鳩は鳴くし、君はクシャミと咳をするし。席を変えよう」
テーブル移動。
窓際の席から奥の席へと変わった。
「ここなら静かで邪魔が入らない。勇気をもって切り出そう。君との婚約を破」
ミーンミンミンミン……
「あら、急にセミが」
「なぜ店内にミンミンゼミ!?」
「アブラゼミでなくて良かったですわね。あれは本当にうるさくて。ツクツクボウシならまだ可愛らしいのですけど」
「種類の問題ではないと思うが。ここはカフェの中だぞ?」
カフェの従業員が素早くセミを捕獲して去っていく。
「静かになりましたわね」
「帰りたくなってきた……」
「それで、お話は何でしたかしら?」
「……心がだんだん折れかけているが、ここでくじけたら何のために来たのかわからなくなる。頑張れ、自分。負けるな、自分」
「自分自身にエールを送っていらっしゃるのですね」
「自分で自分を励ますくらいできなくては、世の中やっていけない。頑張って言うぞ、君との婚約を破」
シェフからのお詫びでございます、とウェイターがデザートを持ってきた。
綺麗に盛り付けられたミニパフェに花火が刺さってパチパチと火花を散らして燃えている。
「まあ綺麗。素敵ですわ」
「このタイミングで来るか……」
「ああ、もう消えてしまいましたわ。花火の命は短いのですね」
「人の命も花火のように、何もできずに消えていくのかもしれないな……」
「しんみりした気分なのですね?」
「気分が下がっているのは事実だが、諦めたわけではない。むしろ頭が冷えて、起死回生の策を思いついた。ストレートに言おうとするからいけない。遠回しに話し始めれば結論まで言えるはず。君は聖女だと言われているね?」
「ええ、そのように言われておりますわ」
「実際、君には幸運が付いて回っているように見える。何をやってもうまくいくし、何もしなくても万事良い方へ転がっていく」
「ええ、割とそんな感じですわね」
「それが私には不安なのだ。何もかもが君にとって都合の良い方へ、何かに操られているかのように動いていく。目に見えない巨大な力に常に見下ろされているようで、落ち着かない」
「あら」
「君が嫌いなわけじゃない。美しい人だと思っている」
「まあ♪」
「ただ人格が……。悪人でないことはわかっているが、どうにも反応がずれているというか、会話が微妙に噛み合っていないというか」
「そうでしょうか?」
「そんな君と一生添い遂げる自信が持てないというか。見えない巨大な何かがバックに付いてる女性は感性が独特だから、私では受け止めるの無理なんじゃないかなーと」
「そんなことありませんわ。自信をお持ちになって」
「やっぱりずれているよね、君の反応! 噛み合ってないよね、この会話!」
「そうでしょうか」
「そうなんだよ、ずれてるんだよ! 私も貴族だから恋愛結婚なんて望まないが、せめて会話が通じる相手と結ばれたい! この願い、贅沢かな!?」
「贅沢とまでは申せませんけど」
「そうだろう!?」
「でもその願いは叶わないかも」
「なんでかな!?」
「私の人格は変わりませんし……」
「だよね! だから君との婚約を破」
最後まで言い終えることはできなかった。
目に見えない巨大な何かがカフェの天井を突き破り、青年を押しつぶしたのだ。
残骸の下でピクピクと震える青年の手を、聖女と呼ばれる令嬢はそっと握った。
令嬢の手から淡い光が発せられる。
みるみるうちに傷が癒えていく青年。
「私のバックに付いている目に見えない巨大な力は、有無を言わさず私を幸福にしようとするのです。私の欲しいものは何でも与えようとしてきますし、私の意に反するものは排除しようとしてくるのです」
「……どういうことだ?」
「そこに慈悲や思いやりなどはないのです。他人がどれだけ迷惑しても、私の望みが最優先で叶えられてしまいますので、私としても慣れるしかありませんでしたの。いちいち罪悪感を覚えていたらきりがないのですもの」
「……まさか」
「私の欲しいものを取り上げようとする人は、こうして痛い目にあわされてしまうのです。まあ、体の傷なら私が治して差し上げられますけど」
「やめてくれ……」
「私、顔のいい殿方が好きなのです。振り向いてくれない人を追いかけるのも好きですし」
「最悪だ……」
「ものは考えようでしてよ。目に見えない巨大な何かに見下ろされている限り、あなたは飢えることも怪我や病気に苦しむこともないのです」
いや、たった今、大怪我させられて苦しんでいたよな、とウェイターは思った。
だが賢明にも口を閉ざして語らなかった。
目に見えない巨大な何かに押しつぶされたくなかったので。
無言で壁際に立つウェイターを気にも留めず、令嬢は愛おしそうに青年の頬を撫でた。
「愛してますわ。婚約者様」
「……破棄してくれ」
「ダメ♪」
<完>




