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第10話 飲み過ぎが招くもの

 アリアはいつになく重い足取りで画廊『ランタン・パレス』を訪れていた。

 クロエと出した「成果なし」という結論。

 それを伝えるのは、探偵としてのプライドが許さなかったが、事実は事実だ。


 しかし、応接室に現れたワン・ウェイファンが口を開いた瞬間、アリアの思考はフリーズした。


「アリア様、あなたには失望いたしました。この件は、本日をもって解約とさせていただきます」


 脂ぎった顔に浮かぶ、冷淡な無表情。

 昨日の必死さはどこへ消えたのか、そこには「不要なものを切り捨てる」事務的な冷酷さだけがあった。


「……解約? ワン様、まだ着手してから六日しか経っておりませんわ。私はまだ――」


「結構。これは、今までの手間賃と……『口止め料』です。二度と、私の前にも、この画廊の前にも現れないでいただきたい」


 デスクの上に滑り出されたのは、昨日もらった前金を遥かに凌ぐ、文字通り「破格」の電子小切手だった。


「……プライドにかけて、このようなものは受け取れませんわ」


 アリアは小切手を押し返そうとした。

 だが、ワンはそれを無理やり彼女の手の中に押し戻すと、背を向けて立ち去った。

「返却は受け付けません。……お引き取りを」


 その日の夜。

 ロサンゼルスの夜景を眼下に見下ろす、超高層階の展望バー。

 アリアは、お洒落に着飾った周囲の客たちが引くほど、猛烈な勢いで度数の高い酒を煽っていた。


「……納得いかない。あんなの、探偵への侮辱よ!」


「落ち着きなさい、アリア。……あなたが昨日、ワンの画廊周辺を嗅ぎ回ったからじゃないの? それを察知されて、警戒された。そう考えるのが自然だわ」


 クロエは困ったように眉を寄せ、自身は可愛らしいノンアルコールのカクテルを口に運ぶ。

 彼女の理性的な指摘が、今は余計にアリアのズタズタになったプライドを逆なでした。


「まあ、いいわ! 今日は飲む! こういう時、フルサイボーグって本当に最高よね。リブート(再起動)一発で、血中のアルコールなんて綺麗さっぱり消せるんだから。リブートするまでは、死ぬほど気持ちよく酔ってやるんだから!」


「……酔って何かを破壊するのだけはやめなさいよ。ここは一応、公共の場なんだから」


 クロエの呆れ顔を無視して、アリアは三杯目のグラスを空にする。

 少しずつ、思考がアルコールに溶けて、ふわりとした多幸感と苛立ちが混ざり合う。


「……ねえ、クロエ。そもそも、その盗まれた絵の題名って何だったかしら? 確か……」


 アリアは、霞む記憶の隅っこにある依頼書を思い出す。


「……『イチリュウ ウエスギ作 赤い聖母』だったかしら」


「赤い聖母……?」

 クロエが不思議そうに首を傾げた。

「なんだかよく分からないわね。日本人よね?宗教違うんじゃ無い?東洋のファンタジーかしら?」


「さあね……。でも、作者がとにかく凄いらしいわよ。20歳で死んだ、歴史に名を残すべき天才画伯だって。そんな若い子の描いた絵に、あんな太った画商が人生かけて執着して……。あ、今はもう『忘れてくれ』だったわね。本当に、バカバカしい!」


 アリアはブルーチーズの欠片を口に放り込み、次の酒を注文しようと無造作に手を挙げた。


「それにしても、何なのよこの『失敗報酬』の額は」

 

「知らないわよ。断ってもしつこく押し付けてくるんだもの。気分が悪くなる金ね。全部飲んで消してやるわ」


 クロエの胸に、拭いようのない黒い疑念が鎌首をもたげる。

「……ねえ、アリア。この『口止め料』、普通じゃないわ。貴女を消した後に回収するつもりじゃ――」


「もう! 考えすぎよ、クロエぇ。今日は野暮な話はなし! 飲むって決めたんだから」


 20歳で早世した天才の絵画。

 

 そして、突如として口を閉ざした画商。


 酔いの中で、アリアの胸をざわつかせる「警鐘」は、まだ微かに、しかし止むことなく鳴り続けていた。


 夜の重い空気が、ハーフ・パイプ(かまぼこ型の倉庫)――アリアの自宅兼探偵事務所の周辺に淀んでいた。

 タクシーを降り、ふらつく足取りで入り口に向かったアリアの視界には、待ち構えていた五人の男たちの影が映る。


「……んぅ? なぁに、あんたたち。もう営業時間は終わったわよぉ……」


 アリアはひどく酔っていた。

 リブートコマンドを走らせない限り、この心地よい、けれど判断力を鈍らせる熱は引かない。


「ゲヘヘ、姉ちゃん静かにしろよ。俺たちと気持ちいいことしようぜ。ほら、車に乗れよ」


 一人の男が下卑た笑いを浮かべ、懐から銃を抜く。

 それを見た瞬間、アリアの網膜に走ったスキャンデータが、酔った脳に冷水を浴びせた。

 M111919z拳銃。

 ACHR (対サイボーグ重量弾)を装填した、鉄の塊を穿つための凶器だ。


「一緒に来てもらうぜ、ちょいと裸にして気持ちよくなってもらうだけだ」


 男の言葉と共に、電脳が弾き出したのは【偽証率 97%】。

(……嘘つき。体目的じゃない。こいつら、最初から私をCS(サイボーグ・ソルジャー)だと分かって壊しに来てる……)


 さらに奥の男が構えたのは、極東製のbj6498。 

 かすっただけでサイボーグの電子神経系を焼き切るEMP(電撃弾頭)仕様のサブマシンガンだ。

 アリアは内腿のS&W M649-Cに手を伸ばそうとしたが、アルコールに浸された生体パーツの神経系が思うように作動しない。

 指先が、まるでもどかしい夢の中にいるように鈍い。


「……ワンの差金ね?」


「誰だいそれは?」


[ANALYSIS: VERACITY CHECK]

[STATUS: FALSE / PROBABILITY: 99%]

【偽証率 99%】


 確信した。

 ワンだ。

 あの脂ぎった画商は、口止め料を渡したその足で、掃除屋を差し向けてきたのだ。

 銃口がアリアの眉間に固定される。

 引き金が絞られる、その一瞬前だった。


――ガッ、ン!


 夜気を切り裂く重厚な破裂音。

 アリアに銃を構えていた男の頭部が、まるで柘榴ざくろのように弾け飛んだ。


「え……?」


 カキーン、ガン! 

 次弾が、重装甲の頭蓋パーツ『黒竜mh34-8H』を装備したイリーガルの男を、その物理装甲ごと粉砕する。

 ガン! ガン!

 わずか一秒。

 四人の男たちの頭部が消失し、沈黙が訪れる。 

 これほど正確で、これほど無慈悲な長距離狙撃をこの街でこなせるのは、ただ一人しかいない。


「……く、クロエぇ……っ!」


 アリアは泣きべそをかきながら、事務所の奥へと駆け込んだ。

 そこには、バスタオル一枚を身体に巻き付け、長い髪を濡らしたまま、大口径の対物ライフルをプローン・ポジション(伏せ撃ち)で構えたクロエがいた。

 『失敗報酬』に違和感を感じた彼女はアジトで先にシャワーを浴びていたのだが、異変に気づき、服を着る間もなく狙撃地点に飛び出したのだ。


「アリア、無事? ……ったく、少し目を離すとこれだわ」


 クロエはライフルを置くと、バスタオルがずれないように押さえ直し、溜息をついた。


「ワンがこれほど早く動くとはね。……でも、アリア。私、まだ全身泡だらけなの。ちょっとシャワーに戻らせてくれないかしら?」


 泣きつく泥酔したアリアを片手であやしながら、クロエは冷徹な法執行官の顔から、呆れた親友の顔に戻っていた。

 足元に転がる死体と、バスタオル姿の狙撃手。

 ロサンゼルスの夜は、まだ始まったばかりだった。

 三時間の強制スリープを終え、デバッグログの終了と共にアリアが目を開けると、視界の歪みは綺麗に消え去っていた。

 リブートによる強制的なアルコール分解。

 心地よい酔いの代償は、親友に助けてもらった感謝と後悔。


 事務所の隅、月明かりが差し込む窓辺には、シャワーを終えて着替えを済ませたクロエが座っていた。

 その膝の上には、彼女の分身とも言える愛銃が横たわっている。


 兵器データ:対サイボーグ大口径狙撃ライフル『グラム・レイ』


種別: ボルトアクション式・電磁加速併用狙撃銃


装弾数: 3発 シングルスタック・マガジン 


使用弾薬: 14.5mm×114特注電磁導体弾(対サイボーグ電磁狙撃弾)


 旧時代の対物ライフルをベースに、バレル内へ小型の電磁加速レールを統合したハイブリッド・スナイパーライフル。

 最大の特徴は、生身の射手でも運用可能という領域まで徹底して抑制された反動制御システムにある。

 しかし、その代償として銃全体のバランスは極端なフロントヘビーに偏っており、さらにはトリガー・プルも極めて繊細に調整されている。

 結果として、熟練した射手でなければ性能を十全に発揮することすら困難という、極めてピーキーな仕上がりとなっている。


「……起きた? アリア」


 クロエは視線を窓の外に固定したまま、静かに声をかけた。

 その指先は、磁気帯びを防ぐために特殊コーティングされたバレルを、慈しむように撫でている。


「クロエ……助かったわ。あのままだったら、私、蜂の巣だったかも」


「礼には及ばないわ。ただ、次はあんなに飲まないことね。だから危ないって言ったのに……」


 クロエはイタズラっ子が失敗したのを見るように笑い、ライフルのボルトを引き抜いて、過熱したチャンバーを冷却させていた。 

 この銃は、対サイボーグ用の電磁狙撃弾を音速の数倍で送り出す。

 先ほどのイリーガルの男が装備していた『黒竜』という重装甲パーツすら、紙細工のように撃ち抜いたのは、この銃の異常な貫通力ゆえだ。


「……ワン、本気だったのね。口止め料どころか、文字通り口を永遠に塞ぎに来るなんて。……でも、どうして? 私はまだ、何も掴んでいなかったのに」


「いいえ。あなたが『何か』に触れたこと自体が、彼らにとっては致命的な『エラー』だったのよ」


 クロエは膝の上の『グラム・レイ』を立てかけ、アリアの瞳を真っ直ぐに見つめた。

 その表情は、先ほどまでの「呆れた親友」から、冷徹な法執行官のそれへと戻っている。


「アリア、あなた、すぐにこのアジトを移しなさい。ここはもう、場所が割れている。……こんな連中が、一度の失敗で引き下がるとは思えないわ。今度は、私がシャワーを浴びている間にあなたが殺されるかもしれないのよ」


 その言葉には、親友を失いたくないという剥き出しの危惧が込められていた。


「……わかってる。この『かまぼこ』、結構気に入ってたんだけどな。……でも、そうね。ここに居たらリブート(再起動)も出来ないわ」


 アリアはベッドから立ち上がり、床に転がる空の薬莢をヒールの先で弄んだ。

 20歳で死んだ天才画伯、ウエスギ・イチリュウ。

 そして、その遺作とされる『赤い聖母』。


「……引っ越し先は、私が用意するわ。刑事局のセーフハウスではないけれど、もっと安全で、もっと『戦いやすい』場所をね」


 クロエは愛銃をケースに収め、立ち上がった。

 

 私立探偵アリア・シズク・ウォーカーの平穏な日常は、硝煙の匂いと共に、ロサンゼルスの夜の闇へと消え去っていった。


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