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第90話 Catastrophe Prelude

 その瞬間は、あまりにも残酷なまでに幸福な絶頂の中に訪れた。


「ねぇラズロ。本当にマリアンヌを愛せるのかい?あれだけジェシカジェシカ騒いでた朴念仁がさ」

 コンラートの茶化すような、どこか楽しげな声から始まった。

 珍しくランまでもが酔いの勢いか、「本当ね……キスなんて出来ないんじゃないかしら?」とニヤニヤしながらコンラートの尻馬に乗っていた。

 顔を真っ赤にし、茹で上がった蛸のように硬直していたラズロが、意を決したようにマリアンヌの肩を強く抱き寄せた。

 震える手。

 紅潮した顔と、限界を迎えそうな目。

 だが、不器用な彼が愛の言葉を紡ぐより早く、マリアンヌがラズロの逞しい首に腕を回し、強引に、そして吸い付くような深い口づけを交わした。


「キャーッ!」

「マリアンヌさん、大胆!」

 ほのかとメイシーが顔を見合わせて黄色い悲鳴を上げ、ノエルが頬を染めながらも、愛おしいものを見るような眼差しで拍手を送ろうとした――その刹那だった。


「――伏せろッ!! 全員、生身の者を庇え!!」


 ジュリアン中尉の、鼓膜を直接引き裂くような怒号が空間を支配した。

 次の瞬間、世界から一切の音が消え失せた。

 あまりにも巨大すぎるエネルギーの衝突が、人間の聴覚を一時的に「無」へと叩き落としたのだ。

 視界が白く真昼の太陽すら汚泥に見えるほどの死を予感させる純白の閃光が、並の要塞より強固に作られている指揮所を白濁させる。

 UPL基地を覆うチャージド・マグネティック・シールド(物理帯電式電磁バリア)に、衛星軌道上から放たれた陽電子レーザー砲が直撃したのだ。


 本来ならば、陽電子砲の直撃を受けた瞬間に、基地はバリアごと原子レベルまで分解され、光の中に消滅するはずだった。

 しかし、3分前から降り始めていた激しいスコールが、死神の鎌を僅かに逸らした。

 無数の雨粒が陽電子と接触し、大気中で微細な対消滅を連鎖的に引き起こしたのだ。

 それは膨大なエネルギーを「超高圧の水蒸気」と「猛烈な放射熱」へと強引に変換させた。


 だが、それは救済ではなかった。

 「シュゥゥゥシュゥシュゥ!!」という、大気が沸騰し、空間そのものが悲鳴を上げているような異音が響き渡る。

 ドン!!!

 直後、水蒸気爆発による凄まじい衝撃波が、地上の全てを蹂躙した。

 ひしゃげながら弾け飛ぶ壁、床。


「ああ……嘘でしょう?……」

 ラズロの腕の中で、マリアンヌが目を見開く。

 視線の先、つい数分前まで仲間たちの笑い声が満ちていた指揮所は、熱線と高圧の水蒸気による衝撃によって紙細工のように引き裂かれていった。

 デスクの上に置かれていた、ほのかの妹はるかの形見である『たまごクマちゃん』の限定マグカップが、激風に煽られ、次の瞬間には跡形も無くなっていた。

 コンラートが大切に保管していたイソルの手作りのペンギンのぬいぐるみ、メイシーがジュンジロウと一緒に作った金属製ロボットの1/38モデル、ノエルが子供たちの形見にしていた金属焼成粘土で作ったペンダント……ロッカーや引き出しの中に入っていた数少ない思い出の数々。

 それら全てが、レッド・スコルピオン(赤い蠍)の「掃除」によって、灰すら残さず消滅して消し飛ばされた。


 さらに、屋外の大型コンテナ。

 ドラム缶の中で廃油に浸され、永劫の苦痛を味わうはずだったアリエスとスコーピオンの生首も、コンテナごと瞬時に蒸発した。

 彼らに与えられるはずだった「永遠の地獄」は、彼らの属していた組織の攻撃によって呆気なく幕を閉じた。


「バリア消失! 予備回線が焼き切れるぞ!」

「グッ……アアアアッ!」

 飛び散る赤熱したコンクリート片と、赤く焼けた鉄骨が舞い散る花びらのように赤く、鋭く舞い散っていた。

 ジュリアン中尉を筆頭に、カイン、ラズロ、ラン、コンラートらMFCS(軍事用全身完全換装サイボーグ兵士)である戦士たちが、反射的に、そして本能的に肉の壁となって非戦闘員たちを包み込んだ。


 赤熱し、致命的な質量となった鉄柱がほのかの頭上へ降りかかる。

 だが、その直撃よりも早く、ランの脚部フレームに内蔵された単チタン結晶化アクチュエーターが、キィィィィンという高周波の駆動音を上げる。

 赤いチャイナドレスから振り切られた脚が、空を裂いた。

 凄まじい火花とともに赤い鉄柱を彼方へと蹴り飛ばし、ランは着地と同時に叫ぶ。

「見えない!サーチも出来ないわ!みんな無事?!」


(アリア! 第二波は!?)


 カインは背中に叩きつけられる瓦礫の衝撃に、肺の空気を絞り出すようにして耐えていた。

 腕の中には、震えるノエルの頭と、肩を負傷したほのかの体を力一杯に抱きしめている。

 UPLのMFCS達はそれぞれが、手を誰かの体に回しているが、それが誰のどこに手を回しているかなど分からない。

 次々と叩きつけられる瓦礫は、火砕流の如き灼熱を帯びていた。

 フルサイボーグの装甲越しですら、神経を焼くような熱量がカインの意識を遠のかせようとする。

 悪いタイミングでスコールは上がり、灼熱の瓦礫から焔が消えない。

『……ダメ、カイン! 陽電子の干渉で大気中のエネルギーが飽和しすぎて……視界が真っ白よ! でも、戦術セオリーなら必ず次が来る! お願い、地下へ逃げて! あそこなら、まだ地上より強固なES-EMバリアが生きてるはずよ!』


 脳内に直接響くアリアの絶叫は、カインの生存本能を激しく叩き起こした。

 しかし、爆発の余波は容赦なく生身の肉体を切り裂いていた。

「痛っ……! あつい……っ」

 メイシーが胸を押さえてうずくまる。オーバーサイズのパーカーには、飛び散ったガラス片による鮮血が痛々しく滲み出し、彼女の破れたポケットから大好きなグミがこぼれ落ちた。

 ほのかの右肩には、崩落した天井から突き出した細い鉄棒が深く突き刺さり、彼女の白い肌をどす黒く染め上げている。

「カール君……! カール君、どこにいるの!?」

 額を割り、流れる血で視界を奪われたノエルが、必死にカールを探して叫び声を上げた。


「第二波が来る! 全員動けるか!? 立ち止まるな、地下区画へ駆け込め!」

 ジュリアン中尉が、崩れ落ちた巨大な天井の支柱を日本刀『雷切』で瞬時に切り飛ばし、地下への通路を確保しながら叫ぶ。

 さっきまでの「温かい家族の団欒」はない。

 血を流し、泥を啜り、瓦礫にまみれながら、必死に生を繋ごうともがく、傷だらけの傷病者の群れがあるだけだった。


 一行は、分厚い扉を抜けると、崩落し続ける階段を転がり落ちるようにして、地下第一層オペレーション区画へと逃げ延びた。

「ドクター! 生きているか!」

「……ハァ、ハァ……。ワシを誰だと思っておる。この程度の火傷、……ドロシーの仇……まだ死ねん!」

 ドクターFは、トレードマークのモノクルを血と煤で汚しながらも、震える手で同じく負傷したカールの肩を支えていた。


 地下の緊急コンソールへと辿り着いた瞬間、カールとドクターFの指先が、取り憑かれたようにキーボードを叩き始めた。


 だが、ドクターの手元は凄惨を極めていた。

 激痛に耐え、血に塗れた指先が物理キーボードの上で無様に滑る。

 爆発の熱線で火脹れた指先は、キーを叩くたびに無慈悲に裂け、そこから溢れ出す新たな鮮血が、キートップをどす黒く濡らしていく。


 剥がれた爪、焼け焦げた皮の臭い。

 それでも二人の指は止まらない。

 一打ごとに飛び散る血飛沫さえ、システムを死守するための代償であるかのように、彼らは狂気的な速度でコードを打ち込み続けた。


 激しい爆震に揺れる室内で、端末のバックライトが二人の必死な形相を青白く照らし出す。


「……メインフレーム、生存確認! リンク……成功! 間に合え……間に合えッ!!」


 カールの悲鳴にも似た叫びとともに、無数のエラーログを押し退けてモニターに基地のステータスが流れ出す。


「緊急展開プロトコル発動! エレクトロ・スタティック・EMバリア、地下ジェネレーター及び北米リージョン最優先供給ラインへ完全同期! ……いける、このセクター(地下区画)だけは、絶対に死守してみせます!」


 静まり返った地下室に、外壁を叩く砲撃の微かな振動だけが伝わってくる。

 聞こえてくるのは、誰かの荒い呼吸音と、床に滴り落ちる生々しい「滴」の音だけ。

 ドクターの口の中に残っていた三色団子の僅かな甘みは、今や鉄の味と火薬の匂いに完全にかき消されていた。

 誰もが、自分たちの愛した「日常」が、一瞬にして消え去ったことを、魂の奥底で理解していた。

 そして、その絶望の底から怒れる野獣達が静かに目を覚ます。


 カインは、血に濡れ、割れたサングラスを床に投げ捨てた。

 剥き出しになったサイバー・アイ(義眼)には、かつてないほど苛烈な、蒼い殺意の燐光が宿っている。


「アリア……ゾディアック(十二宮)が来るな?」

「カイン……アリアの仇……ジェシカの仇……。俺のジェシカ(ハデス・クロウ)で消し飛ばしてやる」

「期待してるぞ、ラズロ」

『ねぇ、カイン……砲撃が終わったら表に出るわよ……きっとMFCSで地下までしっかり掃討戦を仕掛けてくる。オペレーターの女の子達は守らないと』

(頼むぞアリア……何かとんでもないモノが来る気がしてならない)

『私もそう思う……死んだらダメよ。カイン』

「コンラート。私たちも出るわよ。私は出来れば狙撃に徹したいわ」

「了解だ、お嬢。僕は派手に立ち回れば良いんだね?頑張るよ……僕たちの結婚式まで死ぬわけにはいかないしな」

「はぁ……今、疲れさせないでコンラート」

 相変わらずの夫婦漫才が場を少しだけ和ませた。


「ノエル。敵はまだ来ないか?」

 ジュリアン中尉がコンソールと戦っているノエルに声をかける。


「地上ではまだ砲撃が継続中……ですが、陽電子ノイズが僅かに晴れてきました。方位北北西、距離57.832km。時速432ノット(800km)。輸送機、……空挺部隊です! 戦術AIとの照合完了、レッド・スコルピオンのMFCSミリタリー・フル・サイボーグ・ソルジャーによる強襲降下シーケンスと予測。第一波、推定降下兵力500……待ってください、海上にも反応あり! 艦船8隻による円環陣形を形成しています」


 ノエルの震える声とともに、血に濡れたモニターに敵軍の包囲網が次々とプロットされていく。

 カールが叫ぶ。

「……IFF(敵味方識別システム)は機能しません。いえ、あえて切るべきです。奴ら『レッド・スコルピオン』は、間違いなく友軍識別信号のまま攻撃を仕掛けてくるはずですから……!」


 雨音を突き抜け、再び大地を揺らす衝撃波。

 UPLの堅牢な司令部は、今、地獄の業火に焼かれていた。

「空挺の直前に戦闘部隊は外に出る。……死ぬな。必ずバディで動け」

「「「サー・イエス・サー」」」

 まだ誰も死んでいない。

 怒れる野獣達の牙は来るべき瞬間に備え、極限まで研ぎ澄まされていた。

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